明日香の裁き
『ただいま帰ったぞー。明日香ーどこだー。お前の大好きなケーキ、お土産に買ってきたから、父さんと一緒に食べよう』
「あ、お父さん帰ってきたみたい」
父の帰宅を知ると、明日香は風呂場を出ようとした。
「日比谷。まだ背中を流し終わっていないぞ」
「え、でも……」
しかし、腰を上げようとしたら、愛歌に無理着席させられ、ゴシゴシとゆっくり背中をこすられる。
『おにーちゃん。ドラマ始まっちゃうよー。麗夢と一緒に観ようよー』
「麗夢ちゃんも呼んでる……」
「まだ終わっておらん。動くな、日比谷」
『あ! わかった! おにーちゃん、お風呂だ!』
『そうか! 明日香はお風呂か!』
父と妹が脱衣所でなにやらごそごそ動いていた。
『ちょっと、おとーさん。何脱いでるの? 中年のストリップとか、誰得?』
『麗夢。お前こそ何下着姿になっているんだ。いい年をした娘がはしたない……』
「わ! ダメだよ! 今、入ってこないで! お願い!」
「むう。父上様と妹君に我らの邪魔をされては困るな。待っていろ、日比谷。黙らせてくる」
明日香が止める間もなく、愛歌は風呂場の扉を開けた。
「あ、明日香!? な、なぜクラスメイトのお嬢さんと……!?」
「おにーちゃん!? その女に襲われたの!? おにーちゃんが、汚された……かわいそーなおにーちゃん……キレイなおにーちゃんを返してよ!」
扉の向こうから、下着姿の父と妹が興奮気味にまくしててきた。
「お二方に大事な話がございます。どうか、リビングにてお待ちいただきたい」
愛歌はタオル姿のまま、脱衣所で土下座をした。
「い、いや。これは……一体どういうことかな? 愛歌ちゃん」
「この来ヶ崎愛歌。誓って無粋な真似はいたしておりません。ただご子息の背中を流させて頂いただけ。この言葉裏切るようなことがあれば、どうぞこれで私を一思いにお切りください」
愛歌はタオルの隙間から短刀を取り出し、刃を引き抜くと、父の前に差し出した。
その圧倒的なまでの落ち着きぶりに、父は言葉を失い、こくこくと首だけを動かし、妹は怒りのあまり言葉がでてこなかった。
「あの。来ヶ崎さんの言うとおりだから……そういうヘンなことはしてない、と思う。たぶん」
「おにーちゃんがそーいうなら……」
「とにかく二人とも、リビングに戻って。ぼくからも大事なお話、あるから」
それから明日香たちは風呂を出て、服を着るとリビングに集まり、家族会議が始まった。
「えー!? この女を家で飼うの!?」
まず素っ頓狂な声を上げたのは麗夢だった。
「ちょっと、麗夢ちゃん! 来ヶ崎さんは犬や猫じゃないんだから……一緒に暮らすの」
「いや、待て! 愛歌ちゃんの親御さんは、どうなんだ?」
疑問を口にしたのは、父だ。
「それが……来ヶ崎さん、お家を追い出されちゃったんだって」
「そうか……愛歌ちゃんは、どこにも行くアテがないんだね?」
「うん。可哀想だから、しばらくお家においてあげたいと思って……いいよね?」
「いや……さすがになあ。同年代の異性を一つ屋根の下に――」
父は難色を言葉と顔で示した。
「お願い、お父さん。ぼく、いい子にするから」
「う」
明日香が捨てられそうな子犬の眼差しを父に向けた。
それだけで父はコロリだった。
「どこにも行くアテがないなら、仕方がない。当分はここで今後のことを考えなさい、ただし、ちゃんと親御さんと仲直りして、いつか家に戻るんだよ、いいね。愛歌ちゃん?」
「は。ありがたき幸せ」
愛歌はイスに着席したまま、深く頭を下げた。
「麗夢ははんたーい! 夜中にムラムラきて、おにーちゃんが襲われたらどうするの!? 絶対こいつ、やるよ!」
「ならば妹君。あなたの部屋で寝泊りさせて頂いても私は構わない。気の済むまで監視するがよかろう」
「え~。一緒なんてやだ! そうだ。物置にテントがあったよね。あんた、それで庭に住みなさいよ。うん、それなら麗夢も許してあげる」
「ちょっと、麗夢ちゃん!」
「だって……おにーちゃんをお家で独り占めできるのは、妹の特権なんだもん……やだよ。おにーちゃんは、麗夢だけのおにーちゃんなんだから! 将来おにーちゃんは、麗夢のお嫁さんにするんだから!」
「麗夢ちゃん……せめてそこは、お兄ちゃんのお嫁さんになるって言って欲しかったよ……ぼく、男の子なのに……うう」
「とにかく! あんたは外!」
麗夢は愛歌に敵意剥き出しの顔を向けると、庭を指差した。
「麗夢ちゃん、ダダをこねないの」
「いや、わかった。それでいい。私は外で寝よう」
「え、いいの? 来ヶ崎さん」
「ああ。日比谷の近くで同じ空気を吸えるならば、それでもよい。私達の距離は、物理的な問題ではないだろう? 心の距離さえ縮めれば、よいだけのこと。それに――」
「それに?」
愛歌は自嘲気味に笑った。
「私も兄を持つ妹として、妹君の言い分も理解できるからな。そうだな。兄を独り占めできるのは、妹の特権か……相違ない」
「へえ、来ヶ崎さん、お兄さんがいたんだね。どんな人なの?」
「いや……今は忘れてくれ。時が来れば、お前に話そう。……あまり気は進まんがな。とにかく、私が庭で寝泊りすれば、文句はないのだな?」
「麗夢も女だもん。一度ゲロった言葉は曲げないもん! ようこそ日比谷家へ! これから仲良くイジメてやるわ、覚えてなさい!」
「こら、麗夢ちゃん!」
麗夢は猛スピードでリビングを出て行った。
「んもう……ごめんね」
「まあまあ、新しい家族ができたお祝いだ。お土産のケーキでもみんなで――あれ? どこいった」
父がテーブルの上をきょろきょろと探すが、それらしい物は見当たらない。
「父上様。もしや、山吹色の四角い箱では?」
「ああ、そうそう。あれ、どこいったかな?」
「それならば、先ほど妹君が持っていきましたが……」
「ええ!?」
泣きそうな声を出したのは、明日香だった。
「ぼく、あのお店のケーキ大好きなのに……もう、麗夢ちゃん! 降りてきなさい!」
明日香は二階に続く階段の下で、ぷんすか怒った。
『やだー。これ全部麗夢のだもーん。迷惑料として全部もらっちゃうもんねー! へへ!』
「うー。ひどいよぉ……楽しみにしてたのに……」
「任せろ、日比谷」
「え?」
階段を涙目で見つめていた明日香の肩をたたいのは、愛歌だった。
「兵糧は私が取り戻してくる。日比谷を悲しませる者は、例え血を分けた妹君とはいえ、許せん」
「あ、来ヶ崎さん!?」
愛歌は、階段を四段飛ばしで駆け上がって行った。
明日香も心配になって、階段を一生懸命駆け上った。
「むう。カギがかかっている……篭城戦とは、こしゃくな。妹君! 武士ならば、正々堂々勝負いたせ!」
『麗夢は武士じゃないもーん。JCだもーん。開けるもんかーざまーみろ!』
愛歌はドアノブを見つめたまま、フ。と笑った。
「く、来ヶ崎さん?」
「来ヶ崎流古武術奥義の四」
愛歌は、瞳を閉じ一歩下がると、両手を引いた。そして、両手を静かに、力強く押し出した。
「五星砲」
一瞬でドアが吹き飛び、麗夢の部屋の窓を突きぬけ、室内は一気に風通しがよくなった。
「戦国時代、ご先祖様はこの技で、敵城の堅固な扉をいとも簡単に破壊したという。見よ、日比谷。その威力は平成の世においても色あせておらん。フ」
「れ、麗夢のお部屋が……! うう~なんてことすんのよ! このスーパー原始人!」
「フ。日比谷の大事な兵糧を奪うからだ、妹君よ。日比谷の裁きをその身に受けるがいい」
愛歌は麗夢の部屋の中に踏み込んで、大きく胸を張った。
「あ、ああ。麗夢ちゃんのお部屋が……ぼ、ぼくの分のケーキが、ぐちゃぐちゃ……んもう! 誰が掃除するの!? 来ヶ崎さん、ぼく、もう怒ったからね!?」
「なぜだ。なぜ日比谷は怒っているのだ?」
「来ヶ崎さん、そこに正座しなさい!」
その日、日比谷家は夜遅くまで掃除が続いた。




