明日香の早弁
「来ヶ崎……? もしかして……来ヶ崎さんの?」
明日香は、すでに大牙が消えたあとの道路を見て呟いた。
「ふう。馳走であった。さすがにもう入らん」
「あ、来ヶ崎さん! もう、遅いよ!」
牛丼屋から、満足気につまようじを口にくわえて、出てきた愛歌の姿を見つけると、明日香は駆け寄った。
セーラー服の女子高生が朝の牛丼屋から出てくる姿は珍しいが、さらに口にくわえたつまようじなどは、少しおっさんが入っている。
「実はさっき――あ、もうこんな時間! それどころじゃないや。急がないと、遅れちゃうよ!」
「む? もうそんな時間か。それより聞いてくれ、日比谷よ。牛丼とは何故あんなに安く、うまく、早いのか!? これは非常に大きな謎であるぞ。私は牛丼に惚れた。ああ、勘違いするなよ、日比谷。一番はお前だ。お前の隣に牛丼が置かれようと、迷わずとも……ま、迷わずとも……ぎゅう、いやいや! 日比谷を取るに決まっている! うむ、そうに違いない!」
「そ、そんなのどうでもいいよ~。来ヶ崎さん、早く行こう。遅刻しちゃう!」
明日香は携帯の画面で時刻を確認した。すでにリミットラインに近付いている。
「俺に任せろ、幼馴染よ!」
「あ、ナイトくん!」
おろおろしていた明日香に声をかけたのは、ナイトだった。腕組みをして、怒りに満ちた顔で明日香を見た。
「ひどいぞ、幼馴染よ! 俺を置いて、美少女ときゃっきゃっうふふしながら登校するとは! 爆発しろ! 幼稚園から墓場まで一緒だと誓い合った俺たちの熱く固い友情は、どへいった!? 同棲までしやがって……もう一回爆発しろ!」
「そんな約束してないよー。ナイトくんのことすっかり忘れてたのは、謝るけど……それより、ナイトくんも遅刻しちゃうよ?」
「ふん。慌てることなどない。俺には秘策があるからな……土下座という、秘策がな。くだらんプライドなど捨て去り、全身全霊で謝罪する……ふ。これぞ日本の様式美」
ナイトはかっこよくあごに手をあて、白い歯を見せた。だが、口から出たセリフはかっこよくなかった。
「遅刻することが前提になってるよね、その秘策……もう。しょうがないね、とりあえず行こう?」
「日比谷よ、案ずることなどない。あれを使おうぞ。あれならば、絶対に遅刻などせん」
「え、あれって?」
愛歌の視線の先には、捨てられたリヤカーがあった。
「人力車というやつだ。日比谷はそこに乗れ、私のカバンは頼む」
「その、本当に……いいの?」
「うむ。これならば、飛ばせば遅刻はおろか始業5分前までに学校入りできるだろう。これぞ最高のえこである。私の体力が動力なのだからな!」
愛歌は大きく胸を張った。
「でも、来ヶ崎さんの食欲を考えると、あまり燃費は良くないような……。まあいいや。じゃあ、お邪魔するね」
明日香はリヤカーの荷台にちょこんと小さく乗っかると、愛歌からカバンを預かった。
「ひゃっほう! これで俺も遅刻せずにすむ!」
「誰がお前まで乗っていいと言った?」
ナイトもリヤカーの荷台に乗ろうとするが、それを愛歌の冷酷な視線が貫く。
「へ?」
「この車は日比谷専用だ。お前は今すぐ走って学校に向うがよい。運がよければまだ間に合うかも知れんぞ?」
「あの、来ヶ崎さん。ナイトくんも……」
「参る」
「わ!?」
急発進した愛歌号。明日香は振り落とされないようにするのが精一杯で、後に遠ざかっていくナイトを心配する余裕はなかった。
そして、愛歌の宣言通り始業五分前の学校に到着する。
「ほ、本当に着いちゃった……」
「ふん。これぐらい、朝飯前だ。さあ、行くぞ日比谷。今日は私が得意な体育に、古典、日本史、家庭科の調理実習である。ふふ、腕が鳴るわ」
学校の校舎を校門から見上げた愛歌は、腕をコキリと鳴らした。そして、間髪入れずお腹をグウと鳴らした。
「腕だけでなく、腹も鳴ってしまったか……ところで日比谷よ、物は相談なのだが」
「なに、来ヶ崎さん?」
「今から牛丼屋に戻るということは……」
「できません! さあ、行くよ、来ヶ崎さん!」
「ああ、そんな殺生な! ならせめて、早弁を……」
「ダメです!」
明日香は涙目になった愛歌を引っ張って、学校に入っていった。




