31 女のプライド
女子トイレでは敗残兵がいた。
「くっそー。あのブス」
自身を敗者に仕立て上げた鉄仮面メガネ女、沖茜の文句を言いながら鏡でお顔のチェック。自販機で買ったミネラルウォーターで口をゆすいで洗面台へ吐き出す。顎が痛い、あー。口を大きく開く。奥歯、前歯、可愛い子の必須アイテム八重歯、良し。千夏は鏡に映る自分に対しキツイ叱責を投げかける。
「スパーリング何でしてないのよ、バカ! おかげで負けちゃったじゃない」
それも完敗。しかも止めの一発は見えなかった。何が起きたかわからなかった。攻撃手段が分からなかった。ボクシングをたしなんでいるとはいえ試合経験がない千夏にとって、長く沙織を守っていた茜に勝てる見込みはなかった。
「カウンターだろうけど、むかつくむかつくむかつく!」
だからといって「はいそうですか、私の負けです」なんて口が裂けても言えることは無い。「次は絶対勝つ、今度床にキスするのは貴女よ」
格闘ゲームのキャラクターの様に勝利の口上を述べて倒れる敗者を指さすポーズをとる。そして鏡を前に営業スマイルを作る。その笑みは男を落とす魔女の媚薬、そして放たれる鼻にかかるような甘い声音は懐に入るための剣を鞘から抜く。そして満足そうに千夏は女子トイレから出た。
イメージは完璧、男を断髪台に乗せる姿が目に浮かぶ。冠番組、人気番組の人気女子アナとして活躍する自分の姿が見える。金の束が見える。そんな欲にまみれた千夏を照らすスポットライト、一筋の光が照らす。
――まるで恋人のようだ。
待っているなんて意外とミーハーじゃん。案外ころりと落とせるかも。まだ自分の事に気が付かない。というかなんで寝てるの? 待っている人物は違うのだろうか。壁にもたれて眠りかけている純の顔を覗き込むようにじろじろ見ながら千夏は純の隣に立って彼の腕と自分の腕をゆっくりと絡める。
スマホを起動。指紋認証でロックを解除すると千夏はすらすらと流れるようにフリック入力を行いカメラを起動させる。するとおもむろに空いた方の手でピースを作る。それを自分の顎先に、顎のラインをシャープに見せるようにポーズをとった。
SNS慣れしている彼女にとって、自身を一番かわいく見させる方法はお茶の子さいさいだった。自撮りを慣れた手つき、少し斜めの角度からまず一枚。そして少し角度を変えてまた一枚。ちょっとした個人撮影会場の誕生である。道行く人も何事かとチラ見する。
千夏はそんな道行くギャラリーたちに手を振り、またある時はしっかりとした挨拶をし、今度は写真のチェックにあたる。一枚目、純の目がちらっと映ってる。没。二枚目、瞬きしてる。ぶちゃいく、ダメ。3枚目。……んふ。
しっかり目も大きく映ってるし、純の容姿も野暮ったい感じがグッド。アヒル口の私もあざとかわいい。この野暮ったい謎の男、言うなれば芋虫、醜いアヒルの子。これが羽化するまでの過程を千夏はフィルムに納めたいのだ。野心に満ちた、自身の輝ける未来へのロードを築く試金石となる企画を成就させるために。純はそのためのアイテム。失敗は許されない。
そうこうしてるとさすがに純も目を覚ました。あくびと共に大きく背伸び。あくびも連動されるように大きくなる。
「おはよ、純君」
彼女の様に自分の名を呼ぶ女性を見る。見覚えがあるのと同時に体に緊張が走る。縄張りに侵入してきた敵を警戒する飼い犬の様に、背筋に力を籠める。同時に腕に力を込めて千夏の腕から脱出にチャレンジ。距離をとろうとする。けれどそうはさせないのが強かな女、ミスコンクイーンの大槻千夏である。ショートヘアで活発さをアピールしつつ、ボクシングでシェイプアップした女性らしい魅力的なバランスの取れたプロポーション。自身の誇る武器で彼女は狩りに出る。狙いは彼、向坂純。
「やーん、ダーリンやっと目が覚めた?」
ぞくりと背筋に悪寒が走る物言い。純に焦りが生じる。けれどその声の主は純の妻? ではない。そこは千夏、先の純と沙織の会話から純がその手の口調が好きなのだと推測し、それを真似たのだ。アイドルは女子アナの滴! 闘争意識がメラメラとわいてくる。
「またせてごめんね、ほら、行こう」
「いや、ほんと大丈夫です」
「あはは、ダーリン何それ、おもしろーい。ほら行こうよ」
どこへ行くというのだ。純は思う。千夏は逃がすまいと両腕でがっちり純の腕を掴んだ。純の腕が千夏の両腕、胸に挟まれる。柔らかい感触に照れを感じるも、純は千夏の女の武器をあろうことか、鼻で笑ってしまっていた。千夏の表情が一瞬真顔に戻った。けれど千夏はその表情を隠すように純の腕を引っ張り、内緒話をするように純の耳に自分の唇を近づける。そして蝋燭を消すように息を吹きかける。
「ひっ」
ビクンと体を跳ねさせる純。甘い言葉、女性陣には嫌われる可能性の高いややかまととぶった千夏の声音、誘惑。刃がじわりじわりと迫ってくる。純の心を奪うべくチラリちらりと刃を見せる。
「人気女子アナにこんなことされて、鼻血もんでしょ、自慢していいよ」
「いや、大丈夫、本当に大丈夫だから」
純は興奮する様子を見せない。むしろ嫌そうである。華麗にかわすというよりも、千夏の刃をまるで時代劇の殺陣を見るかのように華麗によける。それが逆に落とせない男はいないと思っている千夏の逆鱗に触れることとなった。
「何笑ってるの?」




