3.連れ去り、そして……
担任が消え、静寂に包まれた教室の中を紅糸織は僕の隣の席へと向かってくる。それと共に、さっきは転校生に全くの興味を示さなかった奴らを含むクラスのほぼ全員の視線が移動する。
席の前で歩みが止まる。彼女が指定された席ではなく、なぜか僕の前の席に。後を追うようにして視線がやって来る。
視線の主の多くは行動の示す意味に疑問を持ちつつも、僕と彼女のどちらを観察するべきか迷っているようだ。
「……なあ、なんであいつ自分の席に着かねぇんだ?」
「そんなこと俺が知るかよ」
「しかも天樹こと言見下ろしてないか?」
「確かに見下ろしてるな。つーか、ああいうのは見下してるっていうんじゃね―の?」
「ああ、確かに。なんでかな?」
「俺が聞きたいくらいだよ」
「天樹の奴も変なのに目ぇつけられたもんだな。かわいそうに」
なんて会話がそこここから聞こえてくる。
寧ろ僕が理由を聞きたい気分だ。
相変わらず僕は見下されたまま、彼女は見下したまま時は流れていく。
どうにか状況を打開したいたいとは思うのだが、最良の手が見つからない。どんなに見下されても無視し続けるというのも効果的だろうし、一人に見下されるくらいなら我慢できるが、式が始まるまでの時間、外野の雑多な視線にさらされているのも嫌だ。多少うるさくても、見物に飽きて席を立ってくれればいいのだが、そんな気配は全く感じられない。
とすると、この視線の元凶をどうにかすればいいのだろうが……下手に刺激するのも後のことまで考えに入れなければならないだろう。
そもそも人のことを見下すなんて、それなりの理由がなければ普通はしないはずなんだが、僕が何かした覚えはないし……やっぱり普通じゃないということか?
とにかく、このままじゃあ埒が明かないし、出来る限り刺激しないように声をかけてみるとするしかないか。
「あの……初めまして」
反応が無い。あくまで僕を見下ろし続けている。
「えーと、天……」
名前を言おうとして、唐突に遮られた。
「貴様が天樹運か?」
「どうして、僕の名を?」
「もう一度だけ聞く。『ハイ』か『イイエ』で答えろ。
貴様の名は天樹運だな?」
高圧的な態度には少しいらだちを感じるけれど、あくまで冷静でいなければ。神経を逆なですると面倒だ。
「ええ。ハイ。僕が天樹運です。
ところで紅さん、こちらの質問にも答えていただけますか?あなたは何故僕の名前を知っていたんでしょう?」
「そうか、やはり貴様が天樹運か」
確認するように繰り返し呟く。どうやら僕の質問に答える気はないらしい。
非常にやりずらい。多分同じ状況であったら、苛々するのは僕だけではないだろう。
刺激しないように、かつ状況の打破を狙って動いた結果がこのざまだ。うんざりする。どうやら残念なことに僕に変化をもたらしてくれる女神のような存在ではなく、やはりただの電波少女だったようだ。
そう思っていると件の電波少女が
「……」
と何かを呟いた。
「え、一体なんですか?」
「来い、と言っている」
というやいなや、僕の腕を掴んで歩き出した。椅子に座っているのを無理矢理引っ張るものだから、足や腰や腕なんかをぶつけて痛いことこの上ない。しかも思いのほか力が強いようで、踏ん張ろうとしても無理矢理引きずられてしまう。通じないこと覚悟で説得するしかないのだろう。
「あの~紅さん、一体どちらへ?」
やはり返事はない。
「もしもし?聞いていらっしゃいますか?」
ややあって返事が返ってきた。
「貴様に答える気はない」
と一蹴される。
そのまま教室を出させられる。
すると教室の中から、
「なあ、どうすればいいんだ?」
「えーと、追いかけた方がいいのかな?」
「とりあえず先生呼んでくるべきじゃないか?」
という真面目なものから、
「運もたいへんだな~」
なんて無責任なやつから、
「運~頑張れよ。応援してるからな~」
といったとんちんかんなものまで聞こえてきたが、いちいち気にしている暇もない。取り合えず、何とかして状況を打破しないと。
まずは普通に踏ん張ってみる。さっきと同様に効果はない。いや、かなりの負荷はかかっているのだが、それをものともせずに引きずられる。それどころか、下手に足と床面の間に強い摩擦をかけてしまったせいで僕の方が危うくバランスを崩すところだった。
次に、自由な方の手で柱の角を掴んでみた。その一瞬の後、肩から指先までの間接が全部外れるんじゃないかという程の激痛に見舞われて、すぐに手を離さざるを得なかった。
今度は逆に速度を上げて、立場を逆転させようしてみた。が、僕が速度を上げるのと同時に奴も速度を上げてきて、全くの意味がなかった。
これで最後と思って、ちょうど階段に差し掛かったため、手すりにつかまってしゃがんでみた。さっきからパッと見、デパートで駄々をこねている子供のような恰好になっているが、仕方がない。しかし、それでも容赦なく引っ張られて、危うく頭から落ちてしまうところだった。
「っつ、ちょっとあんた、僕のことを殺す気か!」
例の如く、返事はない。
「僕になんか恨みでもあるっていうのかよ……」
そう言った途端、ぴたりと歩みが止まり僅かにつんのめってしまった。
「一体……」
そう僕が口を開きかけたとき。くるりと僕の方へ振り返って、強い憎しみのこもった眼で睨んできた。時間にしてはほんの一瞬の出来事はずだが、何故だか永遠に続くほど長く感じられた。冷や汗が止まらない。一体何があるというんだ……?
しかし硬直するのも束の間。すぐにまた歩き出されてしまった。
そうこうしているうちに学校を出てしまっていた。なぜかその前に、靴だけは律儀に履き替える時間をくれたのだけれども。とはいえその時間を利用して逃げ出すなんて真似はとてもじゃないが出来なかった。……逃げ出そうものなら、すかさず襟首を容赦なく掴まれ、窒息しかけたからだ。
未だ誰も追いかけてくる様子はない。薄情なやつらだと思う。それでも公道にさえ出てしまえばこちらのもんだろう。誰かしらには助けを求められるはずだ。
早速人影を見つけた。これは吉兆かもしれない。隙をみて助けてもらおう。
あれ……?なんかどこかで見たことのあるような人だな……
「って、せ、先生!?」
「あ、いやすいません……って運か。びっくりさせるなよ。ほかの先生か父兄の誰かにでも見つかったのかと思っただろ」
いやいやびっくりしたのはこっちの方だ。いくらあの場から逃げ出したかったからって、式の準備があるなんて嘘だけならまだしも、学校の敷地からでてタバコ吸って、見つかってから慌てる担任ってどうよ?もうちょっと生徒の心配をしたりとか……まあいいや。折角だからここで心配してもらいつつ、助け出されよう。
「先生、あのーお願いがあるんですけど……」
「ん、どうした?そもそもなんでお前らはこんなところにいるんだ?」
「それに関係してるんですけど、先生。助けてください。このままじゃさらわれます」
「さらわれますって……紅さんじゃないか。って睨むな睨むな。
天樹は随分とおおげさだな。その辺までふらっと行ってくるだけだろ?式までに戻ってくれば何にも言わないから先生がここでタバコ吸ってたのは内緒だぞ」
しまった……逆効果だった。
そもそもこの厄介なのに関わりたくないから、この先生は教室から逃げたってことをすっかり忘れていた。そんな人が今更になって首を突っ込んでくるはずもなかった。
迂闊だった……戻ってこれたら校長先生辺りにちくってやろう。
……ところでもしこのまま戻ってこれなかったら欠席扱いになってしまうのかな?
つまらない毎日の中でもでも密かに皆勤賞だけは狙っていただけに少し残念だ。
その後は誰にも出会えずに、もはや抵抗を諦めて、そうこうつまらないことをだらだら考えていると、またしても急に立ち止まらさせられて、
「この辺りで良いだろう……」
といわれてしまった。
僕にとっては良いことなど何一つとしてないのだが、これ以上ややこしくしたくないからここは沈黙を貫き通すの賢明なのだろうか?
それにしても、この辺りって……川だよな?
8/28.2012 改題(サブタイトル)