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 茜の一言に、純は言葉を詰まらせる。

「別に恥ずかしがる必要はないかと……」

「そうじゃなくて、まだ結婚もしてないのに」

 沙織のことを否定しようとする純であるが、純の言葉を遮るように茜は口を開いた。

「まあ別にいいでしょう」

 そしてそのままついて来いというように、純を大学に用意された駐車場へと案内する。純も周囲の視線、特に女性陣の視線に耐えられなくなり、なし崩し的に茜の後ろをついていく。

 幸い次の講義は出席をとらない授業であるため、友人にチャットで今日の講義内容を聞かせてくれと連絡を入れることにした。

「ところで先ほど妻というワードに反応を見せましたね」

 歩いていた茜は立ち止まって純の方を見やった。茜が立ち止まったことで純も足を止める。すると茜は会話がしやすいようにと純の横に並ぶように立った。

 傍から見れば付き合っていると見てもとれる二人の姿。長身の純と、女性として、モデルとしても通用しそうな茜のスタイルが両者がお似合いのカップルであるような雰囲気を醸し出す。そして茜は純の方をじっと見つめ、再び質問を投げかける。

「誰を想像しましたか?」

 純に向けられるはクリスマス、サンタが来た後の子供のような、希望の込められた瞳。

「だ、誰って」

 口ごもる純のすらりと鼻筋の通った鼻先を、茜は人差し指でちょんっと突く。

「時間切れです。以後はすぐに沙織さんを想像するように。さあ行きますよ」

 淡々と事務的に告げる茜。その瞳は仕事モードに戻っていた。駐車場についてからはドアマンの様に助手席のドアを開け、純に乗るよう促す。一介の大学生である純にとってそれは恐縮極まりなく、体に緊張の糸が張られる。

「仕事場までどのくらいかかりますか?」

「1時間もかからないかと。寝ていていいですよ。こちらも気が散らずに済むので」

 嵐のような出来事の連続だった純にはありがたい申し出だった。ワゴンタイプの車。後ろの席には人が乗っておらず、荷物や衣装ケースがいくつか見られる仕事用の車。けれど運転してもらっている以上、助手席に乗っている以上そうはいかないと茜の申し出を純は断った。

「そうですか、それでは一応これを」

 渡されたのはアイマスクと耳栓。

「いりませんって」

「そうですか、ならばお聞きしたいことがあります」

「なんなりと」

 純が話し相手になるべく茜の方へ耳を、視線を傾ける。

「沙織さんと私、どちらに興奮しますか?」

 今飲み物を口に含んでいなくてよかったと、純は心底ほっとする。突然背後から刺された様な、突拍子もない質問。

「タイプ的には正反対だと推測されるので、一応確認を。沙織さんには黙秘しますのでお気になさらず」

 にしたって答えにくい質問であるのは変わりない。純は返答に悩んだ。

 ①茜と答える。

 ②沙織と答える。

 安易に回答してはこの後の生活に支障が出ると純でも理解はできる。仮に茜と言えば、沙織からのキツイ仕置きが待っている。茜が守ってくれる保証はない。沙織と答えれば、結婚という現実がアリジゴクの様に純を捕らえて逃がさない。

「あ、茜さんって答えたらどうするんですか?」

「結婚はできませんが、友人としてなら沙織さんの許可を受けてお相手しますよ?」

 それは普通の友人ではないだろうと、純は心の中で突っ込みを入れる。そんな中、純はあることに疑問を持った。ただの仕事仲間、相手にしては茜は沙織に対して絶対服従的姿勢を垣間見せるのだ。オンもオフも関係なし。沙織の私生活に茜は何の違和感もないように介入してくるのだ。

「茜さんと沙織さんって、どんな関係なんですか?」

「どんなとは? 仕事仲間、パートナーですが」

 変なことを言いますねと、茜は苦笑する。対して全然変な質問ではないと、純が言う。

「にしても結婚相手を斡旋? って言っていいのかな、私生活まで介入するのは違うんじゃ? 昨日だって料理を作ってましたし」

「その分の報酬はいただいているので」

 もっともな答えを茜は持っていた。

「月収でいえば、大卒、新卒の手取りの何倍以上も私はいただいているので」

「マネージャーってそんなに儲かるんですか!?」

「気になるならこの業界へ是非。沙織さんの許可が下りたらの話ですが」

 無理難題をと、純は思う。そもそも芸能関係に就職なんて考えていないと、茜に言う。

「私とあなた。夫婦で同事務所でマネジメント。素敵だと思いませんか?」

「ええ!?」

「ジョークです」

「もしかしてからかってます?」

「やや」

 手玉に取られ転がされている感がたっぷりな茜との会話。この人と結婚したら絶対しりに敷かれてしまうなと、純は苦笑する。けれど茜の言葉一つ一つに嫌悪感はない。それはそれでありなのかもしれないと純は茜の方をちらりと横眼で見る。

 アイドルとしては難しくても、その鋭い瞳、才女の証であるようなメガネ。すらりとした肢体。モデルや女優で活躍できそうだなと茜を寸評する。

「俺、この状況夢なんじゃないかと思うんですよ」

 純が思ったことを口にする。赤信号でのちょっとした待機時間。

「だって俺、ちょっと前に生まれて初めて握手会言っただけなはずなのに、握手どころか一緒に食事したりいろいろあったり、アパート引き払われたり」

 だから目を閉じて次に目を開けば、この状況はもう無くて、アパートに敷かれた布団で目覚めるんじゃないかと、純は目を閉じる。

「茜さんみたいにきれいな人とは俺、さおりんの握手会行かなかったら縁は無かったし……、こんな大学生にすることじゃないけど、壮大なドッキリなんじゃないかって」

「試してみてはいかがですか?」

 先ほどのアイマスクをつけるように茜は言う。純もゆったりとした様子で茜に同意する。

「じゃあ少しだけ」

「いい夢を」

 もう十分見れたと純は笑った。それは二人と出会ってから出た初めての自然な笑顔。今の一瞬、純の緊張の糸が切られた。沈む夕日のような、儚さを醸す笑顔茜は焼き付ける。純の笑顔を。胸に沸く衝動を。苦しさを。夕日が沈み夜を迎える寂しさを、自分だけがその素晴らしい光景を見られたことを、茜は胸の裡の箱にしまう。

「惜しいですね」

 ハンドルを握り運転に集中しながら、ぼそりと漏れた言葉。他意はない、はずだ。

 彼を送り届ける今だけは、茜は彼と二人きり。ちょろいと言われても仕方がない。きれいな景色が嫌いな人がいるのか、儚さを美しいと思って何が悪いのか、しかもそれが独占出来て喜ばない人がいるのか。

 再度迎えた赤信号で停止した車の中で、茜はちらりと横を見る。その視線に彼は気が付かない。アイマスクで遮られた彼の視線に安心と少々の寂しさを持つ。

 SNSで共有などもってのほかだ、大事なものならちゃんと持っていろと、茜は思う。

「大切なものは目に見えない、けれど目に見える大切なものもある」

 だからこそ彼との出会いを、恩人との出会いを彼女は大切にしようと胸に誓う。

「けれどつまみ食いぐらいなら……」

 さりとて美味しいものが嫌いな人間はいない。


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