明日香のカレー
「さて、と。晩ご飯の支度しなきゃね」
マンガの件はとりあえず横に置いておいて、明日香は愛用のエプロンを装備すると、台所で主夫になった。
「えへへ。おいしいカレーを作って、皆に喜んでもらいたいなあ」
スーパーの袋から食材を取り出し、包丁を手にするとさっそく調理開始。たまねぎをくし型に切り、にんじんを手にしたとき、愛歌と命が明日香の所にやってきた。
「日比谷。何か手伝せてくれないか? その、お前を怒らせてしまったことに対する、詫びのようなものだ。刃物の扱いならば慣れている。肉は私に任せろ」
「わたくしも、お手伝いいたしますわ! どうぞ、お好きなコスチュームを仰ってください。すぐに着替えますので」
「あ、えっと。わ!? 二人ともちょっと――」
愛歌は明日香から包丁を奪い取ると、牛肉をパックごと空中に放り投げ、粉々に切り裂いた。
命は明日香からエプロンを奪い取ると、服を脱ごうとした。
「フ。見たか日比谷よ? これぞ来ヶ崎流古武術奥義の参。六舞裂。戦国時代、ご先祖様はこの技で、数多の兵を鎧ごと切り裂き、肉塊にしたという。切れ味は平成の世においても色あせておらん」
「さあ、明日香さま。裸にエプロンなわたくしをすぐにご披露致しますわ。カレーの前に、わたくしをめ・し・あ・が・れ」
「二人とも、何してるの!! あ、ああ……お肉がミンチになってる……九条院さんも、こんな所で脱いだら風邪ひいちゃうから! んもう、二人とも、邪魔! そこに正座! 反省しなさい!」
ついに明日香がキレた。
愛歌と命はしゅんと落ち込むと、二人仲良く床に正座して、しばらく無言のまま明日香の調理を眺めていた。
流れるような包丁さばき。リズミカルでそれでいてスピーディー。まるで、まな板の上で踊っているように錯覚する明日香の包丁は、さながらキッチンのイリュージョンだった。
鼻歌まじりにキッチンに立つ明日香の小さな後ろ姿は、母性に溢れている。
「よし、完成だよ!」
カレーの完成と同時、リビングのドアが勢いよく開いて、麗夢が乱入してきた。
「ただいま、おにーちゃん! 腹減ったよー! メシ食いたいー! 餓死しちゃうー!」
そして、床に靴下とカバンを放り捨て、炊飯器に飛び掛った。
「こら、麗夢ちゃん。まずは手を洗いなさい! あと、お客様が見えてるんだから、おしとやかにね」
「へーい」
「返事はちゃんとする」
「はーい」
「んもう、しょうがないんだから」
相変らずの麗夢に明日香は溜め息を吐くと、お皿にごはんを盛り付け、カレーを装う。それを七回繰り返すとテーブルの上に次々に運び、食事の準備が整った。
「さ、来ヶ崎さんも九条院さんも、テーブルに着いて」
明日香がそういう前に、二人はすでにテーブルに着いて一心不乱にカレーをかき込んでいた。
「日比谷、お代わり!」
「わたくしも、お代わりを!」
「え、もう!?」
そして、二人同時に食べ終えると皿を突き出し、お代わりを要求する。
「うまい……これが、日比谷のカレーか……! 五臓六腑に日比谷の愛が広がっていく……うう……」
「ああ……一口一口食べるごとに、明日香さまの愛がわたくしの魂にしみこんでいく……ああ……」
愛歌と命は肉体と魂が分離しそうなくらい宙を見上げて呆けた。
「なにこいつら……きも」
それを横目で見ていた麗夢は五杯目のお代わりを口にしながら、ルーだらけの唇を尖らせる。
「はい、トイレさんと、ポテチさんと、スネークさんもどうぞ」
ケルベロスの三人もまたカレーにありつき、日比谷家の食卓は満員御礼状態だ。
「ところで明日香さま。玄関のドア……ぶっ壊れておりましたけど、何がありましたの?」
「あ、それは……えっと、ドアを開けたら偶然壊しちゃって……寿命だったのかも、あはは」
「まあ! タイヘンですわ! 九条院家の情報網によると、最近この辺りに国際的なテロリストが潜伏しているそうですの! なんでも、東洋人の男で額に十字傷があるとか……」
カラン、と小さな金属音が鳴った。
「来ヶ崎さん?」
「いや、何でもない……日比谷のカレーがあまりにうますぎてな。少し意識が遠のきそうになっただけのこと。気にするな。すまんが、かわや……いや、トイレを借りるぞ」
「あ、うん」
愛歌は落としたスプーンを拾うと、リビングを出て行った。
「トイレ!? まさか……来ヶ崎愛歌め! 明日香さま盗撮用のカメラを仕込む気ですわね! ぐぬぬ……わたくしもやろうと思いましたのに……先を越されましたわ……く!」
「九条院さん、ヘンなことしないでね、お願いだから……」




