明日香の決意
玄関に逃げ込むと、明日香はそそくさとリビングに入り、さっそく弁当の準備にとりかかった。
愛用のエプロンを装着し、今日も日比谷明日香の一日が始まる。
「よーし! 今日も頑張らなくちゃ!」
冷蔵庫の扉を前に、気合を入れる明日香。
自分と、父と、麗夢と、ナイトの弁当箱をテーブルの上に置く。さらに、愛歌が用意した二段式の重箱も置いて、作業に入った。
弁当を作り終えると、今度は朝食だ。
明日香は冷蔵庫から卵を取り出すと、器用に片手で割って、五個分をフライパンで焼いていく。
目玉焼きである。ちなみに配分は、父、一個。明日香、一個。麗夢、三個。
「おはよー、おにーちゃん!」
「おはよう、明日香」
「おはよう、麗夢ちゃん。お父さん」
麗夢と父が起きてきて、明日香は急いでフライパンから目玉焼きを皿に移し、トーストを五枚用意する。ちなみにこちらの配分も目玉焼きとほぼ同じである。
「おはようございます、父上様。妹君」
さらに愛歌もやってきて、いよいよ日比谷家の朝はクライマックスを迎えようとしていた。
「ちょっと待っててね、来ヶ崎さん。今用意するから」
「うむ」
愛歌もテーブルに着くと、明日香は冷蔵庫から卵を五個取り出して、フライパンに投下する。
ちなみに配分は、愛歌、五個。
明日香はフライパンから一時的に離脱すると、オーブントースターに五枚切りの食パンを一気に五枚押し込み、無理矢理加熱した。要するに、一斤まるごとである。
「いただきま~す!」
四人で囲む朝の食卓。テーブルの上だけ見れば、十人家族でもいるのかと勘違いをしそうな盛り付けだが、その半分はたった一人によって消費されてしまうのだ。
「ごちそうさまでした。今日もうまかったぞ、日比谷」
「とーぜんじゃない! おにーちゃんが作る物はなんだってうまいんだから! だいたいあんた何よそれ。食パン一斤まるごといくとか、本当にJKなの? 麗夢なんて、つつましい食事なのにさ!」
麗夢はマーガリン、いちごジャム、ピーナッツバターが乗っかった食パン三勇士と、皿の上で第三の眼が開眼したような三つの目玉焼きを前に、そんなことを言った。
「ほら麗夢ちゃん。早く食べる! でないとまた遅刻しちゃうよ?」
「ち。命拾いしたわね、あんた」
「フ。そのようだな」
愛歌はマーガリンの海になったトーストを全て平らげ、胸を張った。
そして、食事を終えると皆で家を出る。
「いってきまーす! おにーちゃん、ばいばーい!」
「はい、行ってらっしゃい」
麗夢が元気良く家を飛び出していくと今度は父の番だ。
「明日香、いいか。知らないおじさんに付いて行くんじゃないぞ? 無理矢理車に乗せられそうになったら、大きな声で叫ぶんだ」
「あ、あの。お父さん。ぼく、小学生じゃないよ……」
父は心配そうに明日香を見ると、家を出て行った。
「明日香。お菓子を買ってあげるからと言われても――」
だが、曲がり角を曲がる途中で振り向いて、もう一度言う。
「もう! お父さん、早く行って!」
「日比谷は朝からたいへんだな。うむ」
明日香が父の背中に向って叫ぶと、愛歌が明日香の頭にポンと手を乗せ優しくなでた。
「半分は来ヶ崎さんだよ……」
「む? まあいい。では行くとするか、日比谷」
愛歌は明日香の言葉に気が付くことなく、歩き出した。
明日香も歩き出し、二人は横に並ぶ。
「日比谷」
「何、来ヶ崎さん?」
「腹が減った……死にそうだ。うう」
「ええ、もう!?」
歩き始めて数分。愛歌のお腹がギブアップし、明日香は立ち止まった。
「お、おお!? あそこに見えるは牛丼屋ではないか! 少し待っていろ、日比谷。腹ごしらえをしてくる……」
「あ、来ヶ崎さん!? もう……しょうがないんだから」
愛歌の背中が牛丼屋の中に消えて行ってしまうと、明日香はなんとなく道路を見た。
「明日香ちゃんみーっけ!」
「え?」
「へっへっへっへ……久しぶりだなあ、おい」
「あ……あなたたちは……」
それは、愛歌と出会った朝にからまれた不良グループだった。
「今日は、あの化け物みたいな女はいねーのか。よっし……お前ら、可愛がってやれ。適当に痛め付けて、服を全部はぎとり動画をネットにアップしてやろうぜ。へへへ」
不良の一人、牛のようにピアスを鼻に通したリーダーの三島が、舌なめずりをする。
「へへへ」
途端にかこまれる明日香。
「な……何をするつもりですか? やめて、やめて……ください!」
明日香は悲痛な叫び声をあげる。
「まずは下からいっちゃうかあ?」
「そこまでだ!」
不良の下品な笑い声を切り裂いたのは、男の声だった。
「お?」
「あ……ナイトくん!」
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、幼馴染が呼ぶ、エロゲーが俺を呼ぶ! ウォシュレットのビデの心地よさに目覚めた性戦士、天空寺ナイトとは……俺のことだあ!」
ナイトが現れた。
「あー、おい誰か。そいつ、ぶっ殺せ」
不良のリーダー三島は、ギロリとナイトを睨んだ。
「あは、すみません。ちょっと僕、アニメ見すぎのオタクなんですー。失礼しました」
ナイトは逃げ出した。
「な、ナイトくん、かっこ悪い……」
明日香は少し泣きそうになった。
「邪魔が入っちまったが、再開再開。おら、お前ら。両手つかめ。逃げ出せないように、しっかりつかまえてろよ……」
明日香に迫る不良。
その時、明日香の頭の中に、今朝の出来事が蘇った。
『理不尽な暴力は、いつ誰に襲い掛かるかわからん』
『お前はどうする。助けを呼びに行くか?』
『いつでも私が助けてやれるとも限らんのだ』
「そうだ。今こそ……ぼくが、ぼくが、やらなきゃ。いつまでも来ヶ崎さんに甘えてるワケには……いかないんだから!」
明日香は覚悟を決めた。
「お? なんだ」
腰を落とし、呼吸を整え、脇をしめる。
そして、左の拳を引き、右の拳を繰り出し、明日香の放った拳が直撃した。
「え?」
「勇気と蛮勇はまた別の物だ、少年」
「なんだ、てめえは!?」
直撃したのは、男の掌だった。
長い黒髪をポニーテールのように後で結い、黒いスーツに身を包んでいる美しい男。その男が、不良と明日香の間に入って、明日香の拳を受け止めたのだ。
「あ、あの?」
男は明日香の目を見ると、優しく笑った。
「少年。いざ戦いとなったときの心構えは重要だ。どんなに力が強かろうとも、相手を攻撃するという確かな意思がなければ、拳を迷わせてしまうぞ」
男は明日香に背を向けると、不良達に振り返った。
「力は使うもの次第で善にも悪にもなる。少年達よ……悪いがこれから披露するのは、暴力だ。私は世間一般でいうところの、悪だからな」
「ああ、何だこの野郎。おい、金持ってそうだし、先にこいつやっちまおうぜ?」
「おう!」
「やれやれ……久しぶりに聞いた日本語がいきなりコレか。日本も物騒になったものだ」
男は静かに笑った。
そして、その数秒後に不良の一人は地面に倒れていた。
「え?」
「今の、何だ?」
男はまたも笑う。
さらにその数秒後、新しいケガ人が地面に転がる。
「さて。これでわかっただろう? 無意味なことはやめたまえ。私も忙しいんだ。暇じゃない」
「こ、この!!」
激昂した三島は、ナイフを取り出した。
それを見た男は、口の端を歪めて嘲笑う。
「命のやりとりともなれば、話は別になる。少年、ナイフの切れ味を知っているかい? それはとてもとても痛いんだよ」
「な、な。何を言ってやがる! 早く手えついて土下座しやがれ! ああ!?」
「お勉強が必要かな。バカなクソガキには……フフ」
明日香は背筋が凍えそうになった。
先ほどまで柔和な笑みを浮かべていた男の美しい顔が、狂気と歓喜に染まっていくのを間近で見てしまったからだ。
「うおおおおお!」
ナイフを突き出し、突撃する三島。
男は笑うと、両手を広げた。
「来ヶ崎流古武術奥義の壱」
三島の体は、まるで吸い込まれるように男に引き寄せられ、空中で一回転すると仰向けに倒れる。
「八魔嵐」
「え?」
「もっともここからは、私のオリジナルだがね」
投げた勢いのまま、男の肘が三島の腹部に迫った。
「あ、ぎゃあああああああああ!?」
落ちた先は地面。それも、コンクリート。男の肘は投げた勢いと、男自身の体重を乗せて、深く三島の腹をえぐる。
「さあ。今度はナイフの使い方を教えてあげよう。最近、扱ってなかったからなあ。うまく切れるといいんだけど。フフ。もしかしたら君、運がいいと生の解剖を見れるかもしれないよ? まるで理科の先生になった気分だな」
男の右手には、いつの間に奪ったのか三島のナイフが握られていた。
「や、やめてくれえええ!」
「さあ、まずはお腹からいこうか?」
「だめー!!」
三島の腹に突き刺さろうとしたナイフを止めたのは、明日香の細い腕だった。
「もう、もう、いいでしょう? こんなに怖い思いをしたのに、こんなに痛い思いをしたのに……これ以上は、可哀想じゃないですか!」
「お、お前……俺を、助けて、くれるのか? 何度もひどいことをしようとしたのに……」
三島は明日香に助けられたことに、深く驚いた。
「少年、甘い事だな。これはスポーツではないのだよ? 命のやりとりだ。相手の戦闘力を迅速に奪い、命を絶つ。ああ……そういえば昔、そんなことを妹に教えた気がするよ、懐かしい話だ」
「え?」
「まあ、いい。私はこれで失礼するとしよう。私のような日陰者が、外で騒ぎを起こしすぎると、あとあとまずいからね」
「あ」
男はナイフをその場に放り出すと、明日香に背中を向けて歩き出した。
「そうそう、少年。ここで出会ったのも何かの縁。忠告しておこう」
「何ですか?」
「当分、外に出ず家にこもっていたほうがいい。近い内に花火があがる予定だからね。人の命と一緒に飛び散る、キレイで危ない花火が……フフ」
「あ、待ってください!」
「まだ、何か?」
男は面倒臭そうに振り返ると、明日香を見た。
「助けてくれて、ありがとうございました」
明日香は深く頭を下げ、礼を述べる。
「ん? 私はそこの彼を殺そうとしたんだがね……そんな男に礼を言うとは、君も変わっている」
「それでも、助けていただいたことに変わりはありませんから」
「フフ。面白い子だ。……名前を聞いておこうかな」
「日比谷明日香です」
「明日香さんか。いい名前だ」
男は一人頷くと、再び背中を見せ歩き始めた。
頷いた瞬間、明日香は見た。前髪で隠れていた額の十字傷を。
「私の名前は来ヶ崎大牙。またいつか会おう、明日香さん」




