ラブストーリーは突然に
いきなり始まる恋。思い掛けない瞬間が人生には複数回あるんです。
それは本当に、ふとした瞬間に…。
焦ったさを糧にして育てたい思い。忘れた方には思い出して欲しいものです。
五月初旬にしては陽射しの強いその日、ふと昼食に立ち寄った喫茶店。別段洒落た造りだったり、居心地が良さそうだったりは感じなかった。
少なくとも、席についた自分に、冷たいお絞りと冷え冷えの水を出しに来た彼女を目に留めるまでは。
特に都会というわけでもない、逆に片田舎と云われることもない。悪く言えば詰まらない街の喫茶店。
そこに立ち寄った自分も、悪く言えば詰まらない人間に他ならないのだが。今はそんなことはどうでもいい。
目の前に立つ、小柄で愛らしいウェイトレスを見た瞬間、周りの時間が止まったような気がした。ただの錯覚かとその時は深く考えなかったのだけれど、今思い返すに、確かにほんの数秒ではあるが止まったのかも知れない。
「ご注文が決まりましたら…」
こういった店にありがちな当たり障りのない一言を落として踵を返す彼女を目端に捉え、その動向を追っている自分に気づきはっとする。
見た感じは若そうだが、歳は恐らく30前後であろうか。
そんなことを考えつつ、手をアタッシュケースに伸ばす。
そういえば急ぎの仕事を済ますために落ち着けそうな店を探していたのだ。
ふうと浅く息を吐き、アタッシュケースから茶封筒を取り出す。そして目線を店のパントリーへと走らせ思い掛けず心臓が跳ねた。
パントリーで洗い物をする彼女と視線が合ったような気がしたからだ。
一度逸らしたのち、再びそちらを向くと、やはり彼女はこちらを注視していた。何故だろうか。もしかしたら怪しいと感じ、こちらの動向を観察しているのではなかろうか。
そう考えながら目線を巡らせ気づく。
「ああ、注文がまだだからか…」
何のことはない。彼女は一向にオーダーしない自分に対し、注意を払っていただけなのだ。
そんな結論に至り、恥ずかしさがこみ上げてくる。なんて自意識過剰なのかと。逆に彼女はプロなんだな、と。
いつ声を掛けられても対応できるよう、神経を使ってくれているのだな、と。
些細ではあるが、それができる人は尊敬に値する。どんな職業であれ、追究すればするだけ楽しみや面白さは無限に広がっていくのだから。
彼女はそれを知っているのだろう。だからできているのだろう。流石だな。
「ご注文、お決まりになりましたか?」
「え?」
虚を突かれ拍子抜けしながら声の主を仰ぎ見る。そこに立っていたのは件の彼女だった。いつの間にか自分のオーダーを聞きに来ていたのだ。
ふんわりとした微笑を浮かべ、それでいて微かに申し訳なさそうに眉根を顰めながらだ。
もし下から覗かれながらその表情を向けられたら、大抵の男は悩殺されてしまうのでは、と思えるほど愛らしく感じた。
というより、恐らく私自身、既にその時点で魅了されてしまったのではなかろうか。今更ながらそうとしか思えないのだ。
「あ、いや…まだ。あ、じゃあ…このセットで」
慌てて脇に置き放されたメニュー表に素早く目通しし、無難だろうと思えるセットメニューを指で指し示す。
彼女からしたら、急かした訳ではないのだろう。そういった雰囲気というか気配は感じられなかったし、オーダーを急いでいるような口調でもなかった。
それでも私の返事に妙な気遣いはないまま、いわゆるビーナスの微笑みで承りの旨を伝えてくれた。
「畏まりました。お飲物は何になさいますか?」
そう問われてメニュー表を改めて見やると、単にコーヒーといっても数種類ある。一瞬迷い、敢えてと思いホットブレンドを付けてもらいたいと言葉を返すことにした。
「畏まりました。なるべく急ぎでお持ちしますね」
聞きなれない言葉を残して席を離れて行く彼女を目線で追い掛け、つい今しがた耳に届いた音色を反芻する。
不思議な女性だと思う。普通なら、しばらくお待ちください風な接客用語を用いるであろうに、なるべくお急ぎで、だ。
実に不思議に思う。多分に彼女のキャラクターだとは思うが、違和感を抱かせないのは大したものだ。立ち振る舞いとマッチしていて、萌えとはこんなものなのかと勝手に解釈し満足した。
そして、この時点で私は彼女に恋をしていたのかも知れない。




