降格者
モービルのお陰で、カイはすぐに見つかった。全身火傷だが、息はあった。
「とはいえ、すぐに医者がいるな。頑張れよ、カイ!」
「そいつは地表の人間か?」
モービルを操りながら、ジンが言う。
「ああ、だから、地表の病院にしか行けない。」
「“降格”は難しいか。相変わらず。」
一呼吸あって、「まぁな。」と、ダンが答えた。
「なら、穴から一気に地表に出る。俺もそっちの方が都合がいい。」
ジンの含みのある言い方に、ダンはまさかと思い、訊いた。
「おいジン、このモービル、どうやって調達した?」
少しの沈黙の後、答えが返ってきた。
「少々、派手にやらせてもらった。」
「馬鹿野郎。」
つまり、強奪してきたということか。全く、普段はひょうひょうとしながら、やると決めたら滅茶苦茶だ。本当に、変わっていない。
「地下に“降格”して、順法意識が芽生えたのか?大丈夫だ、ちゃんと返すよ。適当にパーツを抜いたあとで。」
「ふざけた野郎だな、相変わらず。」
しかも抜け目がない。
「地表は、久しぶりだろう?そこのガキを病院にぶち込んだら、『CASPER』に来いよ。」
「ああ、だが、長くはいられない。」
「カミさんと、子供が待ってるからな。」
「何でそれを!?」
結婚したことは知らせたが、子供が生まれたことはまだ知らせていない。
「ここに来る前に会った。良い奥さんだな。」
「そうか…お前、ミサに余計なこと言ってねぇだろうな。」
ジンは女好きというわけではないが、昔からやけにもてた。
「人妻に手は出さないよ。娘さんが大きくなったら、分からないが。」
「それ以上言ったら、テメェも病院送りだ。」
ジンは口の端を曲げると、少しモービルの速度を上げた。
※※
「むぅ~。」
アヤは少しうなってから、玉将を後退させた。本当は斜め下の銀を取りたかったが、桂馬が効いていた。
「粘るなァ、アヤちゃん」
ドクが白髪をかきながらうなる。勝負の大勢は決まったと、手を緩めたのがまずかったか。
「当たり前です。あたし、諦め悪いですから」
「確かに、ナ!」
そう言って、銀を玉の前に置く。
「そう言えば、ジンさんはどこです、か!」
銀の横に玉をつける。
「採掘、ダ!」
しまった、銀を成らせるのを忘れていた。
「でも、あそこって、地下だから、通行証がいるでしょ?」
銀を取られてしまう。やはり、一手遅れたか。しかし、ドクの持ち駒は豊富だ。
「色々とツテは、あル!地下への“降格者”の連中の、な。」
飛車を置く。キレの無い手だが、それでも王手だ。
「本当に顔広いんですね、ジンさんて・・・はい、王手!」
「エ?」
アヤの声に、ドクは目を疑った。
角に飛車を取られた先に、自分の王将があったからだ。さらにこれは―――
「詰んダ?」
「はい、詰みです。やったー!やっとドクさんに勝てた!!」
喜ぶアヤと、ショックを受けて、呆然とするドクの元に露出の多いツナギを着たネルがやってきた。
「あら、ドク負けたの?珍しいわね」
「粘り勝ちですっ!」
アヤが嬉しそうに言う。
「フフ…そうね。アヤちゃんなら、分かる。ジンが帰ったよ」
「本当ですか!?」
そう言って飛び出して行ったアヤを見送りながら、ネルは呟いた。
「本当に似てるわ、レンに―――ほら、ドク、仕事だよ。片づけな。」
放心状態のドクにネルが言う。
「負けタ・・・・・・負けタ・・・・・・。」
※※
造船ドック『CASPER』は地表スラム街の中心部にあるガレージだったが、現在“諸事情”により、旧時代の名残である、地下施設へと姿を変えていた。
「火事でも起きたか?」
ダンが冗談で言うと「ああ、テロの標的にされた」と、ジンは返した。そして、モービルから出る。
「ジンさん!」
声がした方を見ると、17、8歳くらいの少女がジンを出迎えていた。服装から、地下の住人だと分かる。髪が短く、活発そうな印象だ。
「どうしたお嬢さん、嬉しそうだな。将棋にでも勝ったか?」
「え?何で分かるんですか?」
それには答えず、ジンはダンを手招いた。
「このお嬢さんが、俺のクライアントだ。無担保で、俺達をこき使ってくれてる。」
「う……」
お嬢さん、と呼ばれる少女――アヤは反論できず、黙る。
「前から思ってたが、酔狂な野郎だな、お前は。」
「貧乏との付き合い方は心得てるからな。あとは、面白いかどうかだ。」
「変わらねぇな。」
苦笑するダンにネルが言う。
「あんたは変ったわね、ダン。地下に行って、丸くなったみたい。」
「地表と同じってわけにはいかねぇさ。地下には地下のローカルルールってもんがあるしな」
「ダンさんは地表に住んでたんですか。」
アヤが訊く。
「ああ、そうだ。いわゆる“降格”って奴だ。」
地上から地下への“降格”。地下からさらに深い地下へとは違い、審査は厳しいと聞く。
「ミサのお陰だ。あいつがいたから、俺も地下に行けた。」
そう言って、立ちあがる。
「そろそろ、帰るぜ。家族を待たせてるし、明日からも大変だからな。」
「そうか、なら俺も一緒に行こう。まだ燃料を調達していないし、落し物があるみたいだ」
「え?ジンさん、またスパナ失くしたの。」
「落としただけさ。」
「いい加減にしろよ。この間も大変だったろ?」
ネルに言われ、ジンは肩をすくめて見せた。
※※
事故発生から約10時間になろうとしていた。採掘場へ続くエントランスは、さながら野戦病院だった。
「いや、それが、いないんですよ。」
ダンの安否を訊かれた救助隊の言葉に、ミサはうなだれた。同僚の話によると、仲間を助けに行ったきり戻ってこなかったという。
「モービルも一台盗まれているし、どうなっているんだか―――」
そう言って、隊員がミサから離れた時、肩に手が置かれた。振り返ると、ゲートの通路で会った男が立っていた。
「やぁ、奥さん。」
「あ!あの―――」
「自己紹介がまだだったな。船大工のジンだ。よろしく、ダンの奥さん」
「え?何で知ってるんですか?」
「あそこにいるんだが、怒られるのが怖いらしい。」
そう言ったジンの指差した先に、ダンが、ぎこちない笑みを浮かべていた。
「色々事情があって、先にエスケープしてたんだ。だか……ら?」
ジンの言葉が終わらないうちに、ミサはつかつかとダンに寄っていった。
鞭を打つような軽快な音が響いた。強烈な平手だ。ジンは我知らず口笛を吹いていた。
「あ!そうだ、ジンさん!?」
一発食らわせてスッキリしたのか、快活な声でミサが言った。
「これ、あなたのでしょう?」
そう言ってスパナを渡す。
「おお、そうだ。」
「大事なものなんですか。」
渡されたスパナを手でくるくる回しているジンにミサが言った。
「ああ、その割に、最近よく落とすんだ。」
ジンはスパナを懐に入れた。
※※
地表から地下へ“降格”をするには、二通りの方法がある。
一つ目は採掘場で採掘作業に従事しながら、政府の査定を受けることだ。
最も確実ではあるが、審査は厳しい。
多くのテスト、人物評価、地表での犯罪歴などを細かく調べられる。
採掘場に10年従事しても“降格”できない者もいるほどだ。
もうひとつが、地下に住む人間との結婚、婚約、もしくは養子になることだ。
ダンは採掘場の事務作業に従事していたミサと出会い、婚約し、地下の住人となった。
「なんであんなのと一緒になりたいと思ったんだ?」
ジンがぶしつけに訊く。ミサは笑って答える。
「さぁ、何ででしょう?」
ここは地下都市B1区画、採掘作業者のためのアパートの一室で、ダンの家だ。
「すぐにおいとまする予定だったが、済まないな奥さん、手間をかけさせて。」
「ミサでいいですよ。それに、ダンの友達なら大歓迎。」
通常、地表の人間は地下の居住区画には入れないのだが、地下の住人の紹介状の発行によって通行が許可されるのだ。
「私の父がB1の管理局で働いている関係で、手続きは簡単に済むんです。」
「こちらとしては好都合だが、公務員としてはどうなんだろうな。」
とはいえ、B1は地表から近い分、そういったチェックは割と緩めなのだろう。
「ダンも事後処理に忙しいみたいだし、今日は泊まっていってください。燃料は明日、保管庫に取りに行ってもらって。」
「ああ、そうさせてもらおう。」
「あの、ジンさん。」
「ジンでいい。」
「ダン、地表ではどんな人でしたか?」
「なぜだ?」
「あの人、地表のことは何も話さないから。」
「あいつが話さないなら、俺も何も言えないな。」
「そうですよね……」
「ミサ。」
ジンが一層真剣な声色で言う。
「はい?」
「ダンは、俺達の仲間だった。だが、今では地下の住人だ。それはあいつが選んだ道で、望んだ道だ。今のあいつを、見てやって欲しい。」
「はい、でも、何だかあの人、地表にいる時は地下の人にすごく劣等感を持っていたみたいで」
ジンは肯定も否定もしない。
「ダンは不器用なんだ。」
「え?」
「いる場所や立場や環境によって、押しつけられる役割ってのがある。劣等感や優越感も、役割によるのさ。あいつは、そういうことを意識し過ぎるところがある」
ジンはそういうと、ミサの目をじっと見つめた。
「な、なんです?」
光をあまり反射しない、黒い目だ。
「疲れているな。少し休んだ方がいい」
「あ、最近、アイの子守りで寝られなくて。」
申し訳なさそうに言うミサに、ジンが首を振る。
「それで、あのぶっきらぼうなダンナとくれば、気苦労が多くて当然だな。俺には構わず、休んでくれ、赤ちゃんも、寝てるようだし。」
「……。」
ミサが目をこすったので、ジンは眠たいのだろうと思ったが、違った。
「すみません、ちょっと気弱になっちゃってて。」
自分の意思に反して流れる涙を処理できず、ミサが言い訳をするように言う。
「泣き疲れたらぐっすり寝られるさ」
言いながら、今ダンが帰ったら危ないかもしれないと、ジンは思った。