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あれから数日経った。

 純は大学を1週間ほど休校した。行けなかったのだ。べったりと純の体に猫の様にくっつく妻を自称する沙織の頭をなでながら、純は途方に暮れる。そんな純の表情を楽しむように時折沙織が純の髪をかき上げて純の表情を見て笑う。

「悩む顔もかっこいいねえ」

「大学、どうしよう……」

「行きたければ送りますが?」

「そうだよ、ダーリン。夫婦の間に遠慮は無用だよ?」

 監禁されているわけではなかった。けれど純にはいけない理由があった。

「私も付いていくけど」

 妻が純から離れるのを嫌がるのだ。嫌がる。いやだとはっきり主張する。

「じゃあいかないっす」

 面倒ごとがこれ以上増えるのはごめんだ。人気アイドルである彼女が大学に来た日には、ちょっとしたパニックになる。それに彼女が適当な男にナンパされる姿を見るのも、純は嫌だった。理由はわからない。元ファンだからだろうか、確証の持てない純は沙織に笑顔でごまかした。

「じゃあチュー」

 沙織の要求はシンプルだった、純もそれに対し素直に応える。欧米県がするようなフランクなキス。それでも満足そうに彼女は歯を見せて笑う。嬉しそうに。テレビではバラエティ番組がやっている。体感型クイズ番組だ。ミニゲームをやりながら、クイズにチャレンジする番組。負けるとパイ投げや小麦粉の海へダイブする。

 さおりんも出ている。新曲の宣伝として、ドラマ出演者たちと一緒に。

「やっぱりかわいいっすね」

 純の言葉で沙織はがばっと身を起こす。慌てて起きたためか純の顎に沙織の頭がヒットしてしまう。

「かわいいって誰が? ねえ、誰が?」

 悶絶する純の肩をゆすりながら、沙織は答えを催促する。

「顎を打ったのですから、落ち着いてから聞いてみては?」

 おやつとして用意したブランケーキと紅茶を用意しながら茜が言う。

「やだ! 今聞きたいの!」

 ねえねえと好奇心旺盛な子供の様に問いかけ続ける沙織の眼は、やはり怖い。子供にあるべき希望に満ちた瞳が存在せず、たった一つの回答以外認めないと言う様子の暗い瞳。純は顎を抑えながら、「さほりはんです」と答えた。すると彼女の瞳が明るくなり、満開の花の様に笑顔になる。そして今度は純の首に抱きついた。今度は呼吸面で苦しむことになる純を横目に、茜は二人のやり取りを鑑賞しながら自分用に用意したオレンジペコを飲んでいる。

「出席率が悪いと不味いのでは?」

 就活で困るのではと茜がふと独り言を漏らした。それに沙織が反応する。「専業主婦になるから問題ない」と。けれど純は沙織のヒモになるつもりはなかった。ヒモは楽そうだが以外に気を使わなきゃいけないこと、昔気質なのか父の影響か、純は男は女を養うものという考えを持っていた。

「俺は沙織さんに面倒見てもらう気は……」

 言いかけて口ごもる。その後の未来が見えたからだ。

「俺は養うより養いたい!」

 はっきり強く主張する。その裏には沙織の期待には応えられない、だから諦めてくれと言う意味もふんだんに含まれていた。沙織も珍しくはっきり主張する純を見て少し驚いている。

 ふふっ、効果てきめんだ。純は話を続けようとする。

「茜ちゃん!」

けれど沙織の一言で純の身柄はあっさり拘束される。茜によって。 

体に縄を括りつけられ、引っ張られる。連れていかれる先は社用車。ドライバーは茜で、後部座席に純と沙織がいる。密着して、手をつないで乗っている。連れて行かれた先、下りた先で、純は血の気が引いた。純にとって良い思い出の無い場所へ、再度連れてこられた。

――テレビ局。

「帰る!」

 稽古事に行きたくなくて駄々をこねる子供の様に、純は叫んだ。力いっぱい叫んだ。

「めっ!」

 子供を叱る母の様に沙織が純の口にハンカチを添える。甘い匂いを嗅いでいるうちに、純の気分が沈静化されていく。

 ※怪しいお薬は使っていないよ!

「ダーリン落ち着いた? まだ怖い?」

 ギュッと純の腕に沙織は抱き付くと上目遣いで心配した様子を見せる。あくまでアピールで目じりには涙を。純の心に罪の意識という名の種を植え付ける。泣きたいのは俺の方だと言いたげな純であるが、目の前で涙を流されてはその言葉も封じられてしまう。草食系男子と揶揄されても仕方がない押しの弱さを沙織に見せてしまう。

 沙織は沙織でなおも心配するように言葉をつづる。けれどどの言葉にも純の意見を肯定する言葉は含まれていなかった。大丈夫? もう少し休んでく? 楽屋で休む? お家にカエリタイ? 純は沙無言で腕白な子供にするように沙織の頭をぽんぽんと撫でると、やせ我慢の笑みを浮かべる。沙織も頭をなでられたことで子供の様に目を細めて笑って応える。

「ごめんなさい、取り乱しちゃって」

「いいのいいの、気にしないで」

「でも俺、本当に――」

 テレビ局に行くのは嫌だと純は言うつもりだった。けれどその言葉がまたも遮られる。

「仕事の時間が迫っています、急いでください」

「もうそんな時間!?」

 沙織はアッと驚いた表情でスマホの画面を確認する。ダーリンとのキス画像がトップに映され笑みがこぼれる。それを茜が沙織の名を呼び引き締める。

「沙織さん、純さんは私が連れていきますので。ほら、行きますよ」

 その細身のどこにそんな力があるのか、茜は純の腕をぐいぐい引っ張り車から降ろす。沙織も茜からカギを受け取りキースイッチでロックすると、カップルの様に純と腕を組んで一緒に歩く。左手は保護者の様に引っ張られ、右手を恋人の様に絡められた純の額に脂汗がにじむ。

 沙織が持っていたレースのハンカチでそれをぬぐう。茜はその二人の歩調に合わせつつも時折歩みを止めようとする純を引っ張っていく。それは局内にとっても異様な光景だった。現役アイドルが男と腕を組んで歩いていることもそうだが、その一方で逃げ出した子供の様に腕を引かれている男とそれを楽屋へ連れていく茜。美女二人の間に朴念仁、根暗なオタクの様に野暮ったい容姿、それでいてその長身から悲哀にも似た寂し気な雰囲気を漂わせる男。

 見る者には憐れみを、また一方で嫉妬の刃を振り下ろされる男がいる。また野次馬の様に声をかけようとする者もいたが茜の「急いでますので失礼します」と質問をシャットアウトされてしまう。

 逆に沙織は周囲にあいさつを、笑顔を振りまいている。その幸福そうな表情、雰囲気に祝福の声や「彼氏ですか?」と声をかけてくる女性社員と思しき者もいた。沙織はそれに対し言葉ではなく笑顔で答える。必然女性スタッフの黄色い声が上がる。沙織に春が来たと喜ぶ声が上がることもあった。

楽屋に入るともうすでに準備万端な美容、衣装スタッフが一つの椅子の周りに集まっていた。アフロでしかも髭は濃いが中性的な雰囲気を醸し出す大男や、カリスマ的雰囲気を出す美容師的なスタッフもいる。沙織は「待たせてごめんなさい」と謝罪すると、スタッフたちが集うドレッサーの前にある椅子に座った。メイクアップアーティストは最近の沙織は艶があると肌をほめる。それに対し否定ではなくまんざら嬉しそうにそのほめ言葉を受け取った。

ちらりと中性的なスタッフが別の椅子に座っている男を見る。この業界に入って20年を超えたその男は、様々な芸能人と接してきた経験から純をダイヤの原石の様だと純を評価した。


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