ぷりん♀
これから記すのは、僕にとって大切な家族──犬の「ぷりん」と過ごした想い出です。
16年、いや、それ以上の時間を僕らと共に生きてくれたぷりんの物語。
これは、あくまで僕や家族が忘れないための記録であり、心に残しておきたいお話です。
僕の記憶の限りで記していくため、、少し曖昧だったり、思い出補正が入っているところもあるかもしれません。
でも細かい正確さよりも、ぷりんという存在の可愛さや、僕らがぷりんからもらった温かさが伝われば、それで十分だと思っています。
2005年、某月。福岡県内のとある街。
父親の会社の社宅に住んでいた僕ら4人家族。兄(当時小6)が両親に、「ペットを飼いたい」と懇願した。兄は昔から動物が大好きで、社宅に居着いている猫(3,4匹くらいだったかな)のために、お小遣いを使って餌を買ってきたり、自宅の冷蔵庫から母の許可無く魚肉ソーセージやハムなど、猫が好きであろうものを与えるほどだった。いくら餌を与えて懐いてくれても、結局は野良猫であるため、自宅で飼うことは叶わない。そんな現実的な話が、物心が付き出した兄には芽生えたのだろう。ある日の放課後に学校から帰ってきた兄が母に願った。しかし、我が家は社宅であるため、猫や犬などのペットは飼えない。父も含めて家族で話し合った結果、近所のペットショップの入っているスーパーに行くことになった。
4階建てスーパーの1テナントで、4階の片隅にポツンと存在していた某ペットショップ。そこは、犬や猫はもちろんのこと、家で買うには珍しい動物もいる。そこで出会ったのが、イタチ科の肉食性哺乳小動物、フェレットだった。
兄と母が店主からフェレットの飼育について話を聞く。「肉食動物のため、最初は噛むことも多いが躾をしていくことで減っていく」「しつけする際には、首根っこを掴むと噛めなくなるから大人しくなる」など、コツを教えてもらった。兄の強い願いということもあり、主に兄が躾をすることになった。自宅に連れて帰り、「パン」と名付けられた。
パンとの生活が始まった。肉食動物ということもあり、主にお肉を中心とした餌が多かった。躾の中で最初に苦戦したのはやはりトイレだった。飼育用のゲージも買い、ゲージの中にトイレを設置した。フェレット用のトイレは、猫砂に似たものだった。最初は至るところに糞をしてしまった。お風呂場、脱衣所、リビング、各部屋や玄関など、気づいたときには僕らが足で踏んでしまっていることもしばしばあった。その都度、だめであることを教えるなどしていた。一年ほどで、トイレを覚えたが、その頃に我が家の引っ越しが決まった。当時住んでいた社宅には、10年間という契約期間が設けられていて、僕が生まれて少しして入居した我が家は、ちょうど満了の時期だった。小学校中学校の区域の問題もあったため、我が家は社宅から徒歩10分ほどの土地を購入し、新築一戸建てでの生活となった。引っ越したことで、環境の変化を一番受けたのは他でもないパンだったようで、ゲージにたどり着けずに所定外の位置に排泄をすることもしばしば。ただ、悪いことばかりではない。一戸建てとなり部屋が広くなったことで、パンは走り回れるようになった。パンはボールや猫じゃらしのようなもので遊ぶのが好きだった。
しかしその生活も、長くは続かなかった。
パンとの生活に少しずつ慣れ、引っ越しから一年が経過したある日、悲劇が起きた。
自宅に帰ってみると、パンの様子がおかしい。食欲もいつもより少なく、動きも少しトロい。心配に思った兄と母が、パンを近くの動物病院へと連れて行った。診察の結果、パンは「アリューシャン病」と告げられた。
「アリューシャン病」とは、パルボウイルスの感染により発症すると言われている、命に関わる感染症の一つで、当時は愚か、現在でも具体的な治療法や、ワクチンが存在しない、謂わば不治の病とも言える。これを聞いたとき、当時小学校5年生だった僕でもわかった。もうパンは長くないんだ、と。それを思ったとき、約2年半という短い時間だが、僕の中のパンとの想い出が思い出された。
僕らがテレビを見たり、ご飯を食べたりしている間は、誰かに抱っこされていた。主に兄であったが、ときには母、父、そして僕にも。リビングの部屋にある大きなソファの裏側にある隙間から中に入り込み、そこを自らの寝床にしていた。しばらく見ないと家族でパンを探すときのだいたいはその寝床にいた。走り回り飛び回ったあと、その勢いでソファの上からさらに上の出窓に乗り移ろうとして、出窓の縁にぶら下がったまま動けなくなっていたこと、他にもたくさんだ。
病名を告げられてから数カ月後、パンが自宅で突然意識を失い、呼吸も浅かった。僕らは急いで動物病院に連れて行った。診察台の上で、呼吸器をつけて頑張ってくれているパンを見たとき、僕は初めて「命」というものを感じた。家族で回復を願って見守っている中、母が先生に言った。
「先生、もう良いです。もう、苦しそうで、可哀想で、、。」
先生が渋々呼吸器を外して少しすると、パンは安らかに眠りについた。初めて命を感じた直後に、その命が消える瞬間を見た。動かなくなったパンを抱きかかえた僕の手は、今までにないくらいに震えていた。パンを自宅に連れて帰って、僕は泣きつかれて眠ったらしい。うたた寝半分で見た景色の中に、僕に聞こえないように声を押し殺して泣く兄と母の姿があった。
翌日、ペット用の火葬場へと向かい、パンの骨を受け取った。自宅にはパンのお墓を作った。パンが、僕らの家族であった証や軌跡をそこに残しておくために。
パンの死から一年が経ち、僕は小学校6年生の3月中旬、つまり卒業直後だった。母が突然僕らに言った。
「犬飼おうか。」
僕は、いや、おそらくは兄もだろう。恐怖を感じた。時はたったとはいえ、一度ペットを病死させてしまった自分たちに、ちゃんと飼育ができるのだろうか、と。そんな僕らの恐怖もお構いなしに、次の父の休みの日に、ペットショップに連れて行かれた。今回は、珍しい動物ではなく、王道の犬や猫の多いペットショップだ。道中の車の中で、父が何度も母に言っていた。
「ほんとに飼うんか?」
実は、父はあまり乗り気ではなかったのだ。ただ犬が嫌いとかではなく、この当時より少し前に、仕事中に他所の犬に足を噛まれて、跡が残っていた。それによるトラウマが大きいのだろう。しかし母は、そんな父をもスルーしてペットショップへの足を止めなかった。
到着して、一通り犬を見ていると、父が突然立ち止まり、つぶやいた。
「俺こいつが良い。」
家族全員で驚いた。直前まで飼うのを拒んでいた父が、即決を希望したのだから当然だ。父の目線の先にいる犬に目をやる。そこにいたのは、血統証なしと記されたメスのトイプードルだった。つぶらな瞳でこちらを見つめていて、父は謂わばその餌食になってしまったようだ。いや、餌食になったのは父だけではない、母も兄も、もちろん僕も同様だった。我々と目が合うとまるで見知った人が来たかのようにはしゃぎ、鳴き声をあげる。家族の中で異を唱えるものはいなかった。その場で手続きを済ませ、自宅に連れて帰った。このときより、僕らはこの子を「ぷりん」と名付けた。
「ぷりん」は、父が名付けた。
名前の由来は単純だった。当時、車で聴いていたラジオに「プリン」という名前の犬が登場し、父もその名を使いたくなったのだ。
異論を唱える者もいなかった。僕らも、ぷりん自身もその名を気に入ったのだ。
ぷりんが家族になった頃、父は繁忙期、母は出世、兄は高校進学、僕は中学校進学と、家族全員がそれぞれの準備に追われていた。
その中で一番手が空いていた僕が、ぷりんの基本的なお世話を担当することになった。
トイレの場所や入ってはいけない場所、家族の寝る場所、散歩など、他にもたくさんだ。
中学校入学までのおよそ3週間の殆どを費やした結果、ぷりんは無事にお手おかわりまで覚えることができた。
ずっと一緒にいたこともあって、家族の中で二番目に僕に懐くようになった。
一番目に懐いているのは、母だ。実は、母には昔、獣医を目指していた過去があり、動物のことに一番詳しい。毛繕いやシャワー、餌の調理、爪切りなど、ぷりんの身の回りのことは基本的に母が担っていた。
いくら躾を担当して懐いてくれても、やはり母には勝てないのだ。
ぷりんと一緒に過ごす中で、いくつか気づいたことがある。最初のころにぷりんが間違えて糞をしてしまう場所が、パンとまったく同じ場所なのだ。
一か所ではなく複数あった。お風呂場、玄関、僕や兄の部屋。この4か所。部屋だけなら何とも思わなかった。お風呂場や玄関は入口傍。僕や兄の部屋ではベランダに出るための窓の前。そういった位置関係ですらパンとまったく同じ場所。それだけではなかった。
ご飯を食べるときの好き嫌い。ぷりんは、ドッグフードをあまり好まなかった。だから母がささみやレタスなど、犬が食べられる味付けにしたうえでドッグフードと混ぜて食べさせていた。そしてしまいには、ぷりんはリビングのソファから飛び移ろうとして、出窓の縁にぶら下がったまま動けなくなっていた。もちろんすぐに助けた。犬はフェレットほど身体が軽くないため、長い時間ぶら下がってるのは危険だと判断して瞬間的に抱きかかえた。
しかしその瞬間にリンクした。
「この子は、もしかしてパンなのか。」
僕は腕の中にいるぷりんに尋ねた。
「お前、パン?」
父や母が帰宅し、夜ごはんのときに家族でそのことを話した。すると母は驚かなかった。それどころか告げる。
「ご飯食べてるときにそうじゃないかと思ってたんよね。」
おそらく、この問いに対する答えはない。僕らがそう思いたいだけだとも思う。
きっと、パンが姿を変えて僕らのもとに帰ってきてくれたんだ。
やがて、中学校の入学式を経て、僕は新しい学校生活が始まった。初めての部活や初めての中間テストなど、大人への入口を登り始めた僕は、少しずつぷりんの相手をする余裕がなくなってきていた。中学校になってからは、通っていた塾も本気を出して、テスト前は特にテスト対策などをしてくれて、家にいる時間のほとんどは勉強勉強の毎日だった。疲れたときにぷりんと戯れるのが、いつもの癒やしだった。
ただ、当時の僕は、思春期。謂わば「反抗期」だ。些細なことから、両親と口論になることが増えてきた。特に母とは、多いときには、一週間ずっと喧嘩しっぱなしなどもあったと思う。そんな様子を、一番近くで見ていたのは、やはりぷりんだった。
いつもは母か僕にべったりくっついているぷりんも、そんな二人が喧嘩している空気を敏感に感じ取り、ソファの下に隠れることが多くなった。喧嘩を終えたあとは、二人でぷりんを探して、
「怖がらせてごめんね。」
と謝るのがお決まりだった。母曰く、
「ぷりんは、あんたのことが大好きだから、あんたと喧嘩すると怒るんよ。」
とのことだ。僕から言わせてみれば、それは僕に対してだけでなく、母にもそうだ。
例えば、母と兄が喧嘩をすると、ぷりんは決まって兄に吠える。父相手でもそうだ。そして、僕と兄が喧嘩するときも、同じように兄に吠える。父と兄には悪いが、おそらくぷりんの中での優劣があるのだろう。でも、母と僕のことは同じように好いてくれているようで、だからこそ、そんな僕と母が喧嘩をすると、どっちの味方をすれば良いか分からずに、隠れてしまう。というのが、母の見解であり、僕も納得していた。
家の中でのぷりんの役割の一つは、毎朝僕らを起こすことだ。
朝一番最初に起きるのは、母だが、同時にぷりんも起きる。それぞれの自室で寝ている、父、兄、そして僕を起こすのがもはや習慣となっていた。起こすスタイルは、相手によって変わる。父を起こすときは、まずお腹を踏んで、顔を踏む。それでも起きなければ、キャンキャンと声を上げる。兄の場合は、父同様お腹を踏んで、起きなければ声を上げる。それでも起きなければ顔中を舐め回して起こす。僕相手だと、僕がロフトベッドで寝ている事もあってか、声を上げる。床で寝ていた際には、父や兄にあった踏む工程をスキップし、いきなり顔中を舐め回してくる。ちなみに、僕と兄の部屋は二階にあり、ぷりんは僕らを起こすために、階段を登ってくる。しかし、登ることは出来ても、降りることが出来ないため、僕らに声を上げる理由は、「起こす」というよりは、「1階に戻りたいから下ろしてくれ」という要求が大半だ。
母曰く、僕を起こすときは、
「小兄起こしてきて。」
というと、ぷりんは一目散に階段を駆け上がっていくとのこと。僕は直接その現場を見ることはあまりなかったが、父や兄を起こすときにも、母からの司令に反応し各部屋に向かう。ぷりん自身も、それが自分の役割という認識はしていたのだろう。
ぷりんには他にも役割があった。中でも、僕と母がよくやっているのは、洗濯物を運んでもらうこと。運ぶと言っても、もちろんハンドタオルや靴下を2枚が限界だ。もちろん、ぷりん自身に運んでいるという自覚はないと思う。僕が、勝手に背中に乗せて、
「母さんに持って行って。」
と言うと、母の元に走っていく。それを受け取った母がぷりんに
「持ってきてくれたの、ありがとう。」
と撫でる。ぷりんは、褒められたことに反応して、喜び跳ねる。そこまでの一連の流れをよくやっていた。
その他にもいくつか役割があるのだが、あまり語っても長くなってしまうので、最後の一つだけ紹介しておこう。
それは、亡き祖父への朝の挨拶だ。もちろん、ぷりんにはその自覚はない。
この役割に関しては、僕が中学3年の頃から始まったものだ。僕の祖父にして、母の父親は、長い透析生活の末、僕が中学3年の頃に享年84歳で亡くなった。祖母とは、僕が生まれる前に離婚していたため、両親の実家巡りなどでは、一般的な家庭よりも一手間多い順路ではあったが、僕にとって祖父は、一番大好きな存在だった。
そんな祖父が亡くなって、自宅の和室に、仏壇を置いた。そこに毎朝、炊きたてのお米を備えるのが、当時の僕の役割で、それに同席することがぷりんの役割だった。毎朝ぷりんに起こしてもらい、学校に行く準備を終えて、朝食前にお米を器に盛って、それを片手にぷりんに声をかける。
「ぷりん、じっちゃんのとこ行くよ。」
「じっちゃん」とは、祖父を呼ぶときの名称だ。ぷりんはそれに反応し、僕と一緒に和室に行く。僕が、仏壇の間に正座し、お米を置くと、ぷりんは僕の横に座る。僕が参っている間、ずっと付き添っている、というわけではないが、開始時には必ず傍に座って、一緒に挨拶をする。ここまでが、ぷりんの役割である。
実は、ぷりんが我が家に来てから、我が家の生活は、少し変化した。大まかに言うと、家族全体の帰りが早くなったのだ。まず、僕は中学校の授業後、部活を含めてだいたい19時頃まで活動していた。兄も、高校の授業後生徒会での活動を終えると、帰り着くのはだいたい20時を過ぎる。父も販売の仕事をしていて、閉店までいたので、兄と同じくらいの時間になっていた。母も母で、出世の影響で20時過ぎることも多かった。しかし、家族皆がおそらく「早くぷりんに会いたい」という感情から、各々の用事が済み次第、速攻帰宅するようになった。その甲斐もあってか、一番近距離移動の僕は、部活解散後、10分後には帰宅するようになっていた。
自宅の鍵を門を開け、玄関のドアに鍵を差し込むと、玄関に明かりが点く。玄関の明かりはオートにしているが、鍵を差し込んだ程度では反応しない。つまりは、玄関に明かりが点くほどに動いた何かがあるということになる。鍵を開けて、扉を開けると、そこにはぷりんがいる。荷物を玄関に置き、ぷりんにはまだ触れずに洗面所に向かう。手を洗い、綺麗にして、リビングに入ってやっと、僕はぷりんに向けて両手を広げる。
「ただいま!」
と声を掛けることで、ぷりんは駆け寄ってくる。僕の体に向けて押し倒して、顔中を舐め回す。僕も負けじと、ぷりんを撫で回す。これがぷりんの、「おかえり」のお出迎えなのだ。犬は人間よりも音や匂いに敏感で、飼い主のそれを覚えるらしい。僕や家族が門を開ける音を聞き分け反応し、玄関に来てくれる。しかし、帰宅早々の手でぷりんに触れると、菌を移してしまう恐れがあって、一度洗面所まで向かう。もちろん、洗面所まで行くにあたって、ぷりんは鳴きもするし、ついて来る。
「なんですぐに抱っこしてくれないの?」
と言わんばかりに、ずっと鳴き声を上げるが、
「ぷりんを守るためだ」
という想いから、この行動をとる。これによって、機嫌が悪くなるということもなく、むしろそのあとに思いっきり撫で回すことで、ぷりんは安心しているかのように身体をくっつけてくる。この一連の流れが、帰宅時には行われる。きっとぷりんにとっては、ただ僕らを出迎えたいだけなんだろうが、僕らとしては、一日の疲れが吹っ飛ぶくらいには良い時間だった。
学校も部活も休みの日、僕はたまに友達と遊びに行っていたが、頻度はそんなに多くなく、基本的には家でぷりんと過ごしていた。昼寝をする際は、母の寝床を奪い、リビングで寝ることが多かった。そういうときは必ずぷりんが傍に来る。ぷりんは様々な部位をくっつける。普段はお腹周りや腕周りと決め込んでいるが、股下やお腹の上など、そのときの気分によって場所が変わるようだ。だいたいどの位置を陣取られても、ぷりんがいる限り僕はしばらく動けなくなる。少しでも動くと、起きてしまう。きっとお互いにそう思っていたのだろう。そういう体制が出来上がったら、僕らはすぐに眠りつく。それが休日の、いわゆるルーティンというやつだった。
母が仕事から帰ってくるとぷりんは起き上がり、出迎えに行く。その時のぷりんの鳴き声で僕も起きる。多いときには、僕らはその状態で2時間近く寝ていることもあり、ぷりんの毛並みも少し寝癖の様になっていることがあった。そんなときは決まって母に、
「一緒に寝とったんかい。」
と言われる。母はぷりんに対しても同じように言う。
「小兄と寝てたの〜?良かったね〜。」
ぷりんは、その言葉に反応して、嬉しそうに尻尾を振る。
ちなみに、僕がリビングでテレビを観ていると、ぷりんは僕の近くの色んな場所で寝ていた。ぷりん用に購入した犬用のクッション、窓際に置いているぷりん用の冷却マット(これは夏限定)、乾燥したての洗濯物、更には僕が散らかした上着など。中でも一番のお気に入りは、僕が小さい頃に使っていた(らしい)ブランケットのようだ。僕がテレビに夢中になっていて、ふとぷりんに目を向けると、だいたいそのブランケットの上か、ブランケットに潜った状態で寝ている。最近だと、SNSなどでよく見かける、犬が人間のように布団から顔だけ出して眠っている姿を、僕はぷりんでもよく見ていた。そんなときには、決まって携帯のカメラを起動し、写真に収めていた。携帯の音に反応して起きてしまうこともしばしばあったが、僕の携帯の写真フォルダには、ぷりんの写真で埋め尽くされていた。
ぷりんと会うのを楽しみにしているのは、僕ら4人だけではなかった。もう1人、母型の祖母だ。祖母は、母と違って、あまり動物が得意ではなく、僕らがぷりんを連れて行くことに対しても最初は少し抵抗していた。それに、ぷりんにとっても、自宅以外の場所に行くというのは、トイレの場所がわからなくなるという大きなリスクがあった。ただでさえ、自宅で僕がしつけた際にも、ぷりんはトイレの場所を覚えるのにかなり苦労した。案の定、最初は祖母宅内のカーペットに排泄をしてしまっていた。母も僕も、次からは連れてくるべきではないかもと考えていた。しかし、祖母の口からは、驚くべき言葉が出てきた。
「ここにもぷりんのトイレ置いとけばいいのよ。」
自宅を汚されて怒っているものだと思っていたが、むしろその逆。どうやら、祖母にもプリンに対して愛情が芽生えていた。出会ってほんの数時間で祖母を魅了してしまったぷりん。
その日以降、祖母の家に行くたびにぷりんの遊び道具や、洋服、挙句の果てには少し値段の張りそうなドックフードが用意されている始末。母も僕も、さすがにこの貢ぎ様には唖然とした。笑
しかし、行くたび行くたび、貢いでくれる祖母に対して、ぷりんもまんざらでもなく懐いたようで、今では祖母の家に行くと声を掛けると、跳ねて喜ぶようになった。
これは余談だが、このことがきっかけで僕らが少し遠出で家を空ける際、ぷりんを祖母の家に預けるという手段が出来た。そんなに家を空けることもなかったが、ぷりんに寂しい思いをさせなくて済むということが、僕らにとっては一番安心だった。
ぷりんを飼い始めて、6年目の冬頃、僕は高校3年生となっていた。兄は、大学に通うために、宮崎県にて、下宿生活を送っており、実家にはいない。家には、母、父、僕とぷりんがいる。そして僕は、その年の8月頃には、進路が決まり、3月末に家を出て東京に行くことが決まっていた。
上京するための準備を少しずつしていく中で、僕にとって一番ネックなのは、やはりぷりんに会えなくなること。福岡から東京という距離では、帰ろうと思ってすぐに帰ってくることも難しい。
年が明けて1月、上京の準備が本格的に始まり、僕は父と2人で、お世話になる学生寮や、専門学校の内見のために東京に訪れる機会があった。その際、ボストンバッグに着替えをいくつか準備していると、ぷりんは僕をじっと見つめ、すぐに居なくなったと思ったら、気付いたら僕のバッグの中に入っていた。学校に行くために朝準備をしているときもよくカバンの上に乗ったりしていたが、中に入ったのはこれが初めてだったので、流石に驚いた。そんなぷりんの様子を見て母が声をかける。
「ぷりんも一緒に行くの?」
カバンの中で密かに尻尾を振っているのが目に入る。しかしもちろん連れて行くわけにもいかず、カバンから出そうと抱えようとすると、ぷりんは唸り声を上げる。ぷりんは一度唸りだすと、少し手間が掛かる。無理やり抱えようとすると唸り声が大きくなり、終いには吠えて甘咬みすることも稀にある。僕がぷりんを抱えようとしては、ぷりんが唸るという押し問答を10分ほど繰り返した後に、ようやくぷりんをカバンから出すことが出来たが、少し機嫌が悪くなったのかソファの下に潜って出てこなくなってしまった。僕はその隙に準備を終わらせ、お風呂に入った。お風呂から上がってリビングに戻ると、母のベッドにうつ伏せで横たわるぷりんと目が合った。ぷりんは澄ました顔で尻尾を振り、僕が傍に座ると僕に寄り掛かってくる。ぷりんは頭から背中にかけてゆっくり撫でられるのが好きで、よく撫でろと言わんばかりに身体を近づけてくる。すっかり機嫌が良くなったことを察した僕は、仰せのままに身体を撫でる。撫でながら身体を仰向けにさせてお腹を撫でてそのまま撫でる手を顎下に持っていく。その流れをやっている間に僕の顔はどんどんぷりんの顔に近づいていき鼻と鼻が接触すると、決まってぷりんは僕の顔を舐めだす。ぷりんは、僕に噛みついたり吠えたりしたあとはいつもより多めに舐めることがある。きっとぷりんなりの「ごめんなさい」のつもりなのだろうとは思うが、僕の顔に関しては、普段から一番舐めてくるので、正直僕に対しての「ごめんなさい」は、あまり差がわからない。笑
また少し時が流れ、その年の3月。高校を卒業して、いよいよ僕が上京する時が来た。専門学校への進学が決まっていた僕は、家を出るための準備を重ねていた。リビングに段ボールが増えていくたびに、ぷりんが僕のことを見つめる。僕が自室で準備をしている間は、廊下の階段の前に座って上を見ていたらしい。
「もうすぐ小兄がいなくなること、わかってるんよ。」
母はしきりにそう言っていた。
確かに僕にも心当たりがないわけではなかった。僕が家にいるときは、普段以上に僕の傍に寄って来る。僕が外出しようとすると、いつもは上げないような鳴き声を上げる。 しかもその鳴き声は、日に日に悲しさが増したような声になっていく。
もちろん僕が上京することを辞めるわけにはいかない。だからそんなぷりんを横目に置きながらも準備を進めていく。
上京する一週間前、引っ越し業者が来て、僕と母がどの荷物を運ぶかを伝え、荷物を次々に運んでいく。そんな僕の姿を、ぷりんはずっと後ろから見つめていた。僕もその視線には気づいていた。振り向くたびに何度も目が合っていた。
そしてとうとうその日がやってきた。2015年03月31日。僕が家を出て東京に引っ越す日。手で持っていく荷物を準備して、母の運転で空港に向かう。その車の中で、ぷりんはずっと僕の腕の中にいた。ぷりんは普段、車に乗るときは後部座席をうろうろしながら、窓の外を見ている。僕が抱こうとしてもじっとしていられず、ずっとうろうろしている。しかし今日だけはずっと僕の腕の中にいて、僕の顔を見ている。僕が顔を近づけると顔を舐める。でもいつもの勢いはなく、ゆっくりゆっくり、噛み締めるように舐める。空港に着き、母が車を止め、僕が車を出ようとしたとき、ぷりんが吠える。僕はもう一度抱きしめて、ぷりんに伝える。
「そのうち帰ってくるから、それまでお母さんたちをお願いね。」
ぷりんはその言葉に反応するように、僕の顔を舐める。
母曰く、僕が空港のゲートを通るまで、ぷりんはずっと僕のことを見ていたそうだ。
上京してしばらくは、3日に一度くらいのペースで母からの電話があった。その日のことを話すわけでもなく、ただ母は、こう言う。
「スピーカーにするからぷりんを呼んで。」
僕は言われるがままに、電話越しにぷりんの名を呼ぶ。電話の先で、鳴き声が聞こえる。ぷりんの鳴き声だ。鳴き声が聞こえたと思ったら、激しい足音が聞こえるようになる。ぷりんが家中を駆け回って僕を探している音だった。
そんな音を聞くのがだんだん切なくなり、母との電話の回数を徐々に減らしていった。
僕が電話をしなくなってから、母は僕にぷりんの写真を送り続けてくれた。ご飯を食べている姿や僕の毛布に包まって爆睡している姿、僕の部屋で伏せて動こうとしない姿。
その写真のおかげで僕はぷりんの現状をその都度知ることができた。
上京して最初の年末、入学した専門学校も冬休みのため、僕は実家に戻った。飛行機で地元の空港に到着し、ゲートをくぐって出口を抜ける。車で迎えに来ていた母と、母に抱かれたぷりんがそこにいた。ぷりんは僕の顔を見るなり、母の腕を掻き分け僕のもとに来ようとしている。母はそのぷりんの動きと目線で僕に気づき、そのまま僕に歩み寄ってくる。
僕の近くに着くなり、ぷりんはいっそう藻掻いて母の腕から抜け出そうとする。そんなぷりんに母は声を掛ける。
「はいはい、小兄のとこ行きたいんやろ、わかったわかった。」
母は腕を僕のほうに出し、ぷりんはそのまま僕の腕の中に来る。
僕がぷりんを抱きかかえるとぷりんは藻掻く足を落ち着かせ、すぐに僕の顔を舐めだす。僕も負けじとぷりんを撫でる。
時間としてはまだ一年も経っていなかったが、それでも約9か月という期間。こんなにも長くぷりんに会っていなかったのは初めてだったから、自分で思っている以上にさみしかったのだと痛感した。
初めての帰省は、約一週間。
次の日の朝、僕はぷりんと散歩に出かけた。
とはいえ、ぷりんは外を歩くのがそこまで好きではない。僕が散歩に誘うと玄関まで走っていき、洋服を着せてリードをつけると元気よく歩き出す。
しかし、自宅の前の私道を歩き、公道に出るころにはUターンしようとする。
僕が声を掛ける。
「ぷりん、もう帰るん?」
ぷりんは僕のほうを見て、すぐに公道のほうに向き直る。歩き始めて、公道に出るときに僕が一度止まると、ぷりんも必ず止まる。安全を確認して僕が歩き出すとぷりんも歩き出す。
少し進むと商店街があり、見知った人たちがいる。奥には、僕が昔からよく買っている回転焼のお店がある。今日の散歩の目的地でもあった。
自宅からだいたい15分ほどの距離で、散歩にはちょうどいい。
しかし商店街に入ったくらいでぷりんのらしさが出てくる。そう、立ち止まるのだ。
回転焼のお店に到着するころにはもう疲れているため、僕が抱きかかえて歩いている。これも、いや、これがぷりんと僕の散歩スタイル。ぷりんが歩くのは最初の数メートルのみで、あとは僕が抱いて帰る。
でも、その抱き上げた瞬間ですら、この時の僕にとってはたまらなく愛おしかった。
一週間のうち、合計3日間くらいは友人と会っていたが、自宅にいる間はずっとぷりんの傍にいた。
リビングで一緒に昼寝したり、僕が家の中を動くときは必ずついてくる。
階段を上がろうものなら意気揚々と上がってくる。僕がお風呂に入っていると、扉の前でじっと待っている。トイレに立つだけでもついてきて、後ろからずっと見つめている。
そんなぷりんの姿が愛おしくて、このままずっと実家にいたいとまで思ったほどだ。
楽しい時間というのはあっという間で、東京に戻る前日となった。
僕が荷物を準備していると、後ろからトコトコ足音が聞こえてくる。僕の真後ろで止まったと思ったら、鳴き声を上げ、吠える。きっと、9か月前の光景を思い出しているんだろう。
僕が手を止め振り向くと、ぷりんはその場で吠え続ける。
言葉を持たないぷりんの声が、僕の心に響いてきた。
「またいなくなるんだね。また会えなくなるんだね。」
僕もぷりんも見つめる。僕がぷりんのほうに寄って、抱き上げる。
「大丈夫よ。また帰ってくるけね。ちゃんと元気にしとってね。」
ぷりんは顔を上げて僕の顔を舐めだす。
「また帰ってくる。約束だよ。」
そんな声が響いてきた。
その夜、僕らは同じベッドで一緒に就寝した。ぷりんは僕の腕から一晩中離れなかった。
それからまた一年が過ぎ、次の帰省は年明け後だった。
上京してから約二年。今回は成人式のための帰省だった。
専門学校を中退し、アルバイトに明け暮れていた僕は、人生で初めて自分のお金でぷりんにプレゼントを買っていった。洋服だ。実は僕は、当時からある黄色いクマのキャラクターが好きだった。そのキャラクターを模した犬用の洋服をたまたま見つけて、衝動買いした。
初めて自分の稼いだお金で買ったぷりんへのプレゼント。値段的にはそんなに高いものではない。さらにぷりんは、祖母以外から洋服を買ってもらったことがない。気に入ってくれるかはわからない。でも僕はぷりんに喜んでもらいたいという想いだけで、帰路につく。
今回の帰省は、前回と違い、新幹線で帰った。新幹線で帰ることで、母の迎えがなくても、自宅の最寄り駅に到着できる。
新幹線を降り、最寄り駅についた僕は、急いで自宅に向かった。自宅への私道に入り、門まで歩く。自宅の窓が見える位置になったころ、窓から鳴き声が響く。自宅の窓は普段網戸になっていて、ぷりんはいつもそこから外を眺めている。そんなぷりんと目が合った瞬間、立ち上がり、声を上げる。僕が門を開け、玄関のカギを開ける瞬間、やはり玄関の明かりがつく。そう。それはまるで、中学や高校から帰ってきていた頃と同じように。
僕が扉を開け家に入ると、ぷりんは飛びついてくる。もちろん僕は触れない。荷物だけ玄関に置き、洗面所に向かって手洗いうがいを終えた後、ようやくぷりんに向けて手を広げる。
「ただいま!!」
ぷりんは僕に駆け寄り、顔中を舐めまわす。一年前と何ら変わりない情景に、見ていた母も笑い出す。そして僕は、玄関の荷物の中から、例の洋服を取り出し、ぷりんに渡す。
それを見たぷりんは、しっぽを振る速度を速める。僕は洋服のタグを切って、プリンに着せてみる。サイズはピッタリ。ぷりんも喜んでいる様子で、本当によかった。
今回はひとまずここまでです。
投稿主は基本マイペースなので、この後は書きあがり次第、順次投稿していきます。
だいたい10月中旬を目途に書き進めていますので、気長にお待ちいただけると嬉しいです。




