2.第一印象
「それじゃあ、始業式まで時間もないことだし、早速簡単に転校生の紹介だけしておこうか。
糸織さん、入って」
転校生が入ってきた。途端クラス中――特に男子――から、転校生の存在を知らされた時以上の歓声が沸き起こった。
歓声が上げるのも分からないでは無い。僕でさえ危うく驚嘆の声をあげそうになるほど、その転校生は美麗だった。
うまく形容出来ないが、目鼻立ちは整い、肌は透き通るように白い。かといって、決して不健康そうな青白さというものは感じられず、髪は肌に対照的に油彩絵具の黒をそのまま塗りつけたように真っ黒だ。同様に、目も漆黒の闇を映し出している。そして身長。どちらかといえば低いくらい――目算で155cmくらいだろうか――その低さが高いのよりもかえって可愛らしさというものを醸し出している。それら全てを考慮した結果、美しいというのと、可愛いというのを足して2で割ったような印象を受ける、といったところだろうか。端的に言い表すとしたら十人中十人が『美少女』と答えるだろう。学校のアイドルこと七瀬といい勝負、いや見た目だけなら間違いなく上回るだろう。
その七瀬はというと、特に興味が無いらしく、明後日の方向を向いている。視線を辿った先に祐介がいるのはおそらく気のせいではないのだろう。
当の祐介はというと、ほかの男子たちの御多分に洩れず、例の転校生を見ては、ニヤニヤ笑っている。
何とも期待を裏切らないというか、出来すぎている。ベタすぎると言った方が適切かもしれない。『事実は小説より奇なり』なんて言葉もあるが、これじゃあまるでフィクションの世界そのままじゃないかとすら思う。
「えー、こちらが転校生の紅糸織さんです。今回ご両親のお仕事のご都合で本校に転校することになったそうです。
それじゃあ、紅さん、一言で構わないんで皆に挨拶をお願いします。」
紅糸織か。なかなか珍しい名前だな。
「紅糸織です」
「……紅さん、それだけ?」
紅という少女は振り返って担任の方を見ている。どうやら睨んでいるようだ。ただその身長故だろう、傍目からは上目で見つめているようにしか見えない。
その仕草を見たクラスの一部――特に単純な男子ども――の間から、
「紅さん、どんな男がタイプなんだろうなー?」
とオタクメガネ――本人は否定している――で通っている奴の言葉。なんともオーソドックスだ。
「俺とか?」
こちらは大体どこの学校、及びクラスに一人はいるという――性格が穏やかだと結構人から好かれることの多い――比較的体型がふくよかな奴。
「いやいや、体型からしてお前だけは天地がひっくり返ったって、絶対にないから」
「何を言う。ぽっちゃり系ってのは結構需要が高かったりするんだぞ。
それにそういう年齢イコール彼女いない歴のお前だって無理だろう?」
「まあ、否定はしないけど……もしかしたら、万が一ってこともあるかもしれないじゃないか!望みをそんな簡単に捨てちゃあいけないと思うぞ」
等々、そこここでひそひそと囁き合っている。その中には祐介も含まれていることだろう。
対して女子の方では、理由は多々あるのだろうが、そんな男子どもを睨みつけているのが三分の一くらいで、残りは転校生を観察している、早くも勉強している、もしくは自分の世界に入っている、といったところか。
ちなみに七瀬はというと、相変わらず祐介を見つめているようだ。
それにしてもどこかありきたりな感じが拭えない。
教室に入った時も、転校生の存在を知らされた時も、そしてなにより今も、どこかありきたりなものを感じてしまった。
なにもこれらだけに限ったことではないはずだ。おそらく世界中の様々なことにあてはまるんだろう。この世界はありきたりで満ち溢れている気がする。もしかしたら僕がそう感じているものの多くは、ありきたりというよりも、もはや慣習だといった方が適切なのかもしれない。……それらの慣習のすべてを否定する気はない。そもそも慣習というのは過去から今まで、数えきれないほど多くの人間が積み重ねてきた経験の一つの体系としてのカタチを持ったものだと考えるならば、本来決して悪いものであるはずがない。それらを踏襲して行動した方が効率的なことも多いだろうとも思う。もちろんだが、時には僕だってそうしている。
それなのに、どうして僕はそれらを退屈に、物足りなく感じてしまうのだろうか?
……きっと、多すぎるからだと思う。
慣習は基本的にはなにも生み出すことが無い……同じことを繰り返すだけなのだから。
そんな慣習で満ち溢れているからこそ、この世界は停滞しているんじゃないかと思う。政治においても、経済においても。
いくら慣習が基本的には悪いものではないとはいえ、ただただ同じことを繰り返しているだけではなんにも変化が無い、変わらない。それに何より効率的でないと思う。何かを見出すためには遅すぎる。
きっとそうであるからこそ、僕にはこの世界は無味乾燥なものにしか見えないんだろうと思う。
そう考えながらも、ただただありきたりな日常に流されるだけの、変わろうとしない、怠惰な自分。
そんな僕の行為全てに、いや、そもそも僕というこの存在そのものに意味はあるんだろうか?
例の転校生は無言の説得を諦めたようでいつの間にか正面を向いていた。
どうせどこかで一度は聞いたことのあるような挨拶をするんだろう。とはいえこれに関してはそこまで否定するつもりはない。確かに大きな変化といったものは求められないだろうが、転校生という事実だけで話題性には富んでいるんだし、下手な挨拶をすることによって第一印象を悪くすることを考えれば、当たり障りのない平凡でありきたりな挨拶の方が妥当で、効率的だろうし。そう考えればこれは踏襲した方がいいものだと言って過言は無いだろう。
「じゃあ、一言だけ」
そう前置きをした後、その言葉は放たれた。
「私はこの世界の一切、全てに全くの興味が無い。以上だ」
簡単な挨拶――それもおそらく当たり障りのないものだろう――を要求していた担任はもちろんのこと、さっきまで騒ぎ合っていた男子どもや女子たちまで目を丸くしている。事態の呑み込みが早い人は明らかに引いている。言うまでもなく他の人ほどでないにせよ、僕だって驚いている。
これは当然の結果としか言いようがないだろう。少し考えれば、誰だってわかるはずだ。
仮にあの発言で一気に全員の注目を集めようというのなら明らかに逆効果だとしか言いようがない。転校生というだけで、既に注目は大きく発言における影響の範囲は広い上に、まだお互いを知らないということで言葉はその額面上意味のまま受け止められやすいのだから、初対面のあの状況であんな発言をすればまず間違いなく痛い人間だと認識されても不思議じゃない。ただ転校生だという人気にあやかっておけば良いものを、とは思う。
とはいえ、狙ってやってにしても、何を言えばどんな反応が起きるか全くわかっていなかったわけではないと思う。そこがいまいち腑に落ちない。
そう考えると、本心からこの世界に興味が無くて、人との交流を避ける為にあえてあの言葉を選んだというのか?
……結局は僕も一緒なんじゃないだろうか。この世界に期待していないことは変わらない。しいて違いを挙げるならば、僕はそれを内側に仕舞い込んで生きている、けれども彼女はそれを言葉として発信した。ただそれだけだと思う。
……興味がある。惹かれているといった方が適切かもしれない。今まで自分と同じことを考えている人間が他にもいるなんて積極的に考えたことも無かった。
自分の望んでいた変化が今、目の前にあるのかもしれない。気になって仕方ががない……紅糸織というものの本心が、そしてその先にあるかもしれないものが。
もちろん他の大多数の人間と同様に、単に痛いだけの電波少女だと認識してしまえばそれでおしまいなのだが。
「じ、じゃあ紅さん。とりあえず窓側にあるあの一番後ろの席に座って」
明らかに上ずった声で担任は告げる。
幸か不幸か僕の隣の席だ。
転校生は静かに歩いてくる。
「そ、それじゃあ先生は式の方の準備が少しあるから行くけど、戻ってくるまで皆仲良くやっててね」
厄介なことには関わりたくないとでも言わんばかりに急いで逃げていく。ある意味賢明な判断だと思う。