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沙織は茜の返答に困惑する。ここは素直に言葉を受け取るべき場所だよねと、茜に言う。けれど茜は頑として反発する、嫌だ、断る。勝手に決めるなと。そして堂々巡りをするようにぎゃーぎゃーと言うことを聞け、聞かないだの騒いでいる。
「なんで私の言うことを聞けないの! 茜ちゃんのバカ!」
「どうしてあなたの言うことを聞かなければいけなんですか? 私の人生をあなたが決めるな」
茜はそういうと、沙織をぎゅっと抱きしめる。
「傍にいたいからいる。それだけです」
その言葉に沙織は救われたような気がした。
――ああ、どうして。
「私は貴女のために働きたい、貴女に救われたんですから」
お返しするのは当然ですと、沙織の頭を茜は撫でる。
――甘い言葉を投げないで。
いっそ拒絶してほしいと、沙織は茜を突き放そうとする。けれど手に力が入らない。抱きしめてくる茜を拒絶できない。
――雨を降らせないで。
気が付けば沙織は茜にすがるように抱きついた。茜がそれを見てため息をつく。
「これではどちらが年上かわかりませんね、でも」
嫌いじゃないです。茜は沙織を慰めることで自身の心の裡を愛する人に代弁する。
一方そのころ純は、キッチンにいた。
折られた指が左手でよかったと思いながら、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎの皮をむいていく。時折鈍い痛みを我慢しつつ下ごしらえを済ませていく。4人前程度のシチュー用にしてはの多めの玉ねぎを先に炒めてる間に、今度は肉を切っていく。最低限の材料で作る、シンプルなシチュー。ルーも市販品だ。下手なアレンジはしない。
沙織が作ったシチューの味を思い出しながら、純は慎重に事を進める。慣れないキッチン、どこに何の調味料があるかわからなかった純だが、幸いにも必要な材料や調味料は茜がすべて準備してくれていた。更に冷蔵庫にひき肉も入れてあったし、テーブルには使うべきコショウや固形のルーが置いてあった。
そしてあるものを発見する。2つのタッパー、片方を冷蔵庫からとってふたを開けると、見覚えのあるものがそこには入っていた。油で固まっていたそれを指で一すくいして、口に運ぶ。
相変わらず味がバラバラ、と言うより甘すぎる。かと思ったら唐突なタバスコの辛みがまだ残っている。水の代わりに牛乳オンリーで作られたシチューは前に食べた時より不愉快な酸味が強い。はっきり言って傷んでいる。けれどそれが二人分あった意味を考えた純は、その片方をレンジで温めることもせずに食べ始めた。
苦手な味だ。それに傷んでいるような酸味がキツイ、けれど純は手を止めない。一気に食べたところで水道水で最後に流し込む。
「っはぁ……」
ごちそうさまでしたと両手を合わせ、空になったタッパーを水に浸す。
そして改めて調理に戻った。あめ色になってきた玉ねぎを少しだけステンレスのボウルに移し、粗熱を取る。これはメインディッシュのハンバーグ用にとって置いたものだ。ビニールの手袋をはめて、合いびき肉と玉ねぎ、パン粉、牛乳を混ぜて捏ねる。隠し味にと茜に教えてもらった赤みそを少しだけ加えることも忘れない。
茜のアドバイスを逐一思い出しながらもシチュー作りは進行していて、茜に教えてもらった手はず通りに調理を進める。シチューも煮込むだけになったところで、ハンバーグの成型に移る。中心を窪ませた俵型を一個作った後に、純は少し手を止めた。
「女の人だし、この形の方がいいかな?」
残る二つを純はある形にして焼きに入った。
1時間後
「できた!」
3つのハンバーグを個別の皿に移し、ニンジンのソテーとゆでたブロッコリーを添える。そして出来上がったクリームシチューの入った鍋をテーブルに準備していたクッションタイプの鍋敷きの上に移す。炊飯器からは日本人の愛する心地よい匂いと炊き上がりを知らせるメロディーが流れる。
餉の準備が出来たと純は二人を呼ぶために寝室へ戻った。ノックをして部屋に入ると、純はくすりと笑った。茜と沙織が仲の良い姉妹の様に、一つのベッドで寝ていたのだ。それを見た純は少しはだけた毛布をそっと直すと、起こさないようからゆっくりと部屋を出てから扉を閉める。
純は居間に戻ると、出来上がったハンバーグの乗った皿にラップをしてから書置きを残し、家を出た。玄関で日光を浴びながら大きく背伸びをしてから深呼吸をする。向かう場所は一つ。
「さて、病院いこっと」




