採掘場
第二話スタートです。
アイがぐずりだしたのを、乳母車を押す手も感じ取った。
(ああ、もう!)
今日はこれで何回目だろう。何が気に入らないのか、朝からずっとこの調子だ。
「もうすぐお家だから、ね?」
昨夜からほとんど寝ていないせいで、乳児に対して懇願するような口調になっている。
しかし、幼いエゴの塊は、こちらの願いなど、お構いなしに泣き続ける。
ため息を吐くととともに、鼻の奥がツンとしてきた――いけない。しっかりしなくては。
夫は今日も帰りが遅いだろう。気弱になってはこの子を守り切れない。
『ゲートストリート』の無機質な通路の脇で、手足をバタつかせて泣き喚くアイを必死であやす自分を、見るともなしに人が通り過ぎて行く。
そう、頼れるのは、自分だけなのだ。この子にとっても―――
「随分元気だな。何が気に入らないんだ?」
出来上がりつつあった強迫観念を壊す声が後ろから聞こえた。
「抱いてやれ。」
声の主は、長身で痩身の若い男だった。少々汚れたツナギを着て、首にバイク用の大きなゴーグルをぶら下げている。
「乳母車は、俺が押そう。あんたは、その子を抱いてやれ。」
「え、でも……」
「その子は今、甘えたくて泣いてる。将来、甘え方が分からなくて泣きださないように、今は甘やかしてやるんだ。」
大きくは無いが、深く、低い声で言われるとそうせざるを得なくなる。いや、できればそうしたかったのだが、乳母車がネックだった。
アイを抱き、しばらく揺すってやると、次第に静かになった。
「どこに行くんだ?まぁ、俺が行けるのは、B1の手前までだが」
男はそう言って、ゴーグルの下に隠すようにぶら下げたゲートの通行許可証をひらひらさせた。
「首飾りがサマにならないな。」
そう言って苦笑する。そうか、この人は地表の―――
「―――B1ですので、そこまでお願いできますか?」
「分かった。」
軽く答える男を見て思った。
地表の人間は、地下の人間に対して過剰な劣等感があるように思っていたが、この男からは、そんな感じはしない。とても自然だ。ただ、少々気だるげな態度が気になるが。
「あの、何で、ゲートに?」
数分沈黙が続いたので、恐る恐る話しかけてみた。眠たそうに半分開かれた目が怒っているようにも見えた。
「ゴミをさらいに来た。」
「――採掘のことですか?」
「地下ではそう言うのか。」
「ええ、まぁ。」
地表でも『ゴミさらい』なんて言わないんじゃないかと思ったが、黙っていた。
「あの―――」
「何だ?」
どうやらこちらが話さない限り、会話をする気は無いらしい。
変わった人物だと思った。
自分から手を差しのべながら、こちらには何も求めない。
「この子のこと、ありがとうございました。本当に。」
「……どこでも子育てってのは、苦労が絶えないみたいだな。俺には真似できない」
「フフ、怪獣です。寝てると可愛いのに、ね?」
そう言って、アイの鼻をつん、と突いてやる。男が少し笑ったように見えた。
「私の夫も、採掘をしてるんです。主に資源関係。あなたは?」
「色々だ。船に必要なガラクタ、燃料―――」
「船を造ってらっしゃるんですか?どんな船を?」
この時代、船と言えば宇宙船だ。地表にも造船ドックがあるのかと思い、興味が湧いた。
「おっと済まない、企業秘密なんだ。」
「そう、ですか。」
「色々と、揉め事があってね。」
そう言って、髪をくしゃくしゃとかく。どうやら、それ以上は言えないらしい。
「おの、お名前は、なんて―――」
そう訊いた瞬間、地鳴りのような音が響いた。微かに足元が振動する。
「採掘場の方か?」
男の呟きに、体が恐怖に震えた。
「ダン・・・…!!」
思わず、夫の名を口にし、アイを抱きしめた。
「悪いな奥さん。俺は先に行く。」
男が採掘場の方へ走っていく。
「……あれ?」
男が何かを落とした。
これは、確かスパナと言うんだったか―――
※※
この星の『採掘場』は、未だダストと化していない旧時代の資源を掘り出すために、星の地表にスリバチ状の穴をあけた場所である。
深さはB1程度。旧時代の人間はよくこんなに埋めたものだと感心していたが、こういうトラブルの元になるのはやはり感心しない、とダンは思った。
「おい!何を掘り出したら火柱が立つんだ!?ええ!?」
ダンはその体格通りの野太い声で叫んだ。休憩用の小屋の片隅、若い作業員が口を開く。
「カイが……旧時代の燃料タンクを見つけて、開けたんだ。俺は止めたんだが……」
「馬鹿野郎、人造燃料は古くなっても燃焼しやすい。せいぜいタバコでもやりながら作業してたんだろうが。」
これだから頭の悪いチンピラは嫌いなのだ。自分の若い頃を棚に上げて、ダンは舌打ちをした。
「収まらねぇな。まぁ、当然だが。」
廃棄物なので燃料としての効率は悪いものの、固形人造燃料は一度火が付くとなかなか消えない。
「救助は呼んだか?」
「はい、でも、応答が無い。」
「クソッ!」
ここの作業員は、ほとんど地表スラムの人間。“軽い命”という奴だ。
「カイはどこだ?」
「まだ外に。」
「ちっ、ぶっ殺してやる前に死なれたんじゃたまらねぇ。」
ダンは意を決して、小屋から出た。耐熱性の防護服こそ着ているが、安物なので効果のほどはあまり期待できない。
ざらついた土の感触を確かめる間もなく、体を熱気が襲う。採掘場のあちこちに火の手が上がっていた。
古いせいなのか、人造燃料は燃えると同時に爆発したのだ。ダンたちはすぐ小屋に避難したが、カイはいなかった。
死んだか?だが、生きている可能性を諦めるわけにはいかない。
―――ダンは、防護服越しに伝わる熱気を感じながら、血が騒ぐのも、また、感じていた。
あの頃のことを、思いだしている。無茶苦茶な小僧だった頃、周りには、あいつらがいた頃。
あちらこちらで火柱が立っているが、燃えている人造燃料はバラバラになっている。重機による回収で事足りるだろうと思われた。
ただ、その重機、および救助が一切来ないのだが。
10mほどの掘削機に寄りかかり、息を整える。炎のせいで、思うように動けない。
(ダメか……ん?)
頭上から大きなエンジン音が降ってきた。この音は―――救急用モービル!
ダンは視線を上げると、採掘場の傾斜をモービルが猛然とで駆け下りてきてた。真っ直ぐに。
(おいおい。)
モービルはスリバチ状の穴を螺旋状に走るものだ。
あんな命知らずのショートカットをB1の救助隊がやるわけがない。
モービルが跳ねた。こちらに飛んでくる―――って、「なんてことしやがる!!」と、ダンは悪態をつきながら慌てて飛び退く。
小型トラック大のモービルは、ダンの居るところから数mのところに着陸した。
舞い上がった砂ぼこりのお陰で、少し炎の勢いが収まった。
(何者だ?)
モービルの操縦は一見無茶苦茶だが、どこか自信に裏打ちされた無茶のようにも見えた。
ダンは目を凝らし、モービルの操縦席、強化耐熱ガラスの向こう側にいる人物を見定めた。
「―――あ!」
まず目が合い、その瞬間察した。
あの覇気の無い、しかし、その奥に秘めた何かに惹かれる、眠たそうな目。
≪よぉ、ダン。その白装束が、地下で流行りのファッションか?≫
モービルの拡声器から聞こえた軽口で、確信した。
どうせこちらの声は聞こえないだろう。小声で「クソ野郎が」と言ってやった。
≪おい、クソ野郎は無いだろう?せっかく、地表のドブネズミが助けに来てやったのに。≫
ジン。ふざけた野郎だ。相変わらず。