37 決別
相変わらずおいしそうに舐めているな、茜はルームミラー越しに沙織の姿を品評した。同時にのどの渇きを覚えてここに来る前に買ったタンブラータイプの容器に入ったカフェラテを飲んだ。けれど不思議と喉の渇きは取れなかった。そして赤信号になるたびに茜はルームミラーをちらりと見る。
仲睦まじくじゃれる沙織の姿に、茜は思わず自分を重ねていた。だからか茜は沙織の想定する店ではなく、帰巣本能からか馴染みの道を通り始める。沙織は純に夢中で気が付かない、純は元々行く場所を知らないので問題は無い。
家に着いたとき沙織はお店に行くんじゃないの? と首を傾けた。けれど茜は背筋を伸ばして応援団の様にはっきりと聞きやすい声で主張する。
「私も混ざっていいですか? 沙織さん、純さん」
二人を見てうらやましくなった。
混ざりたい。
「美味しい手料理なら私が作りますので」
ここ数日で純の味覚は理解していると茜はアピールする。それに対し沙織は冷たい口調で聞き返した。
「面白いこと言うようになったね、茜ちゃん」
「いえ、生理現象です」
「なにが?!」
「言わせないでください」
頬を染める茜に対し純の突込みが入る。まるでウィルスにかかったロボットの様に、茜は言葉をすらすら連ねる。
「純さんの味覚は把握済みです。甘味と旨みを重視、あと少々のこってり感、料理は得意です」
「大学までの送迎も任せてください、運転は得意です。あ、ご安心を。仕事もしっかりこなしますので」
茜のいい女アピールが始まる。
「まあいいよ、上がりなよ」
とりあえず家の中で話をしようと、沙織が提案。茜もそれに同意し車を車庫にしまうと家に入った。皆が家に入る。
「ダーリンは先に居間に言ってて、お願い」
有無を言わせぬオーラを放ったお願いに、純は素直に風の様に靴を脱ぐと居間へ向かった。茜は玄関のカギをかけることなく、外へ出る。それと同時に沙織の飛び蹴りがとんできた。体を反らしてよける茜に対し、一瞬で詰め寄った沙織の裏拳がとんでくる。こめかみに向かって放たれた殺意のある一撃を、茜が腕でガードする。防がれたとみるや沙織は反転して後ろまわし蹴りを仕掛ける。これもガードされる。蹴った足を戻してステップを踏んで戦闘モードに。茜は腕を振った。手がしびれる、けれど負けてはいない。痛みの比較的少ない方の手で沙織の腹にワンステップで掌底をかます。一瞬で間を詰め寄った茜の一撃。けれどその寸での所で沙織は茜の腕を両手でつかんで腕めがけて膝蹴りを放った。
ヒット、茜の氷の表情に亀裂が入る。
「つっ……」
直撃、上腕を抑える茜。けれど沙織は攻撃をやめない。蹴術中心のスタイル、ローキックややくざキック、時折茜がそれを防ぐために足を掴もうものならそれを軸に飛びあがり茜の頭部へ蹴りを放つ。器用に放たれたハイキックは茜のこめかみを擦る。そしてメガネの弦を蹴り上げ、茜のメガネが宙に舞った。
「……やめよっか」
それはまるで試合終了、ギブアップを告げるタオルだった。千夏は殺意を消し、茜に言う。
「何故ですか。メガネが無くても私は」
「無理だよ、茜ちゃん」
沙織は諦めたように茜に言うや、何の注意も無く茜に近寄る。
「だって茜ちゃん」
「私は本気です、本気で彼を」
「全然攻撃してこないもん」
二人の距離は10センチもない。茜は沙織から侮辱を受けたと言う様に、憎しみを込めて拳を振り上げた。けれどそれは沙織の鼻先でぴたりと止まる。何か見えない壁に阻まれているように。
「仕事人間の茜ちゃんに、その道具である私は殴れないよ」
「ち、ちがう!」
「キレもないし、精度も粗い。違わないよ」
「違う!」
「違わないよ、おかしな茜ちゃん。否定するならさ、さっきの」
沙織の正確な品評を遮るように、乾いた小気味の良い音が響く。
「あ、あ……」
振り切った平手を見てわなわなと震えているのは茜、音を発生させた人物。そしてその目の前にいる沙織の真っ白な肌が赤く染まる。
「ほら、動揺してる。たかが一発叩いただけじゃん」
睨んだわけでもない沙織の視線に、茜は何かを否定するように動揺を見せる。沙織はほらもう一発良いよと言う様に、叩かれていない反対の頬を茜に差し出した。茜の視線はきょろきょろと定まっておらず、パニックを起こしている様だった。ふと玄関を見れば先ほどの音で純が玄関から出てきた、二人の様子を心配するように見ていたことに気が付いた。
「あ、ダーリン、どったの?」
あどけない表情で純の方を見る沙織の頬は、赤い。それを見た純は二人の間に何があったのか、アイドルの武器、命である顔に傷がついていることを心配した。
「あの、沙織さん、何が……顔、赤いですよ」
「大丈夫大丈夫、一発貰っただけだから、ね、茜ちゃん」
「ち、ちがい、ちが……」
「違わないよ、茜ちゃん」
沙織は茜を追い詰める、武器はいらない。




