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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
箱舟の亀裂

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第91話 裏方たちの誓い

 冷え切っていた金属の部屋の空気は、少しずつ、だが確実に熱を帯びていた。


 絶望に沈んでいた七人の漂流者たちは、カイの揺るぎない覚悟に触れ、それぞれが「自分にできること」を探し始めていた。


『私ノ頭脳ガ、ドウ役ニ立ツカハ分カラナイガ。……指示ヲ、クダサイ』


 高級スーツを泥と煤で汚した初老の男――リチャードが、カタコトの日本語で真剣に問いかけてきた。過酷なビジネスの最前線で培われた冷徹な理性が、彼の瞳に光っている。


 カイは、ゆっくりと首を横に振った。


「俺は軍人じゃありません。指示を出してあんたたちを前線で戦わせるような真似はしない。……それに、教会の連中が『聖譜(スコア)』と呼んで使う魔法の威力はデタラメだ。何の防具もなしに立ち向かえば、一瞬で灰にされます」


「……じゃあ、俺たちはどうすればいいんだ? ただここで震えて、君たちが戦うのを待ってろって言うのか?」


 サカキが、油汚れの染み付いた作業着の袖を握りしめながら身を乗り出した。三十年以上、日本の町工場で図面と睨めっこし、鉄を削り続けてきた職人の手。その手は今、何かを作り出したくて、何か役に立ちたくてウズウズしているように見えた。


「違います。戦うのは俺たちだ。でも、戦い続けるためには『裏方』が必要なんです」


 カイは、残された生身の左手で、自身の右肩――包帯でぐるぐる巻きにされた喪失の痕を軽く叩いた。


「俺の右腕は、ここに来る直前の戦いで溶け落ちました。今の俺は、まともに戦える状態じゃない。……俺たちを助けてくれているこのアジトの連中も、みんな満身創痍です。食料も、物資も、医療も、すべてがギリギリの状態で綱渡りをしてる」


 カイは、七人の顔を一人一人順番に見回した。


「あんたたちの『当たり前の知識』を貸してください。この世界は、魔法なんていう曖昧なものに頼りきっているせいで、根本的な技術や効率が恐ろしく遅れているんです」


 カイの言葉を、リチャードが素早く的確に、フランス語やスペイン語を交えて他のメンバーへと通訳していく。彼らの表情から怯えが消え、自分たちが無力な被害者ではなく、価値のある協力者になれるのだという希望が宿っていくのが分かった。


「サカキさん。あんた、機械の構造なら何でも見てやるって言いましたよね」


 カイがサカキに向き直ると、サカキは力強く頷いた。


「ああ。図面さえあれば、どんな複雑なもんでも仕組みを理解できる自信はある。……だけど、魔法の道具なんて俺に分かるのか?」


「分かります。あいつらの道具は、魔法っていう飾り付けをしているだけで、中身はただの物理法則に従って動く機械です。……このアジトのさらに地下に、俺の武器を作ってくれている職人の工房があります。俺はこれから、新しい右腕を作ってもらうためにそこへ行く。サカキさん、あんたのその職人の目で、俺の武器の構造を見てほしい」


 サカキの目が、かつてないほどの輝きを帯びた。自分の技術が、この少年の命を繋ぐ武器の役に立つ。それは彼にとって、この狂った世界で己の存在証明を得るに等しい誘いだった。


「……任せとけ。俺の三十年のキャリア、全部つぎ込んでやる」


『カイ、サン』


 リチャードが、サカキの言葉が終わるのを見計らって口を開いた。


『私ハ、投資ノ仕事ヲ、シテイマシタ。……コノ組織ノ、物資ヤ人員ハ、ドウ管理サレテイマスカ?』


 投資。その言葉を聞いて、カイはリチャードの立ち振る舞いに納得がいった。パニックに陥る多国籍な人々を冷静にまとめ上げた、あの高い情報処理能力と交渉術。ウォール街のような過酷な金融の世界で生き抜いてきたプロフェッショナルなのだ。


 カイは少し考えてから答えた。


「正直言って、泥縄です。必要なものを、必要な時に、中立地帯の闇商人から買っている状態です。教会の連中が流通ルートを監視しているので、常に物資不足に悩まされています」


 リチャードは深く頷き、泥だらけのネクタイの結び目を少しだけ直した。


『ナルホド。……魔法ガアッテモ、経済ノ基本ハ変ワラナイ。物資ノ流通、在庫ノ管理、リスクノ分散。……私ノ経験ガ、役ニ立ツハズデス』


 彼のような人物がレジスタンスの物資管理や取引の仕組みを根本から見直せば、アジトの生存確率は劇的に跳ね上がるだろう。


「ありがとう、リチャードさん。後で、この組織の代表に引き合わせます。とても理屈っぽい、眼鏡をかけた頭の切れる男です。あんたなら、きっと話が合うはずだ」


 リチャードがかすかに微笑んで頷いたのを見て、今度は青いナース服を着た女性が、おずおずと手を挙げた。アンナだ。彼女の足元では、浅黒い肌の少年マテオが、彼女の服の裾をしっかりと握りしめている。


『彼女ハ、看護師デス。怪我人ノ手当ガデキル、ト言ッテイマス』


 リチャードが即座に通訳してくれた。


「看護師……! それは、すごく助かる」


 カイは思わず身を乗り出した。


「ここにはヘレナっていう優秀な医者と、エリスさんっていう目が見えない治療師がいるんですけど、その二人だけで全部の怪我人を診ている状態で、完全に手が回っていません。……それに、この世界の治療は祈りとか魔法に頼りすぎていて、衛生観念が少し怪しいところがあるんです」


 カイがスラムで見た光景。泥だらけの手で傷口を塞ごうとする治療。魔法で無理やり傷を塞いでも、感染症などのリスクは消えないはずだ。現代の医療知識と衛生観念を持った看護師の存在は、満身創痍の今のレジスタンスにとって何よりもありがたい人材だった。


「アンナさん。あんたの知識で、ここの医療体制を少しでもマシにしてやってほしい。……俺の仲間たちを、助けてやってくれないか」


 カイがリチャードを通じてそう伝えると、アンナは両手で顔を覆い、安堵の涙を流しながら何度も何度も頷いた。彼女もまた、自分が誰かを救える立場になれたことが、何よりの精神的な救いになったのだろう。


 他のメンバーたちも、それぞれができることを探し始めていた。自転車のヘルメットを被った若者のジェイソンと、南国風のタトゥーを入れた屈強な格闘家のケオニは、言葉は通じなくとも持ち前の体力で、資材の運搬や力仕事を担うと身振り手振りでアピールしている。派手な服を着たクロエは、まだ少し戸惑いを見せていたが、リチャードにフランス語らしき言葉で何かを諭され、情報整理やアジトの清掃などの雑務から手伝うと小さく頷いた。そして、少年マテオは、アンナのそばを離れないものの、その真っ黒な瞳には先ほどまでの絶望は消え、カイを頼もしげに見つめる強い光が宿っていた。


 カイは、彼らの顔を改めて見渡した。七人の同郷人。ほんの数時間前まで、理解不能な世界で死の恐怖に怯えていた者たち。彼らは今、それぞれが持っている「現代の知識」を武器にして、この狂った世界に抗うための『裏方』としての誓いを立てたのだ。


「……ありがとうございます」


 カイは、深く頭を下げた。


「俺一人じゃ、限界があった。でも、あんたたちが支えてくれるなら、俺はもっと前で戦える」


 カイが顔を上げると、部屋の入り口に、先ほど下がらせていたロゴスの裏方メンバーたちが、不安そうにこちらを覗き込んでいるのが見えた。カイは彼らを手招きで呼び寄せた。


「みんな、もう大丈夫だ」


 カイがこの世界の言葉で告げると、ロゴスのメンバーたちは、漂流者たちが落ち着きを取り戻し、水に口をつけようとしているのを見て、驚きと安堵の表情を浮かべた。


「すごい……。君、本当に彼らと言葉が通じるんだね」


「ああ。彼らは、俺と同じ国、同じ世界の出身だからな」


 カイは、ロゴスのメンバーたちに向き直った。


「彼らは敵じゃない。むしろ、俺たちに足りない知識を持って、力を貸してくれる強力な味方だ。……言葉は通じないかもしれないが、どうか彼らを頼ってやってくれ」


 ロゴスのメンバーたちは、深く頷いた。リチャードが立ち上がり、自らロゴスのメンバーたちに歩み寄って、片手を胸に当てて丁寧な礼をした。言葉の壁はあるが、生き残るという共通の目的を持った二つの世界の人間たちが、初めて不器用な歩み寄りを始めた瞬間だった。


 部屋の空気が、完全に変わったのを感じた。もう、ここには「守られるだけの哀れな被害者」はいない。共に戦い、共に生き抜くための、新しいチームの形ができあがりつつある。


(……こいつらが後ろを任せてくれと立ち上がったんだ。なら俺は迷わず前を向いて、理不尽を切り裂く『刃』にならなきゃな)


 カイは、彼らがロゴスのメンバーたちと身振り手振りでコミュニケーションを取り始める様子を静かに見つめながら、改めて自分の背負ったものの重さを自覚していた。


 あちら側の世界では、進路希望調査票に書く未来すら見つけられなかった。誰かに必要とされることもなく、ただ退屈な日常を流されるままに生きてきた。だが、ここでは違う。彼らは、俺が教会の理不尽なシステムをぶち壊し、元の世界へ帰るための道筋をこじ開けてくれると信じている。この七人の命と、彼らが帰るべき当たり前の日常。それを背負って立つための『導き手』としての責任が、今のカイの心臓を熱く脈打たせていた。


「サカキさん」


 カイは、作業着の男に声をかけた。


「俺はこれから、新しい腕を作ってくれる職人のところへ行きます。……あんたも、一緒に来てくれますか」


 サカキは、待ってましたとばかりに立ち上がり、油で汚れた手をズボンで乱暴に拭いた。


「もちろんだ。……日本の町工場の意地ってやつを、その異世界の職人さんに見せてやらねえとな」


 カイはわずかに口角を上げ、重い鉄扉に向かって歩き出した。右肩の喪失部分は、包帯の下でまだわずかに痛む。物理的な戦力は激減している。だが、不思議と不安はなかった。自分を信じて背中を押し出してくれる同郷の人間たちが、これほどまでに強固な支えになるとは思っていなかったからだ。


 カイは、冷たい金属の廊下へと足を踏み出した。次なる目的地は、熱気と騒音に満ちたヴォルグの工房。失われた冷却機構を取り戻し、あの理不尽な狂信者どもを論理でねじ伏せるための、新しい「刃」を造り上げるために。

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