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 そしてまた数週間後に私は沙織さんと道場で出会い、再戦を挑んだ。結果は敗北。今度は大技中の大技、フランケンシュタイナーで負けてしまった。この道場の流儀なのか、師範代の趣味だろうか、リングもないのに何かとプロレス技を教える癖があるのはなぜだろう。そして、相変わらず痛かった。そもそも畳の上で投げ技は痛い。

 口惜しさを胸に抱きながら、私は次第に淡路、いえ、沙織さんに興味を持っていた。小柄でありながら魅せる技で戦う彼女はさながら戦乙女。華がありながら、それでいて強い沙織さんに、自分が持っていないものを持っている沙織さんになつくのは、早いものだった。

そして私は彼女に導かれるようにここまで来た。沙織さんから慣れない化粧を覚え、最低限のおしゃれを覚えた。その後はおしゃれなカフェに行ってよくわからないけどたぶん相場より高いケーキを食べに行った。1時間並んで待って食べたケーキの味は微妙で、それでいて値段が高くて、見た目だけだねと二人で笑ったことも。ナンパ男に辟易として、家で一緒にパジャマパーティーをしたことも。そして大みそかは師範代と一緒に鍋をつついてそばを食べ、年を越した。気が付けば私生活は沙織さんといることが多くなった。暗い世界にいた私を、彼女は明るい世界へ導いてくれた。そんな私たちを、師範代が姉妹の様だと笑っていたのを思い出す。だからこそ私は彼女が……、あれ?

とめどなくあふれてきた涙を、私は認識した。現実に押し戻すその涙は、真夏の日差しの様に私の視界を歪ませる。

止めれなかった。止まらなかった。そして私は思う。

――あいたいと。

自分の人生の指針を定めてくれた女性に、会いたいと茜は強く願った。会わなければと使命感にも燃えた。トイレから出た後、茜は純に対して無言で抱き付いた。感謝の抱擁を、愛する人を幸せにしてくれるであろう男に祝福を送るために。幸せを分けるために

「ありがとう」

 純は訳が分からないといった様子を見せる。それでいいんです。あなたもきっと、わかるから。あの人の良さを。二人の視線が重なった。高身長同士、二人だけの世界。そこに言葉は不要だった。

 瞳を閉じる茜に、純がすべきことは一つだった。そしてそれは、茜の望んでいる行為だった。茜は涙を流す。そして、抱きしめていた腕を純の顔に添え、更に深く深く、享楽的な愛を享受する。

――ここにいてください、とは言えませんね。

 彼の居場所はココではない。だからこそ、返してやらねば。彼がここに来た理由、彼が無意識に求めているのは自分じゃない。影同士が結ばれることは無い。光には影が必要だ。陰には光が必要だ。それが大きければ大きいほど、ふさわしい人物が必要なんだ。

 ――私があの人の影となり支えようと誓った時の様に。

「私は貴方が好きです」

 告白。

「純さん好きです、愛しています」

 返事はいらない、その代わり、愛をください。一時の夢を、私に見せてください。茜は純の唇を、自ら塞ぐ。それは恐怖心からか、それとも愛ゆえの行為だろうか。唇を離した後、茜は艶やかに笑った。

「けど私は、それ以上に沙織さんが好きです」

 だからごめんなさいと言う様に、純の頬に優しく口づけをした。口づけと言うより、触れたと言った方が正確かもしれない。それはさよならを告げる様だった。そして茜は純から離れ、キッチンへ向かう。一人純を残して。

 告白と振られるという相対するイベントが一緒に訪れたことで、純の脳内処理がフリーズする。砂時計がくるくると脳裏で回転している。全身金縛りになったように、床に根を張るように純は立尽くす。

「……え」

 やっと出てきた言葉は、たったの一文字だった。そして脳内処理が終わるころには、茜が出かける準備を済ませていた。いつものシンプルな飾り気のない清潔感のある服装。しかしながら似合っている。本人が綺麗だからか、クールビューティーな茜にとっては飾り気がないのが魅力の一つとなっていた。

「行きますよ、ほら」

 根っこを抜かれる様に、純は茜の腕に引かれて歩き出す。片方の手にはエコバックと共に野菜や肉、シチューに使う食材が入っていた。

「行くって、どこへ」

「決まっているでしょう」

 一呼吸を置いて、茜は言う。

「我が家ですよ、純さん」

 仮面を脱ぎ捨てた素の表情で、茜は笑う。さあ帰ろうと、腕を引く。愛する人の夫の腕を。自身が愛する男の腕を。

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