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「茜ちゃんは自分の心も制御できずに道具に八つ当たりする女、でしょ?」

 それは一方的な結論だった。それを言うなら沙織の方こそ夫を大事にしない女、茜の反論する余地は十分にあった。けれど茜は言い返せなかった。

「茜ちゃんと出会ってもう何年になるのかな、びっくりしちゃった、茜ちゃんがこんなに攻撃的になるなんて。ひょっとして反抗期? まじめだったもんね、茜ちゃん」

「でもごめんね、茜ちゃん」

 てくてくと純の下に近づいた沙織は、茜に対し見せつける様に純に寄り添った。

「彼、純君は私の夫なの」

 婚姻届けも既にあるからと、沙織は言う。

「茜ちゃんも好きだけど、純君はもっと好き。大好き。純君は私の事、好き?」

「え、あ、はい」

 小動物のような愛らしい眼で沙織は純を見て尋ねた。思わず純は頷いてしまう。

「うれしい!」

 両思いだねと、純の体に抱き着く沙織は、そのまま純にキスをせがむ。茜の視界がぐにゃりと歪む。これ以上二人の姿を今の茜は見ることが出来なかった。踵を返して茜は二人の下から走り去った。スプリンターの様に全力疾走で。その姿を見て純は固まり、沙織は大きなため息をついて頭を小さくかいた。

「ダーリンモテ期?」

「い、いや、そんなことはないかと。生まれてからモテたことないし……」

「まさか茜ちゃんがあそこまで、はぁ、とんでもないモテ期もあったもんだね」

「あの、追いかけなくても」

「駄目、これは茜ちゃん自身で乗り越えていかなきゃいけないの」

「そ、そうなんですか?」

「そうなの。ほらダーリン、家に入った入った、ご飯にしようよ、私が作るから」

「明日の朝には戻るでしょ、きっと」

「今日は一緒に寝ようか、ダーリン」

「それはいつものことじゃ……」

「え、何か言った? お風呂一緒に入りたい? わかった!」

「誤解です!」

 沙織は純と他愛のない会話を繰り広げるも、茜を心配する口調はまるで母親の様だった。純の背中を押して家に入ると、後ろを振り返ってぼそりと沙織はつぶやく。

「バカ……」

 それは誰に対してだったのだろうか。沙織は鍵をかけようと手を伸ばすも、首を横に振りカギを閉めずに居間に戻った。

「今日のご飯は私が作るね! 初手料理!」

美味しいぞ、と腰に手を当ててポーズをとる沙織を見て、純は不安しかなかった。

「えっと、材料なにあったっけ?」

 キッチンに戻り冷蔵庫の中をチェックする沙織、無防備な背後。何故か猫じゃらしのように安産型のお尻を小さく左右に揺らす姿、自宅にもかかわらず調味料の位置を把握していないこと、

「えっと、俺も手伝います」

 一緒に料理をしようと純がサポートをすると言っても沙織は「だーめ、愛がたっぷりこもった料理にダーリンの力はまだいらないの、だから座ってて」と聞く耳を持っていないこと。しぶしぶキッチンから出された純の耳に入る音は何やらゴリゴリとすり鉢で何かをつぶしている音。

 不必要に大きな音を響かせるまな板と包丁のキス。時折発せられる「あ」や「あれ、あれれ」、「えーっとあとは、何を入れようかな」、耳をすませばごぽごぽと何かを煮込む音。純にとってキッチンから聞こえるその響きは魔女の調理場そのもの。作られているのは食事かそれとも魔女の妙薬か、不安でしかなかった。

 勇気をもって純が身を屈めて沙織の死角からキッチンに足を延ばそうとすると、キッチンに入ろうとした瞬間ギロチンの様に垂直に包丁が落ちてきた。固まる純の体、動くのは首から上だけ。

 ぎぎぎと油の切れたロボットの様にぎこちなく首を上げて見上げるは恐怖で凍てつく表情に、迎え撃つは太陽のような笑顔。その熱気を表すようにその笑顔の主の両手は真っ赤だった。太陽はいけないと笑い、手に付着しているその赤い汁を這うように舐めとる。けれどなめとれていない部分からぽたりぽたりと純の顔に赤い滴が垂れていく。

「う、うわっぁぁあ!」

 純の表情が崩れる。それと同時に純の金縛りは解けて縄張り勝負に負けて逃げ出す野良犬の様に四つん這いで這って逃げようとする。その両足を、沙織はつかんだ。

「あ、ちょっとダーリン待ってよ」

 落ち着いてと笑いながら沙織は純の両足を掴んだ。掴まれた純の両足に真っ赤な跡が付く。冷やりとした沙織の手が死人を思わせる。恐怖に飲まれた純は両手で這ってでも逃げ出そうとする。徐々に徐々に沙織の笑顔が固まっていく。笑顔が顔に張り付いたように、崩れない。でも声は徐々に徐々に乾いていく。水気を失っていく。

「まってよだーりん」

 口とは裏腹に、沙織はあっさりと純の両足を手放した。拮抗していた力が解かれ純は前のめりにバランスを崩し、壁とごっつんこ。顔の痛みを逃がす様にフルフルと顔を横に振る。そしてまた四つん這いで獣の様に逃げようとし、錯乱し、壁で爪をとぐ猫の様に壁に助けを求めている。追いつめられた獣は壁にもたれかかりながら捕食者と対峙する。

「あーもー、ダーリン!」


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