明日香の兄妹ゲンカ
愛歌は明日香を抱き寄せると、頭を優しくなでた。
「く、くくく来ヶ崎さん! やめてよ。恥ずかしい、よ……」
明日香は愛歌の胸の中で、真っ赤になってうつむく。
「……ごめんね。ぼくも来ヶ崎さんのこと、何も考えてなかった。ぼくは、来ヶ崎さんから逃げていたのかもしれない。ぼくは、来ヶ崎さんが理想とするお父さんのような人になりたい。優しいだけじゃ、何も守れないもの」
「日比谷……!」
「ああ……感動的な再会とラブシーンの真っ最中で申し訳がないんだが……愛歌。お前にはここで死んでもらうよ」
「兄上」
愛歌は明日香から離れると、大牙に振り向き対峙する。
「空気の読めない兄ですまないね。だが、今や私は一組織のリーダーで、部下を持つ身だ。示しはちゃんと付けておかなければ、ね。いちゃいちゃするのは、私を殺すか、私に殺されて死体になったときにでも、頼むよ」
「日比谷、離れていろ」
愛歌は一歩踏み出した。そして、明日香を守るように両手を広げる。
「日比谷には指一本触れさせん。日比谷を悲しめる者は神であろうと仏であろうと悪魔であろうと……兄だろうと、許しはせんぞ!!」
大牙はクールに笑うと、腕を組み胸を張った。
「やれやれ。私はすっかり嫌われたなあ。いいだろう、さあ、おいで。可愛い愛歌。五年ぶりの兄妹ゲンカだ。ただし、命がけの、ね」
「兄上!」
「愛歌!」
互いの名を呼び合い、互いの拳が激突する。
「おお? 五年前ならば、今の一撃でお前をノックダウンできたのだが……成長したな、愛歌」
「五年前の私と同じだと思うなよ、兄上。私は、兄上が家を捨ててから、死に物狂いで鍛錬を積んできたのだ! この五年間の恨みを、その身に受けてもらう!」
「相変らず、お前は愛しくて大切で……バカな子だ」
「何?」
「来ヶ崎流古武術奥義の弐」
大牙は拳を引き、愛歌の拳を蹴り上げた。
愛歌は無防備な体勢で空中に放り出される。
「ぐ!? これは!」
「七時雨」
疾風怒濤の七撃が愛歌の背中に直撃した。
「私が手加減してやらねば、お前はすぐに泣き出してしまうからなあ。ああ、懐かしい。泣いたお前はすぐに母上の背中に隠れて、虎の威を借る狐になるんだ。その度に私は納屋へ連れて行かれて、母上に打たれたよ。何度も何度も。母上のセリフはいつも一緒だった。一言一句覚えている。『来ヶ崎の後継者になんたる振る舞い。お前は兄として愛歌の為に生き、愛歌の代りに死なねばなりませぬ。その兄がなんというザマですか』、とね」
「母上が……そんなこと、を?」
「来ヶ崎の家は、長女が継ぐ。兄である私がお前よりいかに優れていても、母上に認めさせることはできなかった。無駄な努力ばかりを積み重ねた結果が、今の私だ」
大牙は自嘲気味に笑うと、窓の外を見た。
「私はね。お前のことが憎くて憎くて、仕方がなかったんだよ。今もそうだ。お前を殺せると思うと、拳が震えてくる」
「だから、五年前……無断で家を飛び出したというのか、兄上! それも、来ヶ崎流を用いて悪事を働くなど!」
「お前にはわかるまい! 私がいかに……いかに苦しんできたのか。お前が愛しいと思えば思うほど、お前に対する憎しみも大きくなっていく。……もう疲れたのだ。お前の兄でいることに」
「兄、上……」
「だから、愛歌。せめて愛しい妹のまま、美しい思い出のまま、お前を殺させてくれ」
大牙は視線を窓から愛歌に移した。瞳には悲しみの雫が宿っていた。
「ふざ……けるな!」
愛歌は立ち上がる。彼女もまた、瞳に悲しみの雫を宿していた。
「この五年間、母上がどれだけ心を痛めておられたか、兄上は知らんのだ! 毎日毎日涙を流し、ごはんのお代わりも九杯から三杯にまで減り、酒も飲まなくなって……悔やんでおられたのだぞ!」
「な、なに? 九杯から、三杯……だと!? バカな……」
「驚くとこ、そこなんだ……」
明日香はシリアスシーンなのに呆れた。
「兄上はいじきたなく私のおかずを横からさらっていき、あげくには食後の果物まで独り占めする。えびの天ぷらを身だけ食って、しっぽを返したときは天地を揺るがす合戦となったわ。そんな兄上でも、母上は心配していたのだぞ!」
「言わせておけば……お前こそ、私が大切にとっておいた鶏の照り焼きを勝手に食ってしまったではないか! それに飽き足らず、私が目を離したスキに、さんまの塩焼きをどうどうと食っておきながら、『足が生えて歩いて行った』とぬかした瞬間、お前の口からはみ出たさんまのしっぽを見て、我が目を疑ったわ!」
「いきなりスケールが小さいよ……」
明日香はシリアスシーンなのに呆れた。
「それでも母上は……兄上を失うくらいならば、家を兄上に継がせればよかったと、家の決まりなど守らねばよかったと、いつも……嘆いておられたのだ」
「母上が……バカな……」
「私とて、私とて! 兄上の帰りを待ちわびていたのだぞ! 今でも私は……妹として、兄上を愛しているのだ!」
「ふ。ふはははは!」
熱く語る愛歌を嘲笑うように、大牙は肩を震わせ笑った。
「全ては遅い。もはや、手遅れなのだ。回り始めた歯車は止めることなどできん。我ら兄妹に残された道は、どちらかの死。愛歌。お前も武士の家に生まれた身ならば、潔く覚悟を決めよ」
「兄上……!」
「刀で決着を付けよう」
大牙は展示されていた刀を二本とり、うち一本を愛歌の足元に放り投げた。
「来ヶ崎流古武術奥義の八。お互いの全てをかけた一撃で、決着をつけよう、愛歌」
「兄上……私は……!」
「くどい! お前がやらぬというのなら、私はこの手で明日香さんを殺す。お前に私を殺すきっかけを新たに作るだけだ」
大牙は鞘から刀を引き抜くと、刃を明日香の方へ向けた。
「……日比谷に手は出させん」
愛歌は涙をぬぐうと、刀を拾って構えた。
「ゆくぞ! 愛歌!」
「兄上が、それを望むならば……!!」
愛歌は、刀を鞘に納めたまま左の脇に持ち、右手を柄に添えた。それは、居合いの構えだった。
「来ヶ崎流古武術奥義の八は、刀を用いた高速抜刀術。お前のこの五年間を、見せてみろ」
「言われずとも……!」
大牙もまた、居合いの構えを取る。
お互いが睨み合い、じりじりと、互いの間合いを探りあい、刺すような空気が展望室にたちこめた。
明日香は息苦しさのあまり、生唾を飲む。呼吸を忘れるくらいに張り詰めた空気は、生きた心地がしない。
「兄上!」
「愛歌!」
「「来ヶ崎流古武術奥義の八」」
突然やってきたそのとき。それは一瞬だった。
「「一風」」
愛歌と大牙の体が交差すると同時、すべてが終わっていた。
「ぐ!?」
「く、来ヶ崎さん!?」
「くるな、日比谷……!」
腕を押さえて崩れ落ちる愛歌。
対して大牙は、涼しい表情で愛歌を見下ろしていた。
「かろうじて急所を外したか、だが……次はないぞ、愛歌。次こそ死んでもらう……許せ」
「私は死なん」
愛歌は刀を支えにして立ち上がった。瞳に浮んでいるのはもはや悲しみの雫ではない。
「私は欲張りな女なのだ、兄上。日比谷を手に入れる。そして、優しい兄を取り戻す。その為に何度でも立ち上がろう!」
闘志。燃えたぎるような熱い想いを胸と瞳に秘め、愛歌は再び構えを取る。
「兄上の一風は私の一風よりも速い。ならば――さらに早くなれよいだけのこと」
「お前には無理だ、愛歌」
大牙もまた、構えを取り直した。
「いや、できる。来ヶ崎流古武術奥義の零をもってすれば」




