21 かったぞぉ!
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――勝った!
純にとってこれは賭けだった。
初キスを奪われた以上、開き直る。それが今回の作戦の肝だった。
リベンジ成功。
蝶は蜘蛛を退治することに成功した。自身から発する蜜を餌に、蜘蛛を篭絡させた。逆ハニートラップ作戦。後になって手が震え、背中から汗がにじみ出る。本当にシャワーを浴びたい衝動に駆り立てられるが、そんな暇は無いと頭を横に振る。
幸い荷物は玄関先にあったので中身を確認して扉を開ける。
「勝った、勝ったぞぉ」
思わず勝鬨を上げてしまった。けれど上げずにはいられない。初勝利、大金星。座布団が舞ってもおかしくない。純は自分自身を称賛する。そして駆け足で玄関から出る。全てが追い風、追い風、参考記録になってもしょうがないほどの追い風!
そこに大きな誤算が生まれているのを、純は気づかなかった。純は浮かれていたため忘れていたのだ、この国が八百万の神が住まう場所だと。日出この国は、一神教ではない。神は独りじゃない。
玄関を出て曲がり角を曲った矢先、純は女性とぶつかった。買い物袋を持った女性に。買い物袋を落としてしまった女性に対し謝罪し、袋に物を詰めなおす。手早く袋に白菜やネギ、豆腐を詰めなおすと、純は笑顔でそれを女性に渡した。
「今日はお鍋ですか? いいですね」
ウキウキ過ぎて純は相手の顔を見ずに話をしていた。それにスカラハットを被っていた女性の顔がよく見えなかったせいもある。第一、純にとってそれらは適当な世間話のつもりだった。
「よかったらご一緒にどうですか?」
思わぬ提案に、純は笑顔で「いいんですか? でも遠慮しときます」と断った。自分は帰らなきゃいけないと、べらべらと自分のことを喋ってしまった。
「帰るんですか?」
いぶかしげに彼女は尋ねる。
「はい!」
笑顔で純は答える。テリトリーから逃れられて、初勝利の余韻だろうか。
「なら丁度いいですね」
買い物袋を持った髪を後ろで縛った女性が淡々と言う。そして買い物袋の一つを純の手に握らせる。しつこいなあと純は女性の方を見て、次の瞬間石化したように固まった。開いた手でスカラハットを脱いだ女性。
メガネをかけてはいないが、純は知っていた。メガネをはずしたことで気が付かなかったが、そのきりっとした表情、淡々とした言葉……。
「家はあちらですよ、行きましょう」
スカラハットを被りなおした女性、できる女、鉄仮面、アイアンメイデンこと人気絶頂アイドルのプロデュースをすべて任されている敏腕マネージャー、沖茜本人だった。
純の視界がぐにゃりと曲がる。力が抜け、ない!
純は茜に沙織にした時と同様の攻撃を仕掛けようとした。男らしさを見せた、攻撃。
「茜さん、俺と二人で」
口を開こうとした矢先、彼女の拳が鳩尾に飛んできた。それも数発。鳩尾、レバー、鳩尾のコンボ。純の視線がぐらりと上に行く。茜はそんな純の手から零れ落ちる買い物袋を器用にキャッチすると、片手に先ほどまで持っていた自分の買い物袋と合わせて持った。
そして反対の手には、純の襟首。ずるずると引っ張られるは、脱走したペット。茜にとって純は手のかかる大型犬の様なものだった。でも茜は気にならない。だって犬が好きだから。「まったく、この子は」
茜によって純は家の中、玄関まで運ばれた。茜が食材を置いて戻ってくる。意識の無い純の顔を見た茜の表情は緩んでいる。そしてしゃがみ、純の髪をかき上げると、おでこにキスをした。
「誘いたいのであれば、車内、ムードのある時でお願いしますね」
ドラマのワンシーンの様にスマートに純にキスをした茜の頬、表情は雪解けを迎えた春のように温もりを感じさせる。
一方そのころ沙織はと言えば、
「……こないし!」
待ちぼうけをくらい修羅と化していた。怒りゲージはバブル経済最盛期、ディスコでフィーバー。理性ゲージは大恐慌の如し。ああロミオ、あなたはどうしてどうして私を……オイテイクノ?
少女の様なあどけない表情に不釣り合いな泥の様に濁った瞳。それを隠すように沙織は毛布に顔をうずめる。その毛布はお日様の匂いはすれど、愛する男の匂いはもうしなかった。けれど彼女は顔をこすりつける。彼の匂いはしなくても、自身の匂いをつけることは出来るのだから。
沙織は王子様を待つ。待つ、待つ。どんなに離れていても、沙織は疑わない。自身の左手の薬指に、彼とのつながりがあるということを。沙織は毛布から顔を離すと、ぷはぁと深呼吸をする。そしてごろんとベッドに横になると、左手薬指をじっとみる。そして溶けたアイスクリームの様にだらんとした甘い表情でまた小さく笑った。
――見える。
――私には見えるよダーリン。
「この糸は二人の愛の未来を示す天啓だってことをね」
沙織はうっとりとトリップする。夢への旅路へ。




