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まな板と包丁の奏でる心地の良い音を聞きながら、沙織は食前に先ほど切られた山盛りのキャベツの千切りをノンドレッシングでシャクシャクと口へ運ぶ。四人掛けのテーブルにて純と沙織は斜め向かいに対面し、食事をとっている。

「あのね、キャベツを先に食べると食物繊維とかキャベツに含まれている栄養で腸がね、あのね」

 沙織が話し役で、純が聞き役。

 自身のスタイルを維持するために行っている沙織の長年の食生活は、意外と庶民的である。キャベツのほかに出されたメニューは雑穀米、鮭の薄塩焼き、味噌汁、納豆とデザートにはヨーグルト。

「アイドルでも食べ物って普通なんですね。ちょっと驚きました。あ、茜さんありがとうございます」

 思ったことを素直に口に出し、やっとキャベツを食べ終えた純は二人に食事を配膳している茜に礼を言う。

「アイドルの健康管理も仕事のうちですから」

「美味しそうですね、いただきます」

「味は保証します。料理は好きなので」

 料理中に邪魔にならないように髪を後ろで一つに束ねた姿で、茜は言う。会話内容を抜きにしてみれば、この両者のほうが新婚と言われても違和感を覚える人は少ないであろう。

「いただきます」

 改めて両手を合わせ食事に感謝する純。

「私もご一緒にさせていただきます」

 茜は沙織と真正面から対面するように席に着くと、純と同じく両手を合わせ、料理に向かい少しお辞儀をしてから食事を始める。

「味は薄めにしています。物足りなければお醤油いりますか?」

 横を見るわけでもなくただ事務的にテーブルに置いてある醤油さしを純に手渡す。純もその好意を否定する様子もなく、「あ、使います。すみません」と礼を言って数滴鮭に垂らしていく。

 三人での食事。先ほどと違い、鉄面皮では無いにせよお堅い雰囲気を醸し出す茜が食卓に加わったことで、純は少々緊張していた。先ほどと一変、静かな食事。静かな食事も嫌いではないが、会話が急に途切れたことでどことなく何か話をせねばと、純は無用とも言える気遣いをしてしまう。

「あ、あの、これ美味しいですね。素材もいいやつですよね」

 味噌汁をすすりながら、ちらりと沙織にも同意をと、話のきっかけにと問いかける。

「沙織さんいっつもこの食事を?」

 うらやましいなあ、とおいしそうにひょいひょいと箸が進んでいる純を見て、沙織はテレビでよく見かける笑顔で「そうだよ」と答える。

 ――しまった、失言である。

 純は軽率な発言であった

沙織と出会って数日とたっていないが、沙織が意外と嫉妬深いことを知っていたはずなのに、困ったように先ほどの発言を訂正するように、フォローするように沙織に話しかける。

「沙織さ「沙織さんは料理できませんよ、純さん」」

 純の言葉とかぶせるように、茜が言う。

 バラエティ番組での彼女の痴態を、チャームポイントとでも言うように。多忙だからこそ料理を練習する暇もない。けれどアイドルそれでいい! 沙織は茜が手掛ける自慢のアイドルだ。年齢不詳、スタイル抜群、相反するように見るものを癒すキュートなルックス。

 ああ、アイドル万歳。というように茜は立ち上がり、沙織を称賛する。

 ――仕事バカだ、この人。思わずぽけーっと茜を見上げる純。

「ええ、その通りです」

 何か問題でも? と茜は純に問いかける。いいえ、ありません。純は首を横に振り、否定する。

 しかしそれに異を唱える者がいた。

「駄目だよ!」

 両手で強くテーブルをたたくと、抗議者は叩いた反動を使い力強く立ち上がった。 

 拳を力強く握りしめたと思えば、その拳をまっすぐ前に突き出し、宣戦布告をするように茜を指さす。

「アイドルはアイドルでもマタニティアイドルだから、私のアイドル活動は!」

「ま、またにてぃ?」

 とんでもない言葉が聞こえたぞと、純は耳を疑った。

「沙織さん、俺は」

 純は自身にそのつもりはないと、柔らかに告げるつもりであった。いや、やさしく言っても駄目だ。ここまで優しく言って事態が好転したことは少ない。優男と思われては困る。きっと鋭い視線で沙織をにらみつける。

「あなたと結婚するつもりはないですから。俺は」

 見守るだけで十分だった。そう、アイドルの私生活には興味はない。昔風に言うならブラウン管越しに応援、たまに握手会やライブに参加できれば良かったはずだった。だからこそ今一度この幻想から解かれるべく、言葉の暴力で目覚めよう。

 よく映画でも見た。夢から覚めるためには痛覚が一番だ。そう思ったからこそ、沙織にも茜にもはっきり、

「ダーリン、そんな顔もできるんだ」

かっこいい、と頬を染める沙織。

「……ありですね」

 茜も自身の指を顎に当て、ぼそりとつぶやく。

「惚れ直しちゃいそう……男らしいダーリンも素敵」

「いや、商業的に……」

 ぶつぶつと何かを計算する茜に、惚気て嬉しそうにじーっと純を見つめている。時折獲物を見つけた獣のように艶のある唇の端を舌で舐める姿が、純に警戒心を植え付ける。

「好き」

 警戒していた純であるが、その告白にストップの魔法をかけられた。

「大好き」

 呪いの様に何度も沙織は純に囁く。

 砂糖菓子のように甘く、葡萄酒の様に芳醇に。


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