明日香の心配
「ふう。なんとか許してもらえてよかった。それじゃ、帰ろうか、来ヶ崎さん」
「……」
オレンジ色の光が差し込むスーパーの入り口で、明日香は胸をなでおろすと、愛歌に声をかけた。だが、返事はない。
「来ヶ崎さん?」
愛歌の視線の先には、買い物を終えて、楽しそうに手をつないで歩く親子がいた。
優しそうな父親と、小学校低学年くらいの可愛らしい少女。その姿は微笑ましい。
「……父上」
愛歌は寂しそうな顔をすると、明日香の両手から買い物袋を奪い取り、無言で歩いていく。
「あ、待って。来ヶ崎さん!」
信号が赤になって、愛歌が立ち止まり明日香が追いつくと、愛歌の手から袋を一つ取り、片方の手で愛歌の手を握った。
「日比谷?」
「二人ではんぶんこだよ。さ、早く帰ろう。ぼくがおいしいカレー作ってあげる。ぼくね、カレーも得意なんだ!」
「ああ……日比谷の作るカレーか。これは楽しみだ」
夕日が照らす住宅街を二人は歩いていく。
「……聞かないのか?」
「うん?」
「先ほど、私が取り乱してしまった理由を」
「ああ。そういえば……。それは、来ヶ崎さんが話したいと思った時に、話してくれればいいかな。無理に聞き出したりとか、そんなことしないよ。話したいと思ったら、いつでも聞くから、ね?」
「すまんな。日比谷にはまだ話していなかったが、私の父は十年前、病でこの世を去っている」
「そう、なんだ」
「とても暖かくて、優しくて、料理がうまく、美しい人だった……」
「うん」
「スーパーの前であの親子を見たとき、思い出してしまってな。取り乱して、すまん」
愛歌は立ち止まると、明日香に頭を下げた。
「そっか。来ヶ崎さんはお父さんのこと、大好きだったんだね。どんな人だったの?」
「写真がある。見るか?」
愛歌は振り袖の胸元に手を突っ込むと、そこから写真を一枚取り出した。
写真は幾年もの歳月を経て、ボロボロになっている。だが、そこに写る着物姿の美しい男性は、優しい瞳で幼い少女と手をつないでいた。
「十年前に撮った、父上と私の写真だ」
「本当だ。来ヶ崎さんはお父さんによく似てる。強くて、優しい感じがするね」
「ああ。私にとって、とても大事な人だった。父上とは……今際の際に約束したのだ。十六歳までに、必ず来ヶ崎の家に父上のような婿を向かえ入れ、我が子を最強の来ヶ崎流の使い手に育て上げる、と」
愛歌はオレンジ色の空を見上げて、誓いを立てるようにそう言った。
「それで……ぼくを?」
「そうだ。お前が婿入りすれば、父上との約束が果たせる。そして、来ヶ崎の家はさらなる繁栄をとげるだろう」
だから。と、愛歌は続けると明日香の肩を抱き寄せた。
「お前を手に入れる。父上との約束のため。来ヶ崎家のために」
「来ヶ崎さん……」
「そして、討たねばならん男がいる。来ヶ崎の家に仇なし、母上と私を裏切ったあの男を、この手で始末せねばならん」
「あの男?」
「……いや、やめておこう。そんな話をしている暇はなさそうだ。日比谷、これを持って少し離れていろ」
「え?」
愛歌は袋を明日香に渡すと、そっと押し出し背を向けた。
「うまく気配を殺せているが、まだまだだな。姿を現すがいい。痴れ者が! スーパーを出てから、ずっと尾けていたことはわかっている」
愛歌は、ゴミ置き場に不自然に捨てられていたダンボール箱に向って、叫んだ。
「……なるほど。トイレとポテチを倒しただけのことはある。我輩のステルスを見破るとは、只者ではないな」
ダンボール箱がしゃべった。
そして、もぞもぞと動き、そこから男が出てくる。
「ケルベロスが一人、コードネーム、スネーク。元軍人の我輩の名は蛇祭。お嬢の命により、貴様の命を奪わせてもらう」
「蛇祭……。なるほどな、確かに今までの相手とは違う。肌を突き刺すようなこの殺気。修羅の道を生きる男、か。フ、面白い」
「あの人、夏場だけど……寒くないのかな」
明日香は蛇祭の姿を見て、少し心配した。
隻眼の迫力満点な顔の下は、ぼうぼうの胸毛が大露出。筋肉まみれの肉体の上には、おびただしい傷痕。それは、歴戦の戦士であることを物語っている。
ただし、下半身は競泳水着一枚だけという、ヘタをすれば通報されかねないビジュアルの持ち主であった。
「して、蛇祭とやら。下の名前は何と言う? これから死合う相手の名前くらい、覚えておいてやろう」
「……」
蛇祭は無表情なまま、無言を貫いた。
「何と言うのだ? 答えよ」
「……蛇祭」
「うむ」
「蛇祭、栖音男だ」




