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シルシ~始まりと終わりの命~  作者: うぇすと
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曖昧価値1

 Ⅰ 曖昧価値


 一九九五年六月二五日。

 空には薄らと自重した雲掛かった虚空な午後。

 今朝から降り続いていた雨も止み、名残で蒸される暑さの静寂に包まれた事務所の中。

古びた建物で窓からの眺めを大部分にあたって遮断されたこの空間は、世間から孤立し閉鎖されているようだった。唯一漏れる光も、鈍く敷きたてのコンクリートを光沢させただけの虚しく粗末な景色。ただ淡々と時を刻むだけの空間では、この程度の些細な変化に焦がれるしかできない。

この事務所へ勤めて間もない新域(あらいき)(めい)はそんな窮屈な景色を、黙然と眺めていた。

「これで五件、か」

 束に綴られた書類を手に女が億劫そうに呟いた。

 肩まで伸びた波のある黒髪を綺麗に後ろで丁寧に束ね、白いシャツにシンプルなグレーのパンツのスーツ姿、カドのある目つきでエリートという呼び名が似合う雰囲気の女。この事務所の住人で所長である常磐木みどりは、部屋の片隅にあるインテリアの机に腰掛けて、数分前送られてきた書類を眺めている。

「昨日まで二件のはずだろ」

「警察がマスコミを抑え込んでいたんだ。別件もある。処理しきれなくなった面倒事を私に押し付けてきたんだろう。まったく、一件目から一月と経っていないのに迷惑な異常者だよ」

 警察もだ、と付け足し書類を机に叩き付ける。

黒々としたブラックコーヒーを注ぎ、不快感を露わにした彼女に新域もまた億劫そうに視線を外へと戻す。

常磐木は、いつもこうだ。仕事がなければ、苛立ち、気に入らなければ苛立つ。大人の雰囲気とは反対に子供染みた我儘な性格が新域は苦手だった。

「ほら、犯行現場から死因の検死結果まで書かれている。退屈な報告書だが、どうも、それは、お前向きの仕事のようだ」

 見てみろと、持っていた書類を投げ渡した。

 内容は、聞いた通り被害者の家族構成までの詳細を延々と綴った物騒な書類。犯行現場の写真から遺体の残された肉片写真までの生々しい内容に嫌悪の情を抱く。

 一通り目を通し終わると、新域は訝しめな表情で書類を投げ返した。

「それって、どう処理されるんだ? 被害者は事故死扱いか」

「どうって、殺人だろ?」

何を当り前な、といった表情で物騒な事をいう。

そんな常磐木が不快なのか、新域は窓越しに表情を曇らせた。

「被害者に共通点がないんだろ、無差別に殺されるなんてヒトの死に方じゃない」

 もっともだと、常磐木は鼻で笑う。

「しかし、処理は人の法にされるんだよ。お前がどう解釈しようとこの事件は殺人さ。人を殺し間違いなく死者がでている。自殺でもないこれを他に例えようもないだろう?

 いいかい、冥。これは事故じゃないんだ。人を殺し逃げるだけじゃなく尚も殺人を繰り返す。この類の異常者が世間で殺人鬼として扱われる為の最も残酷な殺人だよ。人の生命を侮辱したな」

「どっちも同じだ。人殺しも殺人鬼も、呼び名が変わっただけ。ようは異常者ってことなんだろ。それ」

「馬鹿者。人殺しと、殺人鬼は違うんだよ。人殺しは、己の器では抑制しきれない感情を殺人という形で解消を試みた連中。理性を持ってしての人の間違いだよ。そして、殺人鬼は言葉通り鬼。鬼は快楽を求め人を殺し始める。すなわち己の欲望を満たす為の嗜好。言ってしまえば犠牲者はその玩具ってとこだ」

救いようがない、とおかしげに笑い混じりで言う。



―――今月二日に起きた猟奇的な絞殺事件。

初めの犠牲者は社会の鏡と言われるほど型にはまった一流企業のサラリーマン。家庭を築き子も三人と恵まれた暮らしを育む父親。幸せを堪能する被害者は近所、社内ともに評判が良く人に恨まれる人ではないらしい。

六月二日。連絡もとれず仕事から帰らない夫を不安になり妻が通報。

 ―――夫はその日に発見された。

無残にも公園の草むらに変わり果てた姿となって転がっていたらしい。

死因は首を絞められたことの窒息死。それも骨にまで影響するほど首を圧迫された死体で所持品は盗られた形跡もなく、怨恨での殺人だとされていた。

 ―――が、三日後、同一犯と思われる殺人が起きた。詳しい内容は憶えていないが、同じ首を絞められた窒息死で道路に転がっていたところを通行人に発見されたらしい。

常磐木は一人目と二人目は関係がなく、お互い顔も知らないという。

警察は被害者二人の共通点を探っているという報道を最後に、この事件は、しばらく音沙汰はなくなっていたが、たった今、三件の事件が知らされた。

 その三件もまた、明確な関連性が見当たらない、とも。


「どうした? 珍しく苛立っているじゃないか」

「別に、そんなことない。ただ、警察が捜査してたんだよな。それなら、五人も死者がでるまえに対処できるだろ」

 不敵に笑う常磐木を他所に新域は顔をまた曇らせる。

「私に依頼してきたということは、それなりに理由もあるんだよ。冥。この事件の凶器はなんだと思う? これが警察がマスコミを抑えていた理由となったんだが、確か…公には縄らしきモノとされていたな」

「なら縄なんだろ、それともワイヤーか?」

「渡された報告書は隅々まで目を通せ。馬鹿者。―――まあいい。首を絞めた痕、被害者に共通して扱われた凶器は縄でもワイヤーでも人工的な物ではない。まるで―――『蛇』のような鱗の痕だそうだ」

「……へぇ」

 ふと、興味を失い外に視線を戻す。

新域がこの事件を忘れられずにいたのは、被害者の妻が酷くやつれ、目の周りを女性としての貌を失うほど真赤に腫らしていたことからだった。夫の死を映像越しに訴え続けている彼女に疑問もあったのに、こうも連続して繰り返される殺戮、死の悲しみすらも、与えない事件など興味が持てない。街で生活し蛇に首を絞められる、こんな常識から疎外されたものなど特に。

「―――処理は依頼主がする。抵抗の有無に関わらず殺してくれだそうだ。連中もこんな異常者に構っているほど暇じゃないようだな。本来なら断る内容だが、少々面倒な事情もあるせいで不本意ながら請け負うこととなってしまった。報酬ははずむ、どうだ、お前向きの仕事だろ」

 表情を濁すことなく、次の書類を黙読し始める。

 それを横目に『異常者には異常者』そんな言葉が脳を螺旋状に渦巻きながら新域は黙ったまま窓から離れる。

 その眼は酷く冷酷な、どこか淋しげに、部屋を後にしようとする。

「待て、情報もない相手に何処に行くつもりだ。お前は。もうじき次の報告が送られてくる。それまでここで大人しく待機していろ」

 新域は振り向くことなく足を止めた。

「いい、いらない。こいつの居場所には心当たりがある」

「? なんだ、視てたのか。道理で、素直に引受けてくれたわけだ。まぁこっちとしては都合がいいに越したことはないのだが」

 なら、止めるなと覚らせるような無言の新域を常磐木は平気に止める。

「そう急ぐな。お前のおかげで仕事が減って時間に暇ができたんだ。暇つぶしに一つ聞かせてくれないか」


お前の見てしまったモノは――――ヒトか、それともバケモノか?


 機嫌良く笑う女を侮蔑の眼差しで答え、男は静かに木葉模様の施された竹刀袋を手に取った。


「―――そんなの関係ないだろ。そいつ、もう死んでるんだから」

 

        

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