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シルシ~始まりと終わりの命~  作者: うぇすと
2/7

曖昧価値2

 一九九五年六月二日。

 亡霊の様に揺らぐ街灯の下、乾いたアスファルトの上に乱暴な波紋が生まれる。

 僕しかいない、街から外れた道。木々から覗く時計の針が七時を指した頃、空からは雫が落ちてきた。

ぽたぽたと冷たくもない雫はただ降り注ぐだけ。

 初めは面白かった。

 だって、大きな地面に雨が絵を描いてるみたいだったから。

 けど、それも束の間だった。瞬く間に何かを訴えるように雨は強くなる。

 弾けて溶け込む大粒の雨はまるで滝のようだ。

 あれだけ大きかった地面も、水浸し。もう使い終わった画用紙みたいに興味を失ってしまった。

 街にはまだ明かりがあって、こんなに雨音で満ちた場所にまで、騒がしい音が延々と唄っている。

「―――ナ―――ンテ」―――耳触り。

 何を、誰に訴えたかのかわからない。ただ混沌の世界へ浸透する声は虚しいだけ。

 僕の声は誰にも届かず雨に遮られる声は存在をも否定されているみたい酷く滑稽。こんな無価値な僕なのに、身体の何処かで存在しないはずの感情が溢れる。それは、生を感じる心地よいモノ、そして鬱積した感情を奮わせる不愉快なモノみたい。

 螺旋状の意識の中を無限に廻る矛盾した思考に瞼を閉じた。この、心地よさを堪能するみたいに、僕は静かに眠る。


           ■■■


「そ―――ろ帰るよ。うん、土砂降りだよ。本当、折りたたみ傘でも持ってけば良かったね。はいはい、反省してるって。あ、陽君はもう寝た? 明日は遠足だし――――」


 ――――ふと、意識が醒めた。朦朧とする意識の中、狭い世界に映るのは一人の男。

 もう、時計の指針は九時を回ろうとしていた。

皺のないシャツに赤いネクタイ、黒い鞄を雨避けにして走るその姿は、絵に描いたような仕事をする人。何故だろう? それが新鮮で僕は彼の姿に見惚れていた。

 あんなにずぶ濡れになってても、楽しそうな声。馬鹿みたいに緩んだ表情で滝の中を駆け抜ける。

 僕は彼の表情、行動を一つ一つ見逃さないようじっと眺めていた。なぜか判らないけど僕の目の前を駆け抜ける最後の最後まで。


 ―――――同時に、僕を抑制していた何かが割れたオトが響く。

 

「―――ねぇ」

 声をかけるとすんなりと振り向いてくれた。

 彼は僕の存在に気付いていなかったようで、雨に打たれる僕を怪訝な表情で歩み寄ってきた。様子を窺いつつの警戒した足取りは僕には小動物にも思えて愛おしい。

「どうし―――――」

 男性の目の色は変った。希望に満ち満ちた表情は一変した。血の気が引いた青ざめた顔は見てはいけないモノを見てしまったかのように、一歩後ずさりする。


 街灯の下、雨に打たれる水溜りに映写される小さな身体は白く炎のように揺らめき、双眸は宝石みたいに黄色く輝いていた。


 これが、僕。抑制の器を失った僕には、まだわからないこと。

 彼は持っていた鞄を投げて走り出してしまった。

 ―――逃がすわけがない。

「ひぃっ!」

 追いかける僕は、疲れを感じない。狩りを楽しむ獣のように追いかけるが、この小さな体では徐々に距離を離されてしまう。

 二、三度空回りし雨の中を駆け回る彼は、近場の公園の中に逃げ込んだ。 

後を追いこの公園は広くもう男の姿はない。木々が大半を覆った公園であの男を見つけるのは困難だが、苦にはならない。

 むしろ、雨音だけが木霊する公園、僕はかくれんぼみたいだって笑ってしまう。今を楽しんでいる僕がいたのは一つ発見だ。けど、直ぐにかくれんぼも終ってしまう。

 草むらの奥で、息を殺して潜んでいる男を感じたから。

「、、、、、、」

 だから、みつけたっていったら。

 彼は喉を抑えもがき苦しみ始めた。僕は直接触れてはいないのに、彼の喉元にモヤの様なモノが巻きついている。このモヤが僕の意思に従い動く。

 けど僕の意思は判らない、僕自身が空っぽで意思なんて捨ててしまったはずなのに。徐々にモヤは強く彼の首を絞める。 

 触れることのできないモヤにもがきながら、声にならない声を上げ逃げようとするが、濡れた草に必死で手を滑らせるだけ。

 ――――バキン、と枝が折れた様な鈍い音が身体に伝わる。

 骨と骨が互いに擦れる感覚は狂気に触れ、すり鉢を擦るように無心で取り組ませた。

 二つの眼球は飛び出し、耳からも口からも黒の混じった血が吹き出てきた。

 漏れた血液は、まだ画用紙の上を彩らせ、抵抗し続けた男はダランと力なく俯いてしまう。

 男にもう生気はない。

 声も上げない彼は壊れた玩具みたいに、虚無感だけが僕を包みこんでいる。


              ■■■


 一九九五年六月三日。天気、雨。

 梅雨の時期を迎えてから鬱陶しく雨が降る日々が続く。蒸される暑さの病室、雨音だけが永遠と繰り返される午前。

 部屋の中には、自分とベッドに横になる目の覚めない少女の二人だけ。

 (みこと)。死んだように眠る彼女の名。たった一人の妹。

 伸び続ける艶やかな黒髪、小さな顔、日本人形のような彼女は残り少ない蝋燭のように儚い灯火。微かな呼吸さえも雨音にかき消され、この箱の中ですら生を実感できない。

 闇の中で微かに生に執着するだけの存在。

 つい二か月前、自分の足で歩き、苦しさを我慢し笑顔を絶やさなかった命は、こうも変わり果ててしまった。

 秒針が刻む度に絶えず彼女の回復を漠然と待ち続けることしかできない、憐れな自分は滑稽だった。

 光明を待ち続ける秒針は虚無感に蝕まれるには十分過ぎる。

だからその度、雨音に耳を澄まし、瞼を閉じ崩れかけた精神を沈めた。

この一連の連鎖を何度繰り返したか数えることすらしない。ひたすら待ち望むことが、今の自分を支える希望だから。

間もなくして扉を叩く音が部屋に響いた。

 返事をせず沈黙を返す。すると決まって意思に反して扉が開いた。

「はぁい。面会時間が過ぎましたよ」

 やる気を削ぐような気の抜けた声で扉を開けたのは、この病院の看護師だった。

 新品のような皺一つない白衣を纏い黄色の眼鏡をかけた女性が返答の無い事を承諾の意と受け取ったのだろう無許可で入ってきた。

癖毛の黒髪を自由に揺らし、首筋を露わにした瓶の底の様な眼鏡を付けた女の胸には田中未姫と手書きの名札が付いている。

 ―――この看護師は、この挨拶通り馴れ馴れしい。

入院した数日は年配の女性が担当だったが、ここの病院で一番歳が近いという理由で担当が変わってしまった。病院側は妹以外にも考慮して田中を回してくれたのだろうが、前の看護師は落ち着きがあり融通も利き、有りがた迷惑だ。

一時間という短い面会時間に不満を感じながらも田中の指示に従い病室からでると、また病室に潜り込むのではないかと警戒しているのか田中は律儀に外まで見送る。

その間、看護師としたくもない雑談をする羽目になるのはいうまでもない。

「新域さん。少し痩せました? 駄目ですよ、しっかり食べて栄養摂らないと。このままガリガリになっちゃったら、せっかくの男前が台無しになっちゃいますよ?」

「心配ないです」

 適当に受け流すが、田中はその返答に真面目な顔で返す。小声で、かつ話かけるなと雰囲気を醸し出しても、お構いなし。厄介な事に、悪意は感じられない、ただ本当に鈍感なだけだというのは、わかってしまう。

だから、このタイプは苦手だ。

「心配します。看護師としては今を生きる若者さんを見過ごせないんですよ? あ、そうでした。お友達がお迎えにいらしてますよ。ちょっと雰囲気は怖い感じの人、たしかぁ…遠間さんでしたっけ? 待合室の方でお待ちしていますので」

 知り合いの少ない新域には心当たりがあった。

田中の言う通り受付前の待合室は男がどっしりとした構えでいる。缶コーヒーを片手にタンクトップに黒のデニムジーンズのラフな服装の男。

男は「ほら」と、缶コーヒーを投げ渡してきた。

「元彦、大学はどうした」

「今日は休みだ。雨が降ってたからな」

 気にすんな、と豪快に笑っている。

 それで休みになるなら、日本は終わってしまう。

遠間元彦は、幼い頃からの数少ない友人だ。体格は百八十センチと大柄でがっちりと鍛え引きしまった身体。スポーツマンのように短く切った黒髪、鋭い眼つきは元彦を恐いという第一印象を持つ人もいるが、どこかの女と違い良い意味で性格は別だ。

田中に別れを告げ病院から出ると、雨は止み太陽が街に光を射していた。

缶コーヒーの蓋を開け苦いブラックコーヒーを喉に流し込む。雨の降る日が続いたせいで、外はひんやりとし水溜りに反射する光が鬱陶しく目を眩ます。しかし、虚ろな意識はクリアになりこれはこれで悪くはなかった。

「それで、大学はどうなんだ?」

「全員気のいい連中で楽しくやってるぜ。お前達が入学を蹴って就職したときは流石に焦ったけど、ま、命ちゃんのこともあるからな、お前は気にすんな。俺は大丈夫だから。むしろ俺の方がお前を心配してるんだぜ?」

 元彦は頭を掻きむしる仕草で小さくため息をこぼす。

「田中さんから聞いたぞ。お前毎日朝早くから命ちゃんの見舞いに来てるんだってな。気持ちは良くわかるけどもだ、あんまり無茶はするな。長い付き合いだ、遠慮しないで俺を頼れよ」

「…努力してみる」

 また、それかと元彦は笑う。

 どうやら、元彦は実家に呼ばれその帰りに寄ったらしく、次のバスの時刻まで暇潰しに話し相手になれということだった。

他愛のない会話をしつつ街中の人波に沿って駅を目指す。通勤で人の多い道を避けながら曲がり角に差し掛かった時、元彦がぴたりと動きを止めた。

「―――っと、行き止まりか」

 駅へと続く草臥れた公園には黄色いビニールテープが張り巡らされていた。

 この辺りでは大きな公園で、その大部分が草木に覆われている公園。

 警察を想像させる黄色いテープは清々しい朝を不快なモノにする。

「そうか、この公園だったのか。まいったな、ここが立ち入り禁止だとすると結構遠回りになっちまう」

「何かあったのか?」

「なんだ、お前、昨日のニュースも見ていないのか。ったく、自分の住む街のことくらい把握しておけ。迷惑な殺人だよ。恨み持ったやつの犯行で、死体は酷いもんだってさ。どう酷いかは冥君の想像に任せるよ。ヒントは説明もしたくないだ」

 他人の死なんて想像もしたくない。

 凝らしてみれば公園の奥にはなるほど、重苦しい表情の連中の姿もある。

 まったく、せっかくの清々しい気分も台無しになってしまう。

 

 ―――ホント、迷惑だ。


             ■■■


 元彦と別れ、街の賑わいに目を逸らすのも最近は億劫になる。車や電車が頻繁に行き来し、朝も夜もまるで祭りのように騒がしい。

この街に越して二カ月、物心ついた頃から知名度の少ない森林に囲まれ静寂に呑まれた田舎に慣れ親しんできた自分には、この賑わいの中を堂々と闊歩して歩くのは慣れることはなく辛いだけ。

 ここは自分の居場所ではない。

 だから、この街に馴染まないよう目を逸らし続けているのかもしれない。

 別に暮らしに不満があるわけではない、むしろ現在の暮らしの方が裕福に暮らせる。外に出れば食料も、生活必需品も二十四時間揃えられ、現在の仕事の給料も妹の入院費を払いながらも貯金ができるほどのもの。

 けど―――そんなものが幸福なら不幸は存在すらしない。

だから、街の騒がしさから逃れるように路地裏を好んで歩いていた。

そこは隠れた人間性が現れる。壁から圧力をうけるほど密室化した道は人間の裏側。表通りは街の雰囲気も良く施された飾りも彩り豊かで人通りも多い。しかし、表向きとは逆に溜まった塵が散らかり街に住む人の温和そうな人間の裏側が描写されている。失っていた光が顔を出したというにも関わらず光に拒絶された道程。

それでもここは静寂に包まれ安らぎを与えてくれる。


―――カツン。


鼻先を掠め、頭上から拳大のビルの破片が落ちてきた。見上げたが、そこには誰もいない。古い建物もあり、破片が落ちることもこれといって珍しい事ではなかった。

ただ、白い『何か』はすぐに建物の屋上へ姿を消した。


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