陛下の趣味ですか?
前回の話の後半部分です。
陛下の趣味ですか?
段々と開かれる内部に郷愁はない。
第一に見えたのは漆黒の布地に薄紫のレースが縁取るドレスだった。
高いヒールを履いた人物は、ルリより数センチ高い。
身長150㎝程度の小柄なミルティーユがまともに視線を向けると、大ぶりの胸になってしまう。
慌てて、ミルティーユは傍らのルリに視線を移した。
ルリはミルティーユに無言のまま頷いてみせる。ルリは一連の出来事を何処まで知っているのか其れは分からないが、きっと、茶番はまだ続くと悟った。
「私は後宮の女官長を務めるヌエース・デ・ヒンコです。何か分からない事がありましたら、私かアグゥリ・エーツにでも聞いて下さい」
「「宜しくお願いします」」
目の前の落ち着いたヌエース女官長のアルトの声が出迎え、何処までも響き渡るような、鍛えられたハイトーンなルリの声と日頃の接客で身についたミルティーユの声にざわざわと蠢く女達は足を止めた。
ダンスパーティーが出来そうなくらい広い石造りの建物の玄関ホールは、3種の声を高らかに反響させる。
扉は大きく開かれ、目映いシャンデリアの明かりに一瞬目がくらむ。
キンキラキンの内装は前王の好みなのだろう。良く言えば豪華絢爛、悪く言えば悪趣味な目に痛い空間の中央の大階段の踊り場には、世界の母と呼ばれる聖霊の石膏像が嬌笑し、大理石の床は煌びやかなシャンデリアを反射するぐらいに磨き上げられている。
とても、現王であるラヴァニーユとは結びつかない世界だった。
「紹介は後でします。仕事を続けなさい」
女官長は手を叩きながら、足を止めた女官達に鋭い視線を向ける。
止まった時が再開したみたいに、硬直は慌てて解かれる。
中央の大扉から現れたミルティーユ達は、注目の的だった。
階段の前で立ち止まった女官長が咳払いをすると、女官や侍女達は蜘蛛の子を散らした。
知的な美女と言った感じの女官長は、その印象通りフレームが小さい眼鏡を掛けている。ぱっと見30代半ば位のイメージだが、近づいて見ると肌が瑞々しく其れよりも若い感じで、年齢不詳だった。きっと、しっかり者の長女に違いない。
栗毛の髪を巻き、きっちりと固めて後れ毛など一本もない。後ろから与える印象は生真面目・神経質その物だった。
「では、さっそくお部屋へ参りましょう」
キリッとした瞳に巧咲を浮かべ、ルリは周りの女官に聞こえるように大きな声を張り上げると踵を返し、口元を緩めて「大丈夫」と囁く。ミルティーユを労るとルリ自らが盾になることによって階上へと導いた。
痛いくらいの視線が横目で送られている。それを誤魔化すようにルリは態と情報をばらまいた。
「急で吃驚よねミル?」
「……ええ」
「王妃様ってどんな人なのかしら?もの凄く吃驚だわ。あの冷酷な魔王陛下にお妃様が居たなんて」
「……」
喩え、上位貴族でも、歴代の王の妃はおろか、現王の妃さえ知らないのが普通だった。
知っているのは妃を輩出した家と王。それと、側近。後宮に仕える者だけである。
記述的には先王、実際語る上では先々王にあたるラヴァニーユの父は、7人の妃が居て各自1名子を成していたが、発表される上で母の名は伏せられている。
「即位1年以内に妃を娶るのは即位の条件です。此処でのことは守秘義務です。口外なされば、もろとも死刑ですよ」
ルリの芝居の終止符を打ったのは、女官長だった。その言葉に2人とも青ざめる。
それは、問う目に視線を送り注目する女官達にも効果覿面だった。
中央階段を上り詰めると、後宮の中で一番重厚な扉が聳えており、階段の終わりに控えていた女性兵が女官長と目配せをする。
「ここが王妃様の部屋です。掃除はしておりますし、諸々の把握には小一時間程度で済むと思いますので、皆に紹介します。その頃に迎えに来ますから」
案内役の女官長がそう告げると、女性兵は扉を開き、後ろ髪を引かれるようにちらちらと伺う視線を遮るようにすぐに閉じられた。パリッと懐かしい音が耳をかすめた気がして振り返ると、其処は重厚な扉だけだった。隔離空間にホッとして息が漏れる。
ルリとミルティーユの2人だけになった。
「懐かしいでしょう?」
「……」
そう言われても、たかだか1週間では何の感慨も浮かばない。
懐かしいと言えば、窓際に置いたままだった故郷の薔薇の花片を樹脂で固めて貰った文鎮のような水晶が煌めいているのと、あの日結わいていたリボンを、与えられた熊のぬいぐるみに結んだのが、そのまま其処にあることだけだろうか。
本当に散り一つ無い。
手持ちぶさたである。
何かに触れると、封じていた過去が蘇りそうで怖い。
ミルティーユは窓でも開けようと歩き始める。新鮮な空気でも吸えば落ち着くだろう。
「えっ……」
すると、ツカツカと大股で先を越したルリが、一瞬の警戒の後、窓を僅かに開いた。
ヒューと音がして、春の強い風を吹き込む。
ミルティーユは音を消そうとしてもう少しと手を伸ばす。ピリリとした刺激が其れを拒んだ。この感触には憶えがある。幼い頃居たフランブエサでは当たり前のこの感覚は結界だった。
「閉めましょうか?」
そう問われ頷くと、埃をまき散らすような風は遮断され、名残を惜しむようにストロベリーブロンドの前髪を揺らした。
ルリは何事も無かったとばかりに、くるっとターンをして振り返ると、ミルティーユを安心させるような穏やかな微笑みを讃えていた。
妃の部屋だから当然だろうと、ミルティーユは平然としている。慣れているのだ。
鳥籠生活は物心ついた頃から6年前まで知らずに味わってきた。
「今度は逃げられないのかしら……」
「その為に、私が派遣されたのですけど……ね。それにしても、これは陛下かしら?」
まるで、風によってもたらされた、砂埃のように微かに呟いた言葉を、聞き逃すことはなかった。
後宮は鉄壁のガードに包まれている。ルリはあの陛下が其処まで固執する理由が分からなかった。
少しの間、沈黙が訪れる
。
「騎士様でしかも副隊長さんを務められていたなんて尊敬です」
「有り難う」
話すこともないので、先程の扉の前で言い忘れた言葉を口にすると、呆気にとられた顔で礼を述べられた。
「ミルティーユ様は魔術になれて御出なのですね」
「私の結婚前の名前はミルティーユ・ハイデルベーレという名だったそうですよ」
「……」
ルリは、まるで他人のことのように言うミルティーユに、怪訝そうに眉根を寄せた。
自ら結婚前と言っているが、自覚があるわけではない。ただ情報として捉えているような物だった。
古の王族がハイデルベーレだと知っているのは僅かで、ルリの反応から見て知らないのだろう事が推測される。
ルリは訝しんでミルティーユに問いかけた。
「ミルティーユ様がご成婚の儀を成された時は10歳でしたよね」
「私は、其れまでミルティーユ様やお姫様と呼ばれ、その他を知り得ない愚かな子供でした。ラニーに教えられるまで知らなかったんです」
気まずくなり互いに視線は宙を彷徨う。ミルティーユがこの手のことになれていることも知らない位、逢ったばかりの2人は互いを知らなかった。
「とりあえず着替えとか見てみましょうか?」
ルリが手を打ち鳴らすと、衣装部屋へ繋がるドアを開け放つ。
「6年の間に入れ替えて居りますが、採寸している訳では無いのですよね?」
「……あれ以来お逢いしたことありませんでしたから」
ミルティーユは、自分の身体を足の先から胸元まで順に目で追う。
あの頃は、女性らしい膨らみに乏しく、よく言えばスレンダーで胸の膨らみも僅かだった。
今では、そこそこの胸があり、日々の労働で鍛えられた肉付きの良い腕もある。
外を出歩く際、日傘を差しだしてくれるお付きの者も居らず、あの頃よりは健康的な色をしていた。
「女性らしい体つきになってますから大丈夫かしら?」
「標準体型基準でしたらちょっと……」
あの頃のまま誂えたなら、全て袖を通すことは無理だろう。
これを理由にしてはどうかなどと馬鹿な発想をしていると、一足先に中を覗いたルリが入ろうとせずフルフルと肩を揺らしていた。
ルリの向こう側から仄かに花の香りが漂う。ハッと我に返りミルティーユはルリの背後に迫った。
その中は見慣れぬ衣装が山のように掛けられていたが、どれもあの日着て居たデザインと似ていた。
ペチコートにクランとランを貼ったドーム型の枠クリノリンがどーんと置かれている。
王宮も下町もスタイル重視のワンピースが主流で誰もこんな物は用いないが、故郷のあそこに置いて枷を嵌める為には必要だった物。
「……あの方は人形だとも?この御衣装では邪魔になりますから、此方にしましょう」
初めて見る衣装を前にして、ルリはバタンと扉を閉じたくなった。
悪態をついてから苦笑いを浮かべ、ざっと目を通すと一角に置かれた衣装を引っ張り出す。はっきり嫌悪と言う文字が書かれた顔。何か勘違いしたようだ。
ミルティーユは、懐かしいと言おうか悩んで控えた。
それは、ルリが手にしていた布の色の一部分が、台風が過ぎ去った後の澄み切った色に似ていたからだ。
ルリは眉間の皺を根性で散らすと、姉が妹の服を見立てるみたいな気分で、一着差し出す。
空色のワンピースは袖口が長く、腰元の白いリボンと同じく床まで垂れていた。
「折角ですから」
その理由で着せられたドレスを纏うミルティーユは、一国の王妃其の者だった。
丈も何もかも採寸したようにぴったりだった。
身長はあの頃とさほど変わらない。それがコンプレックスで『まだ、幼いのにこんなに育って……冷酷王はロリコンなのか?』等と店で男性に言われる原因でもあった。
「悔しいぐらい似合って御出です」
「有り難う御座います//////」
何時かと同じくミルティーユははにかんで答えた。
ルリは目を細めて見つめている。靴を何足か用意して椅子に座らせると試し履きをしながら、ルリは面白いことに気付いたとばかりにニヤついた。
「此処に揃っているのは二通り何ですね」
「?」
ルリの言葉に首を傾げると、得意そうに一指し指を振って説明し出す。
「まずはミルティーユ様が今着ていらっしゃるような、ペチコートで膨らませたタイプのドレスと陛下の趣味……基、時代遅れのクリノリンスタイル向けのドレスですよ」
「陛下の趣味って言うか……」
「それにしても巷では冷酷な王と呼ばれる方が、仏頂面でこんな趣味がお有りになるなんて本当、ロリコンかも!!!」
「どちらも多分……」
「ご安心下さい。私が付いていますから。少なくとも成人を迎えられるまでの1年、陛下の魔の手からお守り致しますわ!!!」
ミルティーユが訂正しようと話し出しても、ルリが興奮して被せてしまいチャンスがない。
ルリは不敬罪に問われそうな言葉を吐き続けた。其処に悪気はない。
すでにミルティーユとラヴァニーユは結婚しているのだ。
伽を命じられれば断ることは不可能だというのに、ルリは姉として騎士としてミルティーユをロリコンから守る事を誓ったのだった。
ルリに勘違いされたラニー……。本当は此処まで前回の更新で入れたかったのですが、長すぎるので、分けました。
次回から数話、ミユ語り”私”にするか悩んでいます。
一度紙媒体にして、仕事の休憩時間にでもこっそりと……検討します。
引き摺られて、ミユ(ミル)視点だったんですけどね。完璧にミユで言って見ようかなと冒険中。苦手な方もいらっしゃると思いますが、これが過去を語らずに行く、最善の処置かと思います。
予定は「開花宣言」まで。でも、その前の「○○宣言」から変えるかもです。一応「開花宣言」までが再会編です。
其処まで頑張れば、ルリとルークの馬鹿な話が書けるし、気分が復活するかなと。
なので、次回が番外編予定だった「女官長プロデュース」の場合は、”私”は回避されたと言うことになります。
逆に「第四の○○」だった場合は、ミユ語りです。
では。またお逢いできたら幸いです。
実桜