明日香の新しい日々の始まり
朝。午前五時。日の出とともにベッドから降りて、明日香の一日が始まる。
夏場ということもあって、朝は風呂ではなくシャワー。そして、シャワーを浴び終えると朝食と弁当の用意が待っている。
予約炊飯しておいた炊飯ジャーにしゃもじを使って、弁当にごはんを装うと、昨日のおかずの残りを添えていく。もちろん、彩りも考慮して、その時々に合わせた盛り付けをする。
「ふう。完成! みんな、おいしく食べてくれるといいな……」
ナイトと自分と、麗夢、父の合計四人分。四人分の弁当が完成すると、明日香は満足げに頷いた。時計の短針はもうすぐ七を差そうとしているが、妹と父は起きて来る気配がない。
明日香はエプロンをテーブルのイスにかけると、二階へ向った。そして、麗夢の部屋の前で立ち止まり、控えめにドアをノックする。
「麗夢ちゃん。朝だよ~」
『まだ寝る~。寝たい~。学校休む~。今日、学校創立記念日~』
ドアの向こうから、麗夢が見苦しい言い訳をした。
「こら、麗夢ちゃん! 創立記念日は先週だったでしょ!」
『じゃあ~、今日は祝日~。麗夢に感謝する日~。はい、お休み~』
「もうっ!」
明日香は麗夢の部屋に入ると、ベッドから転げ落ち、床に下着一枚で眠りこける妹を発見した。
「ほらほら、麗夢ちゃん。起きて! 髪がぼさぼさだよ。お手入れしなくちゃ」
「い~よ~。こんなの水付けりゃすぐ直るよ~。だから、寝させてよ~」
「いけません。年頃の女の子がそんな格好で、もう」
明日香は無理矢理麗夢を抱えると、洗面台の上に連れて行き、冷水を顔にかけた。
「わ!? つべたひ!? おにーちゃん、虐待だよ~。国際妹連盟(InternationalSisterFederation)に訴えてやる!」
「そんな連盟ありません!! あれ? でも、よくそんな難しい単語覚えてるね」
「へへん。この言い訳をするために、昨日ググって調べたんだよ、えらいでしょ、麗夢! だから、寝かせてよ~」
「もう。ダーメ! さあ、お顔洗って、身支度整えてね。お兄ちゃんは、お父さん起こしてくるから」
明日香は朝から忙しい。それでも、自分のこと以上に、最愛の家族達にかける時間は苦にならないのである。
「ごちそーさま、おにーちゃん」
「ごちそうさま、明日香」
「はい、おそまつさまでした」
家族が食事を終えると、皆学校や仕事に出かけ、明日香はそれを玄関で見送る。
「麗夢ちゃん。ハンカチとティッシュ! あ、寝癖直ってないよ~!」
玄関から飛び出そうとした麗夢に向って、明日香はストップをかけた。
「あ~ほんとだ~。いいよいいよ。こういう、寝癖が付いた天然系女子で攻めるのもアリだと思うし。麗夢、可愛いから何しても許されるも~ん。宇宙は麗夢のためにビッグバン起こしたんだし」
「ダメです! ちゃんと整える! スケールが大きいのはいいことだけどね、せめて地球規模にしなさい」
明日香は麗夢の首ねっこを捕まえると、ブラシで丁寧に髪を整えてから妹を再出撃させる。
「ありがとー、おにーちゃん! 愛してるよ! じゃーねー!」
「はい、行ってらっしゃい。あ、そんなに走ったら転ぶよー」
明日香が後から声をかけると同時に、麗夢は玄関の段差につまずいて転んだ。
「うわーん! 死ぬ! 陰謀だ! 誰かが麗夢を殺して保険金だまし取ろうとしたー! もう学校にいけなーい! うわーん! おにーちゃん!」
そして、転んで泣いて叫んで明日香に抱きつくと、麗夢はそのまま部屋に戻ろうとした。
「こらこら、麗夢ちゃん! どさくさにまぎれてズル休みしようとしない! 絆創膏貼ってあげるから、ちゃんと学校行くの! いいね?」
「ち。夢も希望もない世の中だわ」
麗夢は舌打ちすると、絆創膏の付いた膝を引きずりながら、今度こそ登校した。
「もう。本当困った子だなー。ぼく、甘やかしすぎてる?」
さて。今度は、隣の幼馴染だ。
昨日同様、弁当を手に取ると家の戸締りをして、燃えるゴミを出し、天空寺家に向う。
「幼馴染よ。待っていたぞ!!」
「あれ? ナイトくん、どうしたの? 今日は自分から起きて来るなんて……」
天空寺家の前では、すでにナイトがカバンを持って待機していた。
「ふ。今朝の鍛錬だ。我が天空寺家に伝わる、一子相伝の武術。天空寺流暗殺拳を極めていた。俺は十八代目継承者として、この世にはびこる悪を討たねばならんのだ。止めてくれるな、幼馴染よ」
「そうなんだ……ナイトくんって、すごいんだね」
「ふ。もっと褒めろ幼馴染よ。お前の無垢な賞賛が、俺を調子に乗らせる」
「あはは。それじゃ、そろそろ行こう?」
こうして今日も明日香の一日が始まる。
そして、学校が始まって昼休み――。
「日比谷。折り入って話がある。顔を貸してくれないか?」
「あ、うん。いいよ、来ヶ崎さん」
昼休みに入ってすぐ、愛歌が明日香に話しかけた。途端に、教室中の空気が沸騰する。
「おおー! ついに、ついに、俺らの明日香ちゃんが嫁入りか!?」
「きゃーー! 明日香ちゃーん!」
「俺、踏まれたかったのに……」
「明日からは、来ヶ崎明日香ちゃんだな!」
周囲から途端に祝福され、明日香は大いに困惑した。
「あ、はは……」
「行かせませんわ!」
命が教室の扉の前で仁王立ちして、明日香と愛歌を行かせまいとする。
「明日香様は我が九条院家にとって、大事なお方! 者ども、であえいっ! あのハレンチな女をコテンパンにノしておしまい!」
「全ては九条院のために!」
「全ては九条院のために!」
「全ては九条院のために!」
命が手を挙げると、教室の窓から黒服の男が三人入ってきて、愛歌を取り囲んだ。
「え、なにこれ!? ちょっと、九条院さん!」
「九条院家が誇る、忠実な番犬部隊! その名をケルベロスと申しますの。元軍人や、元家政婦、元ニートと、それぞれ出自は異なるのですが、彼らはその道のプロ! ヒマな時はわたくしの遊び相手になってくれる、頼もしい使用人たちですの。ふふ。さあ、やっておしまいケルベロス!」
愛歌は静かに周りを見ると、明日香の肩に手を乗せ優しく微笑んだ。
「下がっていろ、日比谷。……五秒で終わらせる」
「シャア!」
黒服の一人が懐から投げナイフを五本取り出し、それを愛歌に向って投擲する。
「遅いな。あくびが出る」
しかし愛歌は蹴りで、ナイフを五本同時に弾き落とし、華麗に宙を舞う。その瞬間、明日香の視界に薄青い花が咲いて、それが一体何なのかを理解すると、頬を桜色に染めてうつむいた。補足すると、フリルも付いていた。
「く、来ヶ崎さん! その、見えてる! 見えてるから!」
「む? そうか。日比谷にも見えたのか、あのナイフの軌道が。彼奴の腕はそれなりの場数を踏んだ相当の手錬のようだが、やはり、お前を見込んで正解のようだな。この来ヶ崎愛歌の目に、狂いはなかった。ということか。フ」
「そ、そうじゃなくて!」
「しかし――かような場所で争うのは周りに迷惑が掛かるか。ふむ。日比谷! しっかり私に捕まれ!」
「ええ!?」
突然愛歌は明日香をお姫様だっこすると、教室の窓から飛び立った。
「く、来ヶ崎さん! ここ、三階! あ、ああああ! 落ちるよ!」
「問題ない、私を信じろ」
重力から解放される明日香。体感したこともない浮遊感が全身を包み込む。例えるなら、ジェットコースターだ。
「わああああああ!?」
「このまま裏庭にて、ゆっくりと話をしようではないか」
着地。ふんわりと、それでいて安全運転。そんな感じで無事地上への帰還を果たすと同時、明日香は抱っこされたまま、愛歌によって裏庭まで連れてこられた。
「あ、あの。来ヶ崎さん。降ろして? くれないかな。恥ずかしいよぅ」
「うむ。すまんな、日比谷。だが、ここなら安心して話せる」
周りに誰もいないことを確認すると、愛歌は明日香を優しく地面に座らせた。
「日比谷。昨日の返事の前に、聞いてもらいたいことがある」
「え?」
「私は来ヶ崎愛歌。戦国時代から伝わる一子相伝の古武術。来ヶ崎流古武術の第十八代継承者だ」
「は?」
「我が祖先は、関ヶ原の合戦において、徳川方に付き、その持てる武術の数々で、数千数万の兵を葬ったという」
「えっと……」
「来ヶ崎の長女は、十六になる日、夫を向かえ、子を育まなければならん」
「うん……」
「しかし、来ヶ崎の家に婿入りできる男にはある条件がある。それは――」
「はい?」
「家事ができて、女性のような立ち居振る舞いができる男。つまり、お前だ」
「ええ!?」
「改めて言おう。この来ヶ崎愛歌の夫になれ。私はお前が欲しい」




