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 純は沙織の腰に腕を回すと、自分の胸板に彼女を引き寄せる。純の心臓が高鳴っていることが沙織にも伝わってくる。沙織は顔を上げて純を見る。そして何かを察した様子で瞳をそっと閉じた。

 ぬくもりが伝わってくる。彼から。表面上だけではなく、体中が幸せで満たされた気分になる。沙織は感じ取っていた。彼からしてくれた抱擁の心地よさがどんな羽根布団より心地が良いこと、二人だけの世界がこんなにも素敵なことに。邪魔ものはいない、遮る障害は存在しない。沙織は純の頬に手を添えるとキスをもっと、もっととせがんだ。純も嫌がる様子を見せることは無い。

 ハリウッド映画のキスシーン、それもラストシーンさながらに二人は熱く唇を重ねる。求め貪る。互いが互いを食らいあう様に。そうするうちに純の男の性が芽吹いていく。無意識に純の手が沙織の腹部に伸びていく。沙織は恥ずかしそうにその手を防ごうとするもその手に力は入っておらず、侵入者をあっさり許す。腹部から徐々に徐々に伸びていくその手は、彼女の心臓部付近まで伸びていく。

 年上なのにこんなにどきどきしているなんて恥ずかしい、沙織は赤面になる。さっきの嫌がるポーズも本当は嫌じゃない。むしろ二人を燃やす燃料となる。

「沙織さん」

「沙織って呼んで、お願い」

「沙織」

「ダーリン、純君」

 二人の体が更に密着する。沙織は純にさらに強く抱き付いた。身を預ける様に、全てを差し出すように。再度二人は愛を確認するようにキスをする。けれどそんな二人の時間も長くはない。タイミング悪く、茜が戻ってきたのである。扉の前で愛し合っている二人を見た茜は扉を閉めると内側からカギをかけて、二人を再度見る。

「盛っていますね」

「うん、ダーリンがね、きゃっ」

 頬を染めた沙織はそれを隠すように純の胸に顔を埋める。初心な少女のような所作を見せる沙織を愛しく思う純は沙織の頭を撫でている。そんな二人が盛る様をまじまじと見せられた茜が若干のいら立ちを見せたのか、時計を指さし収録再開時間を告げる。

「以上の事からメイクを早急に済ませる必要があるかと」

 沙織は仕事より恋の方が大事だといった様子で、茜の案に素直に賛同はしない。

「人として恋愛を大事にするのは構いません。けれど努々忘れぬように。沙織さん、あなたは女性である前に一人のアイドル、それも人気のアイドルであることを忘れずに」

 茜の正論に真っ先に同意したのは純である。アイドルとしての活動を邪魔してはいけない。ファンとして純も茜に賛同する。「えー」と純の傍から離れたくない様子をなおも見せる沙織に対し、純がキスをする。

「沙織さん、アイドルであるあなたも、俺は好きです」

 だから頑張ってくださいと純はエールを込めてキスをする。沙織の体にエネルギーが充填される。仕事モードオン。茜に対しスタッフを呼ぶよう指示を出し、自身でもできうる限り化粧や衣装の準備を始める。

 茜は純にこれからは戦場だからと、少しの間だけ席を外すようお願いする。近くに併設されているカフェにいてくれと告げるために楽屋を出た。カフェの場所を伝えるため、純はそう思い楽屋を出る。

 扉を閉めてエレベーター前まで二人で移動する。エレベーターはたった今下に降りたばかりで、上ってくるのはしばし時間がかかるだろう、純がエレベーターの現在位置を知るために入り口上部の数位版を見ていると、隣に茜がぴたりとくっついてきた。

 そして純に許可を得ることなく、キスをした。背伸びをして、ためらいを見せずに。その瞬間、時が止まったようだった。実際純はエレベーターの扉が開く音がするまで時が止まったような気がした。唇が離れる。扉がゆっくりと開いていく。急にどうしたのか茜に尋ねようとした純だが、質問より先に茜の口から「したかったので」と理由が説明される。そしてそのまま茜は純の方を見ることなく純の傍から離れた。

 純が見た去り際の茜の横顔、頬は普段見せるような冷たい表情ではなく、熟れたイチゴの様に真っ赤だったような気がした。純も同様で頬が赤い。そしてエレベーターの中心で純は立ぼうけになった。

 エレベーターに乗り込んだ初老の男性が純に「降りないの?」と声をかける。その言葉で純は慌てて周囲を見ずに礼を言い、慌ててエレベーターから走り去る。向かう先は茜の所。先ほどの行為の意味を聞くために純は茜の向かった方へ。突き当たりの角を曲がった矢先、純は足を止めた。

「どこいったんだ?」

 傍に見えるは女子トイレの看板だろうか、それともスタジオか、喫煙所か。確か茜はたばこは吸っていなかったはずだ。だから喫煙所は除外。スタジオは純自身が勝手に入れるものではないからこれも除外。残るは女子トイレだが、どうするか。

 女子トイレ前で待つにはいささか不安が残る。いなかった場合だ。純の容姿では不審者にしか見えない。事実周囲を見渡していると、猫背の長身が当社比1.5倍不審者度増量中である。

「けどまあ待つしかないか」

 壁にもたれかかるようにして純は待った。出てくるかわからない石戸へと逃げた天女を。




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