事故物件
この世の中には、事故物件というものがある。
部屋の中で人が亡くなったり、奇妙な現象が起きたりと、普通に人に貸しにくいという物件だ。
大抵こういう物件は家賃が安かったりする。それに告知義務というものがあって、『この物件でこんな事がありました』ということを借主に伝える義務があるんだそうだ。
私が借りた部屋も、多分その類なんだろうと思う。
いや、その類というか、方向性が似ているといった方が良いかも知れない。
東京都内、築20年で1度リフォームが入っている軽量鉄骨アパートの一室、2LDKの物件で家賃はなんと月々8000円。
「あー……もう8時かぁ……朝ごはん食べるかなぁ」
私はスマホのアラームを止めて、のそのそと起き出して行動開始。
いろんなタイプが住むアパートで、私は日がな一日部屋の中で過ごしている。
「あ、そうだ……オーナーに始業連絡しなきゃ」
私はスマホのメッセージアプリで『おはようございます、本日の業務開始します』と打ち込んでからキッチンに向かう。
ただ、在宅勤務というわけじゃない。
私は新卒で就職した会社が東京にあって、さぁこれから私の人間としての圧倒的成長が始まるんだ、と思っていた。
今年の4月1日に仕事を始めるんだから、3月半ばに引っ越しが出来れば良い。そしたら3月から家を借りるようにしよう。
やっぱり東京だと色々物価も高いだろうし、節約できるところは節約しなければ。家賃を余計に払うのだって避けたい。
ということで、愚かな私はなんと2月から家を探し始めた。
圧倒的出遅れ。もう洒落にもおハナシにもならないレベルの出遅れ。
物件探しは難航を極め、都心にコネも知り合いもいない私は途方にくれた。
そんな私を憐れんだ、とある不動産屋のお姉さんが『これはね、本当はあんまりオススメ出来ないんだけど』と提示してきたのが、今私が住む部屋。
激安家賃、好立地ながら注意事項が4つあり、『女性専用』、『すぐとなりが墓地』、『事故物件である』ということと『最低でも2年は住んで欲しい』とのこと。
2年で出ていけ、というものじゃないのであれば問題はないし、むしろこの家賃のまま東京に住めるのなら願ったり叶ったり。
隣が墓地? 事故物件? それがどうした、おばけなんているはずがない。女性専用というなら、むしろウェルカムでは。
『ここにします! もうどこでもいいです!』
私は考えるよりも先に即決で入居を決めた。
すぐに契約を済ませたのち、ギリギリとなる3月25日にようやく引っ越しを終えた私のもとにもたらされたのは、就職先の倒産というニュースだった。
家さがしで必死だった私はテレビやネットのニュースに気付かなかったが、なんと大規模な顧客情報漏洩事件、上層部の横領、社長のパパ活というトリプル役満で、3月31日を持って廃業となる、ということだった。
私は、家を手に入れたものの、入社前に失業してしまい、新卒という日本の就職市場での最強カードも失った。
途方に暮れた私は、大家さんに契約について相談するために電話をすると、なんと大家さんは『ちょうどそのアパートの管理業務をしてくれる人を探していた。アルバイト扱いで良ければどうだろう。他のバイトと掛け持ちでも構わないし、専業でやってくれるなら、大卒初任給水準の給料を出す。家賃は相殺で構わない』という、もう神か仏なんじゃないかと思える話をしてくれた。
またしても私は考える前にこの話に飛びついた。
スマホが不意に私の手の中で振動を始める。液晶には『オーナー』という名前が表示されている。
「あ、おはようございますオーナー」
『あぁ、おはようございます。今日もよろしくお願いします。ちょっと共用部分の通路に枯れ葉が落ち始めてるようですから、掃除を入念にお願いします』
「はい、わかりました」
考えてみれば楽な仕事だ。
入居している人たちはみんないい人たちばっかりだし、普段の仕事は掃除だの業者さんとのやり取りくらい。入居者間トラブルはめったに無い。
通話を終えて、焼き上がったトーストにたっぷりとジャムを塗って、立って窓から外を眺めながら、という極めてお行儀悪く朝食を食べる。
「あらぁ、管理人さんおはよ」
窓の直ぐ側を通ったのは、すぐとなりの部屋に住むシングルマザーの雪子さん。
凄く色白で、綺麗な銀髪。涼やかな雰囲気の超絶美人で、この人と可愛らしい娘ちゃんを残して死んだ旦那さんはさぞ無念だろうな、と思ってしまうくらいの美女だ。羨ましい。ズルい。特に胸が。
気さくに挨拶をしてくれる人で、私を含め4世帯のこのアパートの住民の中では一番接点が多い。
「おはようございまぁす」
「おねーちゃんおはよー」
「はぁいおはよ。雪乃ちゃん今日も可愛いねー?」
「えへへぇ、ありがとー」
「ママとお出かけ?」
「うん、コンビニいってくるの」
「そっか、行ってらっしゃい。車に気をつけてね?」
超絶美人の雪子さんに手を引かれた雪乃ちゃんは、ブンブンと元気よく手を振って道へと出ていった。
「……あれ、ちょっと今日暑いかな。さっきまで涼しかったのに」
「雪子さん達はお出かけですか」
「え? あ、オーナー? ……じゃなくて、えっと、小野さん」
いつの間にあっていたのか、突然声をかけてきたのはこの物件のオーナーの小野さん。
最初はタカムラさんかと思っていたけれど、どうやら小野さんというのが正しい名前らしい。
「どうしたんです? 何か業務連絡ですか?」
「いえ、202号室の伊原木さんと家賃の交渉ですよ。それに201号室の多摩茂さんからお茶に誘われましたので」
「えっ? 小野さん、ここ女性専用ですよ」
「女性専用の物件ですが、男子禁制じゃありませんよ。鹿島さんも、業務に影響がなければ男性を連れ込んでも構いませんからね?」
にこ、とまるで貴族のような優雅な笑みを見せてから、2階へと続く階段を登っていく。
202号室の伊原木さんはバレーボール選手なのか、凄く背が高くて筋肉質な体育会系のお姉さん。多摩茂さんは、何でも夜のお仕事をしているらしく、女の私が見てもゾクゾクするくらい色気のある大人の女性だ。
考えてみれば、雪子さんも伊原木さんも多摩茂さんも、みんな美人揃いだけど全員未亡人らしい。
小野さんだったか高村さんだったか、凄く紛らわしい名前のオーナーは、ひょっとしたら行き場のない女性、それも特に未亡人を保護する活動でもしてるんだろうか。
「ま、いっか。掃除掃除っと」
朝食を済ませた私は、掃除用具入れから古めかしい竹箒を取り出して、アパートの周りの掃除を始める。
事故物件と言う割には何も起きないし、すぐとなりのお寺の墓地も静かなものだ。
エプロンをかけて鼻歌を歌いながら掃除をする私に、郵便局の配達員さんが私に歩み寄ってくる。
「すみません、こちらに鹿島さんという方がお住まいですかね? 101号室の、カシマレイコさん」
「あ、はい、私です」
「お届けものです。こちらにサインを」
「はぁい、ありがとうございます。お疲れさまです」
さぁて、今日も一日、頑張って管理人さんをやりますか。




