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「こ、殺される!」

「殺さないから! ていうか殺すって何?」

「こ、殺さないで」

「ころさないって」

「おね、おねがい」

「人の話聞きなよ、だーりん」

 冷めた表情で純を見る。涙目で命乞いをする純。やはり死は怖いのか、きらりと光の筋が純の頬につたう。

「そもそも何で殺されると思うわけ?」

 もしかしてこれ? と沙織はまだ少し赤い手を純に見せる。びくりと大きな反応。それと同時にビンゴ、と沙織が笑う。 くすくすといたずら好きの妖精の様に。純にはそれが怖かった。なぜここで笑う、なんで笑う、なんでだ。

「ねえ、ダーリン」

 後ろから声をかけられて驚くように純は大きな反応を見せる。沙織は純に近寄り、対面式に純の胴にまたがるように座った。逃げられないシザーハンズ。

「この赤いのの正体、知りたい?」

 赤い滴の正体、純は知りたかった。けれどこの後の展開が怖い。だってそうだろう、どんなアニメでもドラマでも、この手のセリフの後に聞かされた者がどうなるかを。脳裏には自分の首からその正体が噴水の様に噴き出る姿が連想された。

「ほら、よく見て、嗅いで、触れて」

 純の顔にパックを塗るように、沙織は両手で純の顔を摩る。優しく、包み込むように。失敗した部族化粧の様に純の頬が斑な赤模様に代わる。

「ふふふ、ダーリンかっこいい」

 怯えた表情に赤く染まった頬。熟れる瞳。塩気と酸味が合わさった滴は、沙織にとってやはり格別だった。ほら、ダーリンも。沙織は自身が味わったものを自身の口内から純の口内へ移した。

 驚きで目を丸くする純と、瞳に愛を浮かべる沙織。

「もう、まだわからない?」

 子供っぽく頬を膨らませて純にぷんぷんと怒る沙織は、なお純に口づけを交わす。これは純に正解を与えるためではない。自身を喜ばせる、純のパニックを抑えるためだ。

 純の呼吸を、酸素を、恐怖を取り除く愛情のこもったキス。けれどそれはまるで男性の性を奪うサキュバスの様だった。ただ料理を作ると言っていたはずの沙織がどうしてこんなことをするのか、まさか料理とは……、手料理とは、純の脳裏に走馬燈もどきが走る。

 自身の生にサヨナラを告げ、純は目を閉じた。

 ――体が軽くなったような気がする。 

 ――最後の最後で波乱ばっかりだった。

 ――太く短くどころか、ごちゃごちゃ絡まりすぎた最後だった。

 ――あったかい匂いがする。湯気、ミルクの香り、俺の好きな、カレーの……カレー?

「じゃーん」

 優しい声音に導かれるように純は瞼を開けると、目の前に両手持ちのシチューポットが差し出された。ゆっくりと手を触れた純は、おもわず暑さに声を上げてしまう。それを見て天使が笑う。そしてその熱で純の意識ははっきりと目覚めた。

「あはは、ダーリン出来立てだから熱いってば、待ってて」

沙織はシチューポットを居間のテーブルに持っていくと、純を起こしてキッチンに連れていくと、火傷したであろう指を水道水で冷やした。数分経った後沙織ははそろそろ大丈夫だろうと水を止め、純と居間へ。沙織に言われるがままに純が椅子に腰かけると、沙織は純の指一つ一つをチェック。みみず腫れが無いかチェック。ただれていないかチェック。純の男としては少し細くて長い指をまじまじと見る。そして赤く腫れた指を見つけると、薬箱から市販の軟膏を取り出し、純の指に塗り始める。

 この間沙織は純に対し歪な愛をぶつけなかった。痛くはないか、しみないか、ほかに痛い場所がないか逐次質問する。そしてもう大丈夫だと沙織は笑った。

「もしまだ痛みが数日続く様だったら、病院も考えよっか」

それでいいか純に問う。しかし純はたかがやけどで大げさだ、心配しないでくれと沙織に返事をする。心配しすぎの気がある沙織と一瞬押し問答になると思われたが、沙織は純の返事に対し了承すると、改めて食事の準備を始めた。と言ってもメインが出来ているので、後はキャベツを千切りにするだけ。きしめん程度の幅の千切りが出来上がるや、純の分は小鉢に、自分用には丼茶碗に山盛りのキャベツを移していく。これで料理は終了、後はテーブルに並べるだけ。沙織はテーブルにモノトーンの木が描かれたランチョンマットを向かい合う様に2枚敷いて、純の方には先ほど切ったキャベツを盛った小鉢を置いた。

「ダーリンはたくさん食べるよね? じゃーん、私の手料理だよ」

 沙織がシチューポットの蓋を開ける。純が誘われるようにポットの中を覗き込む。ミルクの甘い優しい香り、クリームシチューだろうか、それでいてそのクリームシチューは少々茶色に濁っている。スパイシーな香り、酸味も匂いから伝わってくる

「この匂い、カレー? クリームシチュー?」

「まあまあ、食べてみたらわかるよ、食べたらね」

 沙織はさぁさぁと、空のカレー皿にどろりとしたシチューを注ぐ。高い打点からワインに空気を含ませるように、魅せる様にシチューを器用に注いだ沙織は、自信満々に純のランチョンマットにシチューで満たされたカレー皿を優しく置いた。

「ぼなぺぺぃえ」

 少し舌足らずな、しかも噛んでしまった沙織の発音、しゃべり方に純はくすりと笑ってしまう。恥ずかしそうに沙織が恨めしそうに唸っている。そんな沙織に愛らしさを感じながら純は両手を合わせ、シチューを食べることにした。そしてシチューを食べるにあたって必要なものがないことに気が付いた。


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