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来ヶ崎愛歌は日本女児である。  作者: 岡村 としあき
序:疾風! 来ヶ崎愛歌、参上!
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明日香のナイト

 初夏の朝。清々しい一日の始まり。キレイに整頓された自室で、衣替えをしたばかりの制服に袖を通し、カバンを小脇に抱え、日比谷明日香(ひびやあすか)は部屋を出た。玄関の下駄箱の上に置いてあった自信作のお弁当を二つ取ると、手鏡で身だしなみをチェックし、外へ一歩踏み出す。


 向かう先は学校ではなく、お隣に住んでいる幼馴染の家だ。天空寺という珍しい表札を掲げた家の前で立ち止まり、チャイムを鳴らす。


 するとすぐに、お隣のおばさんが玄関から顔を出して、笑顔で明日香を出迎えた。


「おはようございま~す!」


「あら、おはよう明日香ちゃん。ナイトったらまだ寝てるんだけど……おばさんの代わりに起こしてくれるかしら?」


「はい。日課ですから」


「明日香ちゃんがいて本当に助かるわ。どうかナイトのこと、見捨てないでやってね」


 お隣のおばさんの笑顔を背に、明日香は玄関から家に入って、すぐ左にある階段を一段一段静かに踏みしめ、昇っていく。


 幼稚園からずっと一緒だった幼馴染の男の子は、アニメの主人公みたいに、ものすごくかっこいい。……天空寺ナイトという名前だけだが。


 そのナイトの部屋の前で立ち止まり、明日香はドアを軽くノックする。


「ナイトく~ん。朝だよ~」


 案の定、返事はない。これもいつものことなので、勝手に中に入ってしまう。室内には、漫画雑誌や教科書、食べかけのスナック菓子類が散乱し、学習机の上には愛用のノートパソコンと美少女フィギュア。壁にはアニメのポスター。これが、天空寺ナイトという少年の、全てであると言ってもいい。


 触れたらダメージを食らいそうな床の中でも、まともそうな足場を探し、明日香はちょこちょこと部屋の主に近付いた。そして、布団に包まりダンゴムシになっているナイトを発見する。


 さらにダンゴムシから布団を剥ぎ取り、窓を開け、朝が来たことを告げるため、大きく息を吸い込んだ。


「起きて、ナイトくん! 遅刻しちゃうよ!!」


 唐突に布団から起き出たナイトが明日香に詰め寄り、明日香の白く細い手首を握って、血走った眼で凝視してくる。


「幼馴染よ、何故……お前は男なんだ!?」


「ぼくにそんなこと、言われても……」


 明日香は黒く艶やかな髪を揺らし、可憐に、儚げな面持ちで答える。まるで、美しい少女のように。


 対してナイトはぼさぼさの髪に、着崩れたパジャマの上着、下は何故かパンツ一枚である。瞳は充血しており、鼻毛も少々出ていて、どこに出しても恥ずかしくない変質者であった。


「『ナイトくん……実は家の風習で今まで男と偽って生きてきたけど、もう疲れちゃった。これからは普通の女の子として生きていくわ。本当の私を見て!』。『明日香……』。『ナイトくん……! もう、好きにして!』っていうイベントが、いつになったら発生するんだ!? ちくしょう!」


「そんなイベント、発生しようがないよ。第一ぼくの家、中流家庭だし。そんな風習ないからね」


 ナイトは、再び布団の上に寝転がり、一人で自分の体を抱きしめ、枕にキスをした。それを見て、明日香は苦笑いで答える。これも、いつものことだった。


「ちくしょう!! 俺は諦めないからな!」


 脳内イベントを終了させたナイトが、立ち上がって着替えを始める。ここまでに要した時間は五分と十三秒。遅刻コース確定のパターンだ。


「その……現在プレイ中のギャルゲーのヒロインをぼくに当てはめるの、そろそろやめてくれる? 朝からしんどいよ」


 ナイトの学習机の上にセットされている、ノートパソコンのディスプレイには、先ほどナイトが口走ったセリフと、熱く抱き合う男女の姿が映しだされていた。


「畜生!! 何で俺の幼馴染は料理がうまくて、気立てが良くて、優しくて、毎朝起こしてくれるのに、男なんだよ! あれが付いてるんだよ! 世の中間違ってるぞ!」


「はいはい。カッターシャツここに置いておくね。あ! 上着シワくちゃじゃない!? もう、ダメだよ。ちゃんとハンガーにかけておかないと。待ってて、おばさんにアイロン借りてシワ伸ばしておくから」


「おう、悪いな!」


 日比谷明日香十六歳。高校一年生。天空寺ナイト十五歳。高校一年生。二人の朝は、こうして始まりを迎えるのだ。


 二人は幼馴染である。幼稚園から今まで同じクラスで席も近かった。


 明日香は、その名前と色白で華奢な上に声が高いので、初対面の人間にはよく女の子と間違われる。しかも、その性格というのも、穏やかで優しい上に非常に気が利くので、クラスの女子の間では、お嫁さんにしたい男子ナンバーワンであった。


 一方ナイトは、かっこいいのは名前だけで、逃げ足の速さとヘタレ気質が相まって、チキンナイトというあだ名が付けられていた。


「中間終わったとこなのに、学校ってだるいな。サボろうぜ、幼馴染よ」


 すでに朝のホームルームに間に合いそうにないことを悟り、二人は走るでもなく、とぼとぼと通学路を歩いていた。


「だめだよ。学校はちゃんと行かないと……。就職や進学に響くよ?」


「お前はいーよなあ。成績もいいし。担任にに気に入られてるし……あ、そうだ! ゲーセン行こうぜ? この前、小学生に十三連敗した俺の腕を見せてやるぜ!」


 あまり自慢にならない戦積を披露したナイトは、前方の注意が散漫になっていた。その為、いらぬイベントが発生してしまったのである。


「痛え! ちゃんと前見て歩けよ!」


 ナイトが叫ぶ。しかし、ぶつかった相手の顔を見て、細めた目が一瞬で四月の桜のように満開になった。


「ああ? ぶつかって来たのそっちだろうが!」


 コンビニ前の道でナイトがぶつかったのは、この界隈でも有名な不良グループのリーダーだった。そこに他の不良連中もやってきて、ナイトもすぐさまことの危険度を理解し、早急に手を打った。


「へ。下がってろ、幼馴染よ。怪我するぜ? ここはこの、天空寺ナイトが引き受けた。フォアアアアア! 食らえい! 俺の右手に宿った因果律の鎖さえも断ち切る、アカシックブレイカーを!」


「あん?」


 ナイトが気合を高めるポーズを取ると、そのまま不良の群れに突っ込み、そのまま返り討ちにあって、明日香の背中にまで逃げてきた。


「フ。あいつらできるぜ。この俺のアカシックブレイブをいとも簡単に跳ね返しやがった。さては、人外の魔物だな!? 気を付けろ幼馴染よ! 奴らは処女の生き血が大好物なのだ。お前の純潔はなんとしても守らねば……」


「……ナイトくん、カッコ悪い」


 明日香は背中に隠れたナイトを一瞥すると、一歩前に出た。


「えっと……ナイトくんが失礼をして、ごめんなさい。その、許してもらえませんか?」


 不良のリーダー格らしき男が、明日香の顔を数秒見つめると、下品な笑みを浮かべて笑い出した。


「ああん? おい姉ちゃん。男にはプライドってもんがあるんだよ。なあ。俺らもケンカふっかけられて黙って『はい、そうですか』と引き下がるわけにはいかねーのよ? それとも……姉ちゃんが俺らとちょっと遊んでくれるっていうんだったら、まあ、考えてやってもいいがなあ、ひひひ」


「また、勘違いされてる……やだなあ、こういうの。ぼく、男の子なのに……」


 明日香は大きな溜め息を吐いた。


「フ。幼馴染よ。俺の究極奥義を見せてやる。この一撃で、全てが決まる!」


「え、ナイトくん。まさか……」


「まあ、見ていろ」


 ナイトは親指を立て、サムズアップすると、死を覚悟した戦士のような顔つきになった。そして――。


「ごめんなさい」


 恐るべき速さで地面に両手を付き、アスファルトに頭突きをかますが如く頭を下げ、土下座する。ナイトの十八番、音速の土下座が不良グループに炸裂した。


「……ナイトくん、やっぱりカッコ悪い」


「ああ? 土下座で済む話かよぉ。三島さんにケガさせといて、それだけかい? 治療費よこさんか、コラ!」


 不良の一人がナイトの襟をつかみ、締め上げる。


「お、幼馴染よ! お前も謝れ!」


「え? ぼくも??」


「俺達幼馴染だろ! 一緒に地獄に落ちようぜ!」


 爽やかな笑顔でナイトが親指を立てた。明日香は頼まれたら断れない性質であるが、こればかりは嫌であった。


「ごちゃごちゃうるせえ! 出さねーなら、少し痛め付けてやるまでだ!」


「俺はびびらねえぞ! 意識不明の重態になっても、目が覚めたら病院のベッドにいて、ロリ巨乳なナースさんに看護されるイベントが発生するんだからな! そう思えば何も怖くない、むしろぼこぼこにやってくれ! お願いだ!!」


 恐るべきポジティブシンキングである。というか、そんなイベントが発生する確率はゼロに等しいのだが。


 急に殴ってくれと懇願してくるナイトに、不良はかなり引いた。


「ロリ巨乳のナースさん……だと? おい、松下、俺を殴れ!! 俺も入院してえ……」


「ええ!? 三島さん……本気ですか?」


 リーダー三島はピアスを通し、まるで牛のようになった鼻から荒い息を噴出し、よだれをこぼした。


 明日香はどうすべきか迷った。助けに入るよりも誰かに助けを求めた方がいい。けれど、その間にナイトがどんな目に遭わされるかわからない。そう悩んでいたときだった。


「弱いものイジメか。感心せんな」


 突然、明日香の目の前に黒い風が吹いた。その風が過ぎ去った後には、ナイトを締めていた不良は地面に倒れ、白目を剥いていた。


「なんだ、てめえ!」


 黒い風……そう思っていたが、どうやらそれは人のようだ。明日香と同じ高校のセーラー服を着た少女……。黒い風と見間違えたのは、長い黒髪。肩甲骨あたりまで伸びた髪は、前髪以外のサイドの部分は編み込まれており、特徴的な髪型だった。そして、前髪の下には日本人形を連想させる色白の美しい顔があった。


「貴様らに名乗る名前はない」


 あどけなく幼い面持ちであるが、少女の眼光は刃のように研ぎ澄まされており、見るものを威圧する。その視線で数人の不良達は思わず一歩後退した。


「おい! 見ろ幼馴染よ! ロリ巨乳だ! 着ているコスチュームはうちの制服だが、ロリ巨乳だ!」


 そして、ナイトが叫んだとおり小柄な体型で、背も百五十センチ前半くらいだが、豊かに実った二つの果実が、彼女のセーラー服のリボンを押し上げていた。


「ちょっと、ナイトくん。二回言わないでよ、大事なことなのはわかるけどさ」


 ナイトが嬉々として、「神様からの贈り物だー!」と叫んで、その少女に背後から駆け寄ったら、少女の右手が即座に動いて、裏券がナイトの顔面にクリティカルヒットした。そして、そのまま倒れた。


「下がっていろ、ケガをするぞ」


 と、鼻から血を流し、口から泡ハンドソープみたいな物を噴出して、気を失ったナイトを見下ろし少女は警告した。


「なんだ姉ちゃん、こいつらの保護者かなんかか?」


 少女の顔をはっきりと見て、次の瞬間、三島は息を呑んだ。


「へえ、お前もそこの姉ちゃんと同じぐらい可愛いじゃんよ、そんなモヤシより俺と遊ばねえか? そこのモヤシの金でよ」


「断る」


「あ?」


「お前の息は生ゴミより臭い。いや、むしろ生ゴミのほうがまだ爽やかだ」


「て、てめえ……こっちが下手に出てるからって調子こいてんじゃねえぞ!」


 三島は胸ポケットからナイフを取り出し、少女に向けた。


「へへ……その服全部切り裂いて、ヤっちまうぞ、コラ!」


 明日香は、冷ややかに光る刃を見て背筋が凍りついた。同時に、少女がこれから受けるであろう恥辱を容易に想像できた。いくらこの少女が素手で不良を殴り飛ばせるほど強くても、武器を持った大の男にかなうはずがない。


「くだらん。子供がおもちゃを振り回すものではない。ちゃんとおもちゃ箱に片付けておけ」


 なんということか。少女は三島を挑発してしまい、それに激昂した三島はナイフをまっすぐ彼女へ向けた。銀色の刃が少女に迫る。そして――。


 ――少女を貫いた。


「な、何?」


 と思ったが、貫いたのは少女の左脇と左腕の間であり、次の瞬間、三島は地面に組み伏せられていた。


「て、てめえ! 三島さんに何しやがる!」


 同時だった。セリフも、不良たちが駆け出したのも、少女が唇を歪ませたのもすべて同時だ。


 不良の拳が正面から少女に迫る。それを左の人差し指で受け止め、右の人差し指でデコピンをその不良の額に当てる。たったデコピン一発で不良の体はキレイな放物線を描き、コンビニのゴミ箱にお尻からホールインワンする。


「なめんじゃねえ!」


 今度は背後から、別の不良が飛び蹴りを放った。だが、少女はよけない。足の軌道を一瞬で見切ると、不良の足首を右手でつかんで、コンビニの自動ドアに向かって放り投げた。


「いらっしゃいませー! きゃあああああああああ!?」


 と、コンビニの外からハデなスタントで来店した客に驚いて、女性店員は悲鳴を上げた。不良は、お弁当コーナーの陳列棚に激突し、幕の内弁当や唐揚げ弁当のシャワーを浴びて、気絶しているようだ。


「次はお前か?」


 すでにカタはついていた。少女は尻餅を付いた不良に一歩一歩近づいていく。その度に不良の顔から流れる液体は、その種類と量を増していった。


「ご、ごめんなさーい! 助けておかあーちゃーん!」


 不良は一目散にコンビニから逃げ出していった。


「フン。くだらん。まだラジオ体操第のほうが消費カロリーが多いわ」


 少女は手をはたくと、明日香の前まで歩き、立ち止まって右手を差し出した。明日香はそれをつかむと立ち上がる。


 冷たい手だった。ひんやりと、しかし優しく明日香の手を包んでいる。明日香は恥ずかしくなってすぐ手を離した。


「ケガはないな、少年? なら、私はこれで失礼させてもらう」


 少女はそれだけ言って、去ろうとした。その背中に明日香は声を掛ける。何故だか気になった、その少女のことが。


「ぼく、日比谷明日香! 君はなんていうの!?」


 少女は振り向かずに答える。


来ヶ崎愛歌(くるがざきあいか)だ」


 それが、明日香と愛歌が始めて出会った朝の出来事だった。

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