明日香の無念
純粋な悪意に満ちた視線が、明日香の全身を射抜く。
「や、やめてください。来ないで!」
明日香は背筋に悪寒が走り、思わず一歩後退した。周囲を見渡すと、誰もいない。いつの間にか廃材置き場のような所に迷い込んでいて、暗闇が空を覆いつくそうとしていた。
おそらく、助けを呼んでもムダであろう。その事実を知って明日香は思わず息を飲んだ。
そんな明日香のリアクションに満足したのか、不良たちはますます下品な笑いをエスカレートさせる。
「おい、どうするよ?」
「そうだなあ。こいつこんな可愛い顔して、男なんだろう? ちゃんと『付いてる』かどうか、確かめるってのはどうだ?」
「ぎゃはは! それ賛成~!」
「じゃあ、俺が確認してやるよ。へへへへ」
不良の一人が明日香にまっすぐ近付いた。
しかし、明日香は体がすくんで動けない。だんだん距離が縮まっていく明日香と男。そして、ついに――。
「嫌だ、離して!」
「つーかまーえた。お!? なんだよ、こいつ……女みてーに柔らけえ。そ、それになんかいい匂いがするぞ……」
汚らしい顔をした不良が、明日香の手首をつかんで顔を近付けてきた。男の青臭い吐息が明日香の鼻腔を刺激し、さらに恐怖が体中に倍増する。
明日香は思わず身をよじらせるが、男から逃げることはかなわない。
「誰か……助けて……」
「へへ。誰もこねーよ。ここは俺たちの秘密基地なんだからな! いひひ。さーて。それじゃ、確認させてもらいますか」
不良の右手が明日香に伸びる。
明日香は、目を閉じそれに耐えようとした。
「ケダモノめ。死んで詫びろ」
ナイフのように鋭い言葉。そして、衝撃!
恐る恐る目を開けると、目の前には愛歌がいて、明日香をつかんでいた男を蹴り飛ばしていた。男は塀に頭を打って気絶している。
「く、来ヶ崎さん? どうしてここに……」
「気にするな。偶然通りかかっただけだ」
愛歌は静かに笑うと、明日香の頭にそっと手を乗せ、優しくなでた。
「日比谷。何も恐ることはない。お前は私が守る」
「こいつ! 朝の!」
「おい、お前ら。武器出せ。今度はしくじるんじゃねーぞ。女に生まれてきたことを後悔させてやれ」
「おう!」
不良に囲まれる愛歌。幼く可愛らしい少女の顔には、動揺や焦りといった感情は無い。あるのはただただ――。
「晩飯前の腹ごなしにちょうどいい。私が遊んでやろう」
――余裕。
「このアマぁ! ぶっ殺してやる!」
「死にさらせ!」
四方から一斉に飛びかかる不良たち。手には鉄パイプやナイフ。スタンガンを持っている者もいる。
「笑止」
揺れる。不良たちの視界も、愛歌の胸元も。
疾風迅雷。その四文字熟語がこれほど形容するに相応しい場面はない。
愛歌は前方の不良のナイフを叩き落とし、左胸に掌底を打ち込むと、背後に回り込み、盾にした。
「うげえ!?」
盾にされた不良に、鉄パイプとスタンガンが直撃する。
「あ、アツシ!?」
「てめえ、よくも……!」
烈風を巻き起こしながら、不良の鉄パイプが愛歌の額をえぐり取るべく迫る。
「遅い」
愛歌は左手でそれをつかむと、右手で鉄パイプに力を加え、不良を転倒させ、腹に肘を落として戦闘不能にする。
「こ、このロリ巨乳! スカート切り裂いて、ヤっちまぞ、こら!」
愛歌の背中にスタンガンを当てようとした不良は、スカートの下からのぞく細くて小さな足によって、鮮やかに宙を舞った。
スカートをはためかせ、後ろ回し蹴りを決めた愛歌は、そのまま最後の不良と間合いを詰め、正拳突きを腹に直撃させた。
「他愛もないな。日比谷、ケガはないか?」
「うん。ぼくは、大丈夫。来ヶ崎さんは……?」
手をパンパンと叩き、スカートからほこりを払った愛歌は、涼しい笑顔で明日香の頭をなでる。
「問題ない。お前が無事ならそれでいい」
「でも、来ヶ崎さんは女の子なのに……こんな危険なこと……。本当は、男のぼくが来ヶ崎さんを守ってあげなきゃいけないのに……情けないよ」
明日香はうつむくと、熱くて悲しい雫を瞳に浮かべていた。
悲しいのではない、悔しいのだ。何もできなかった自分に。
「日比谷。これを使え」
うつむいていた明日香の視線の先に、白いハンカチが差し出される。
「ありがとう……」
そして、再び愛歌に頭をなでられた。
「……気にすることはない。男が女を守るだの、女が料理を得意とするだの、前時代的だ。そんなものにこだわる必要がどこにある? 確かに私は武術を幼少の頃より叩き込まれて育ってきたが、それ以外はからきしだ。『女子厨房に入るべからず』と言われていてな。家事なんぞ、まったくできん。威張れることではないがな。それに引き換えてお前の料理の腕は大したものだ。感心させられたよ」
「そんな……ぼくなんて……」
「私にできないことをお前はできる。お前ができないことを私ができる。ならば、私たちで補え合えばいいではないか。人という字は互いに支え合っている。私とお前も支えあえばいい。だから――」
愛歌は、うつむいていた明日香の顔を引き寄せた。
「私の元に来い、日比谷。お前が必要だ」