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シルシ~始まりと終わりの命~  作者: うぇすと
5/7

曖昧価値5


 闇夜を照らす満ちた月の光、空の雲はこの場から去ろうとばかりに流れが速い。

 石畳に溜まる水溜りに射影する月を潰す。

 シン――――と骨が軋むオト。

 覆われそうな月の光はうっすらと進む先を繋ぐ。

 光の先の神社は、とても静かだ。穢れていない静寂に覆われ心が洗われる。



 ――キ…キィ、と擦れる鉄の音。



 一歩、足を踏み入れ錆び付いた遊具が揺れた。音は、静寂の夜を不気味に騒がせる。

 徐々に、大きく迎えるように動き始める。

 だが、歓迎されているようではない。


 ―――ナン――デ。


 耳に残留する声の方へ視線を向ける。

 先にはあの日、見た子供。

 五歳児ほどの大きさのソレはブランコに揺られ、金色の双眸を爛、と見開き睨む。

 儚い。子供自体、風前の灯火のような揺らぐ身体、今にでも消えそうな曖昧な存在だった。

 だから刀を抜く。これは、在ってはならないモノだから。


「お前が元凶、か。アイツのいう鬼にはみえないな」


 黄色い眼の子供は灰のように風に吹かれて散る。

 にやりと笑う口元の残影を残し風に吹かれ闇へ跡形も無く消えた子供。


「鬼か。いい名前だね。でも僕自身、僕を知らないんだ。僕は僕である。けど僕自身が誰だかわからな

いなら鬼と呼ばれるかも存在かもしれないね。けど答えのない回答を求めるのは君じゃない。僕自身の問題だよ」


 賽銭箱に踏ん反り返っているように腰掛ける男が居た。

同じくらいの歳だろうか、彼もまた黄色い眼。そして、存在しきれていない曖昧な形は風に揺らぐ炎のよう。


「お前は何だ?」


 モノへ問う。


「さぁ? 僕自身、知らない存在だからね。あれは僕なのか、それとも、あっちが僕なのか。または、どちらとも僕じゃないかもしれない。僕の理はそんなもの。狂った世界は僕に安らぎをくれている」


 狂っている。




 ―――それでいい。それなら、殺してやれる。


 ―――キンっと刃先を地面に落とす。そして目の前の敵を目掛け石畳の上を駆けた。

 金属音を響かせ間合いは二秒ほどで詰める。

 迷いのない一太刀は斬り上げの研ぎ澄まされた殺意の現れ。

 しかし、銀の閃光の如く刃は空を斬った。


「怖いなぁ。怪我するところだよ」


 後ろで、あからさまに呆れる仕草で手を広げる。

 男へまた駆ける。


「僕は喧嘩が嫌いなんだけど―――な!」


 モノはまた姿を消した。ケタケタと不愉快な笑い声が夜の神社へ響く。

 右、左と視線を動かすがその姿はない。

 だが、宙へと蠢くモヤを逃さない。

 それは蜃気楼のように神社の屋根に渦巻き姿を現す。

 その姿は曖昧で白いモヤ、黄色い眼を軸にし形成し現れる。

太い筆、白い墨で描いたようなそれは、大木を思わせるほど長く太い胴体、細く鋭い眼球と刃物のように鋭利な双対の牙は龍のよう。

 長い胴体を巻く姿は龍ではなく大蛇だ。

 舌をチラつかせ瓦造りの屋根に巻き付く巨大な大蛇を従え男は笑った。


「曖昧ってのは、人間そのもの。だってみんな、他人なんて知らない曖昧な存在だろ? 曖昧は人の価値だよ。だから始めよう、自身の存在を賭けた殺し合いを、さッ!」



          ■■■



 途端、凍てつくような雨が降り始める。

 目の前の男は鬼のようだった。

 僕は怯えている。

 彼が今まであったヒトはと違うから。僕を目にした人は泣き叫び逃げ回った。

 だから、その度に僕が殺めた。だって、それが僕の望んできた実在だから。

 でも、彼は違う。

 刀を手に、まだ僕を獲物として黙視する。何故、ナゼ?

 答えはわからない。曖昧では理解できないの?

 あの動きだって、なんて身体能力だろう。安全だと見積もったはずの十メートル程の距離が一瞬で詰められる。

 恐い。この底から抱く恐怖は何に対して?

 絶対的有利だという自信はあった。

 僕自身の身体が傷つくまで。

 紅い雫も流れない、痛みもないが、僕は切断されてしまった。

 曖昧。僕自身が存在していないモノなのに確かに斬られた。

 死ぬことなどない。過去の実績もある。対等に、いやまだ僕の方が強い。けど彼との交わりは死へ繋がると直感が訴える。

 曖昧として生まれ変わった僕が死んでしまうなら、僕は消えてしまう? 元々存在していないのに、消えることなんてあるのだろうか。

 そもそも、僕が誰だかわからないのに。

 消えたくない。だから、彼も殺さなくては。

 自我の無いはずの身体が動く。


 ―――が、彼の瞳はヒトのモノじゃない。強く芯の折れない琥珀色の瞳。それは蛇に睨まれた蛙のよう。


 従える大蛇から溢れるモヤは彼を中心に円に囲む。

 本体に集い小さな存在しか造れないが確かな蛇と姿を変え彼を囲んだ。

 だが、彼の眼は僕を逃さない。

 まだ足りない。百体を超す僕で囲んでも彼は僕だけを視る。


「これで俺は殺せない」


 余裕に満ちた表情。

 数からして絶対的不利の状況下で彼は――――駆けた。

 怯む事なく遮る蛇だけを殺害する。その姿は舞っているみたいに綺麗で斬れる僕は小道具、映画のワンシーンのようだった。

 けど見惚れている暇はない。彼は体制を低く風のように駆け、隙も見せずに僕に迫ってくる。目を疑うほど軽快な動きで柱を蹴り飛び上がる。

 これはあっという間の出来事。


「ナ―――ンデ」


 ほら、体格差は歴然としているし、傍に立っても彼は蛇の顔にも満たないほど小さいじゃないか。

 恐る理由なんてないのだ。

 僕は存在し続けられる。

 ――――蛇はビクン、と一度痙攣し屋根の上から崩れるように落ちていく。

 咆哮を高らかに上げ敵意を向けた蛇の頭が、二つに別けられていた。彼を噛み殺そうとした結果、彼に斬り殺されたのだと、僕が把握したのは蛇が砂のように風に吹かれ消えてからだ。

 刀身に付着した、蛇の白い血液のようなモヤを振い落す彼の瞳に写るのは生粋の殺意。

 僕を護る蛇はいなくなった。足場の悪い屋根の上をまた駆ける。


「―――君は、僕が怖くないのか?」


 おそらく最後の問いかけに彼からの答えはない。

 銀の刃は音もなく振り下ろされる。

 


    身体も痛みも感じない、ただ存在は感じた。



 感覚のない身体でも。胴体と別れを告げればもう二度と再起しない。

 最後に映る景色は天と地の入れ替わった中、見下ろす鬼のような男。

 それ以降の記憶は無い。存在の無い僕に記憶も無いけど。

 それは鬼が、僕を殺したからだろう。




          ■■■




 世界全体が混沌とした螺旋状に渦巻く黒の景色だ。

 僕は大渦に身を任せ彷徨い続ける。

 渦に抗わない僕のこれから進む道にあるのは、幸福? 不幸?

 ―――どちらでもない。

 ただ、黒の螺旋の中で沈んでいるのか、浮いているのかも判別できない僕に知る術はない。きっと(ここ)は僕自身、と哂ってみせる。―――そんな僕もきっと黒。

 でも、それは僕だけではない。万人、生を得ている人は果てを識らないから。

 だから、きっと人は恐怖を生み出す。

 だから、きっと人は死を恐れる。

 その境目にいる僕。

 試しにこの世界を握ってみせるが空気を掴むように無感覚で、水のように零れている。

 繰り返し行った、しかし、一度も感覚は存在しない。



           …



 ―――はっと目が覚めた。

 天気はぽつぽつと音がするから雨が降っている。雨音が繰り返される部屋、時間も夜なのか暗い。しかし、混沌とした闇には光が届く。

 見馴れぬ天井に、僕だけの箱。

 ガチャリと扉の開く音がした。

 顔はわからないが、微かに香るカモミールのような優しい香水は病院のヒトではない。


「お前が朱城貢人で間違いないな」

「…」


 声でこの人は女だとわかった。けど、恐そうな声。わからないけど、多分目がつり上がって学校の先生みたいな人だと思う。

 彼女は、僕の横に座った。視界に入ってわかった。とても綺麗な女性だ。

 同時に、この人は僕の敵だと認識してしまった。


「あなたは…彼の知り合いですか?」


 彼女はそうだと頷いた。


「そうですか。けど僕はもう死んでしまいました」


 そう。彼が僕を殺害した。最後の感覚は憶えている。

 頭を叩き斬られ、痙攣することも出来ずにバラバラにされた、あの痛み。

 体ではない、精神への。


「馬鹿な寝言を。お前はこうして生きている。その証拠に私と今、会話しているじゃないか。まぁ、昏睡状態と聞いていたから、まさか会話できるものとは思っていなかったが、……夢を終わらせたから昏睡状態から回復したのか。それにしてもお前は一年前交通事故で脊髄を酷く損傷している。一年の昏睡から、まだ会話できるのはアレにその事実すら斬られたせいだろう。あの刀の殺傷能力は底が知れんな。で? お前は何を根拠に、死んだなどとくだらないことを思った?」


 彼女は抑揚のない声で言った。


「僕は、ただ生きていたかった。右も左もない闇の中ただ彷徨い続けた僕は、闇の外に出たいと願いました。闇の中にいた僕はきっと僕。それが殺害されてしまったら、今の僕は死んでしまう。彼の刃を受け入れたら、そう感じてしまいました」


 あれは、何だったのだろう。力の差も歴然としていた。あの蛇の僕は、彼を喰い殺すことだって、そう難しくないはずだった。

 けど、彼はそれすらもさせない。一歩近づくだけで恐怖に包まれた。


「お前の家系は過去、本能的に遊行を嗜好し生業としてきた血筋だ。今は科学の進歩で肉体も退化し、大抵は自分自身の身体を意識のない寝ている時間に、忘れ去られた本能が動かすだけで満足し夢遊病としてしか成り立たなくなっていた。そのまま、遊行はただの夢遊病として退化し廃れてきたはずなんだが、お前は特別だったようだ。まさか、お前の代になって動かしたい身体を動かせないから別の自分を用意するとはな。交通事故(こんな)な形だが大したものだ。

 だが、視てきた世界はただの夢だ。曖昧な記憶を頼りに、創造された自分の記憶が殺された。お前の場合は、曖昧なその記憶を殺され、自分の意識が集束し会話できるようになっただけ。夢が終わっただけで人は死なないんだよ、むしろ夢の終わりは始まりだ」


 僕は彼女の言葉が理解できない。

あの時の僕は、僕ではない。ただ、あれに意識があっただけ。けど、僕だった。矛盾する曖昧なモノだったけど、あれは夢ではなく、現実。


「しかし、なぜ殺人に至った? お前の望みは外を歩き回るだけで満足できたはずだ。回答次第では、今すぐ処分しなければならない。人間は元々獣から進化し獣の本能を忘れてしまっているだけで、興奮状態など何気ない闘争心などでも精神に刺激が与えられれば呼び起こされる。その力は朱城貢人がいる限りまたいつか動きだすぞ。何十年後かわからないが、そうなってからでは手遅れになる。一度消えたモノが甦ると消える前より性質がわるいからな」


 彼女の言葉に僕は笑った。 

 だって手遅れならとうになっている。

 復讐ではない。交通事故にあった記憶は鮮明に覚えている。運転手の顔も、鮮明に。けど、元々意味のあった人生でもない自分には良いピリオドとなった。恨む必要はないはずだった。

 曖昧な存在ができた時、違う感情も生まれてしまった。

 動き回れるという行動は人をおかしくする。

 憧れ、疎み、憎しみが。


「僕は、曖昧な存在にしかなれないから。どう逆らっても身体は実体のない存在、身体が無いというのは感情すらも存在しない。けど、変化が見えてきたんです。人の笑い声、幸せな暮らしが羨ましく感じてしまった。感情のない存在にそれができた。感情は辛く僕自身を消してしまいそうだった。だから僕はこの曖昧な存在からこの感情を消してしまえば僕自身はこのまま歩き回れると。

 けど、消えることはありませんでした。僕の一度持った感情は憎しみだったから彼らの行動が羨ましく同時に憎かった。一人目は家族と生活し幸せを魅せつけた。抑えられない感情は殺人として形にしてしまった。嫌悪の情を抱き始めた僕は何れ壊れると、

―――だからせめて僕と同じ夢を与えた。ある人は夢と現実の区別に耐えられず犯罪へ走った。そしてある人はそれに耐え、まだ僕に幸せを魅せつけた。その人達を僕は殺したんです。段々と殺人に慣れて証拠も残らないようになると、快楽すら憶えていた僕はもう狂っているのだとわかっていました」

「なるほど、原因は幸福への嫉妬か。お前の力は外を視るではなく、識ってしまうのものでそれだけお前の精神に邪魔な記録まで増やしてしまう。罪の摂理に耐えられなかったのは人としての感情そのものか。夢を望みすぎた者が現実に憧れる結果は残酷だ。

それにしても近頃の記憶のない犯罪もお前のモノだったとはな。識ってしまうというものは相手にそれを魅せる力もあるのか。それか、遊行の結果か。まったくこれでようやく私の悩みの種も一段落というわけだ」


 彼女は愉快そうに笑った。


「だが、疑問が残る。お前は一年前に交通事故になり見舞われ朱城の血を覚醒させた。三年前にも同じ様な記憶のない事件が起きていたんだ。三年前にも起きた似た事件、あれはお前に関わりがあるのか?」

「…わかりません。僕は朱城としての血が色濃く出ていると父に言われ育ちました。ですが、僕が自分の異常に気付いたのは貴女に言われた今です。僕の記憶は一年前から動きだし、今終わったこの一カ月だけ。父は朱城の才能を受け継ぐことができていなかったと教わりました。だから朱城家の縁の者は関係ない」

「そうか…では私は間違ってなかったようだ。アイツに行かせて正解か、間違いか。一悶着起きそうな嫌な感じがするぞ。ふふ、私も殺されるかもしれないな」


 僕は彼女が羨ましく感じた。物騒な話もこんな楽しげに話せる彼女は強く芯のしっかりした人なんて知らない。あの夢でも視てこれなかった。

 僕が視てきた者は。


「最後の質問だ。アイツを殺さなかったのは何故だ。聞けばアイツは蛇を二度視ている。他の奴にも近寄ったのなら、少なくとも目撃情報があるはずだ。それどころか、アイツは夢なんて視ていない。お前はアイツに何がしたかった?」


 そう―――僕が視てきたモノ、それは彼だった。

 僕は、僕は何処か心の底では世界一不幸な人間と思って止まなかった。だから、こんな形でも僕は存在できた。

 でも、彼を見て不覚にも―――


「なんて可哀想な人と感じてしまったから」


だから、僕は彼を殺さず観察した。この感覚は誤解であって欲しいと。

すると彼女ははっと似合わない素っ頓狂な声を上げた。


「はははははは! そうか、可哀想か! 違いない、アイツはお前の観てきた通り可哀想な奴だ。アイツを見てその感情を持ったお前はまだ救いがある。殺された相手に同情しているなんて偽善者にだっていないだろう。まったく、笑わせてくれる。夢見がちの若造かと思いきやしっかり前を向いてるじゃないか。人を可哀想と思えるなら、まだ自分に価値があると脳が憶えてしまっているんだ。その価値を忘れない限りお前は存在できる」

 心底愉快そうに笑った彼女は、僕に救いがあると言ってくれた。

 けど、もう僕は十分すぎるほど生にしがみついた。


「さて邪魔をした、いや、どうする? お前はまだ人間として救いはある、アイツから身を潜めればヒトとして生きて行くことはできるだろう。私なら身体の悪化を抑えるくらいはできる。なに、アイツに斬られた嫉妬の存在はもう死んだんだ。お前は殺人の責任を負う事はない。今の感覚を忘れない限りアレは生み出されない」


 僕はいいえと答えた。

 彼女はそうか、と頷いてくれた。


「ひとつ、彼の名前を教えてください」

「新域 冥、お前の夢を殺した男の名だ。そして可哀想な男だよ。覚えなくていいぞ、お前はアイツに合う事はもうないからな」


 アライキ メイ。

 可愛い名前だ。

 鬼の名に似合わず愛らしい。

 瞼が熱くなっていた頃、彼女はもう部屋から居なかった。

 この瞬間からまた、一人。

 けれど、心地よい。



 ―――もう、僕はこれでよい。



 人として生きる。それは僕にできること。

 嫉妬で殺めてしまった五人への償いだけがもう殺人をした者の人としての最後。

 人として存在できるなら僕は僕自身に殺されるべきだと思う。

 あれは死んでしまったが、僕はまだ、生きている。

 自分の中で朱城貢人として永久に生きて死を迎えよう。

 これほど幸せな事はない。

 自分に嫉妬してしまうほどに。

 何度でも創れる。



 …………ほら、もう来た。



 光を得た僕の、最後の風景は大きな大きな曖昧だった僕。


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