23 敗北の果てに
――その裁判所には幾人もの乙女がいた。裁判官も、聴衆も。そんな中にただ一人男がいた。顔を隠すかのように伸ばした野暮ったい髪型。その下から覗かれる彼の瞳。眉と瞳の距離が近く、彫りの深い精悍な顔立ち。すらりと伸びる長い手足に、180を超える長身。
シンプルな服装がまた彼のスタイルを映えさせる。その長い両腕には二つの輪っかが、その間には鎖があった。
「俺が一体何をしたっていうんだ」
まるで自身が悪くない、悪いのは俺じゃないと主張する彼の発言に、周囲からどよめきが走る。
「ただ綺麗な杯だから手に取っただけじゃないか! それなのに」
男の発言を遮るように木槌の心地の良い音が鳴る。そして被告人である男を見下すように一番高い席で女性が口を開く。
「判決、終身刑」
周囲が裁判長の発言を輪唱する。夏の夜のカエルの様に、秋の夜の鈴虫の如し。男がその輪唱を嫌がり、耳を塞ごうとする。けれど両腕に架せられた罪人の証がそれを妨げる。聴衆が一人、また一人階段を下りて男の下に集う。そして輪唱の声音が大きくなる。360度のサラウンドボイスが男、純に襲い掛かる。目をつぶっても、その声音は消えることは無い。目を開けば合唱する人が増えている。
木槌の音が鳴る。
罪人を護送する馬車の音。
無実と叫ぶ被告の叫び声。
それをかき消す合唱団。
罪人にまとう聴衆を払う鞭の音。
どよめき逃げ惑う聴衆たち。
護送され荷台で聞くのは石畳を走る馬の蹄鉄。
雑に降ろされ着いた先は純にとっては刑務所。
終身刑を宣告され、残りの長い余生を過ごさなくてはならない地獄。
下された先で待つはやはり女性の刑務官。
スカートをはためかせててくてくと歩く小柄な少女。その胸は希望に満ち溢れているように大きかった。
あどけなさと女性としての魅惑を兼ね備えた少女は新たな受刑者を笑顔で迎える。
「初めまして。やっと来てくれたんだね」
友達の様に親しく受刑者に声をかける少女に、純は救済を求める。
「聞いてくれ、俺は無実なんだ。誤解なんだ」
刑務所なんて御免だと純が言う。すると刑務官は純の不安を軽減させるように笑って答える。
「大丈夫、ここの牢屋は貴方だけのプリズン。安心してね、厳しい、死にたくなるようなスパルタなんてないよ」
彼女の言葉を聞いてなお、純は無罪を主張しようと口を開いた。けれど後ろから膝裏をけられて転んでしまった。
「まあ大変!」
あわれな男を心配する少女はあわてて転んだ男の傍に駆け寄ると、目線を合わせるようにしゃがんで純を見る。短いスカートから少女の健康的な大腿部が覗かせる。けれど行動とは裏腹に、少女はやはり刑務官であった。
「ちゃんと頑張ったら執行猶予で出してあげ……ない! だってあなたは終身刑!」
純の鼻筋の通った鼻先にデコピンをする。
「ざけんな!」
噛みつくように吠える純を見て、少女の態度が急変する。すくっと立ち上がると護送者に受刑者を収監するよう指示を出す。喚く純は哀れ収監されてしまう。連れ出された先で純は磔にあった。固い樫の木でできた壁に純は手を足をエックスに開いて拘束された。
自害防止用に口にはタオルが巻かれ、発言権を奪われる。そんな哀れな男の前に看守がやってくる。先ほどの少女である。先ほど見た時より少し背が高いのが気になった。近づいて語りかけてきたときにはまた大人びた様子を彼女は見せた。
「解放してほしいかい?」
馬を叩く鞭を純の顔にペチペチと当てて彼女は問う。こくりと頷く純。だったら簡単さと彼女は笑った。
「私と子作りしな」
少女の面影をわずかに残した彼女は快活に告げる。彼女の体から色気が香る。当てられた胸に心臓がドキリとなる。純は焦った。ここでこのまま暮らすんだったら……、それなら。
「悪いようにはしないよ。どう?」
いつの間にか手には白紙の血判状が握られていた。彼女は純の指先を噛んで笑う。八重歯で噛んだ純の薬指先端からポトリ、ポトリと彼女にとっての愛が垂れる。雨漏り対策のように彼女はその下に血判状を置いた。
ぽとり、ぽとり、ぽとり。
青ざめていく男と、その男の指先から垂れる愛を嬉しそうに見つめる女。
男の右手には輸血用の点滴が刺されてあった。
「私の血が貴方の中で愛となり滴る、最高だよ、ダーリン」
男の見つめる先にある血判状に赤く血で滲んだ文字が浮かび上がる。
――結婚
悪魔の奏でる祝福のラッパが鳴り響く。
悪夢から覚めても、悪夢が続く。




