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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
箱舟の亀裂

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第90話 異邦の夜明け

 冷たい金属の壁に囲まれた居住区画の大部屋で、カイの静かな声が響いていた。


「俺を助けてくれた、このアジトの仲間たちから聞いた話ですが、ここは地球じゃありません。正確に言えば、三千年前の『事故』によって地球の空間軸から切り離され、隔離された世界です」


 カイが語る真実を、サカキが息を呑みながら聞き入り、隣でリチャードが真剣な表情で耳を傾けている。リチャードは、カイの言葉を頭の中で素早く噛み砕き、背後に集まる漂流者たちへ向けて、フランス語やスペイン語などを交えて的確に通訳していく。


 言葉が伝播するたびに、部屋の空気が少しずつ重く、冷たく凍りついていくのが分かった。


「空間が、切り離されている……?」


 サカキが、油で汚れた作業着の膝を強く握りしめ、震える声で聞き返した。


「じゃあ、なんだ。俺たちは神隠しにでも遭ったって言うのか? それとも、映画みたいに異世界に飛ばされたとでも? 富士山の麓にあった俺の工場は……俺の家族はどうなったんだよ!」


「外の世界は、そのまま残っています。ただ、俺たちだけが、向こう側から見えない『箱庭』の中に引きずり込まれたんです」


 カイは、膝の上で残された生身の左手を固く握ったまま、サカキの目を見据えて答えた。


 リチャードの通訳を聞いた派手な服の女性――クロエが、両手で顔を覆い、言葉にならない悲鳴を上げてその場に泣き崩れた。自転車のヘルメットを被った若者、ジェイソンはうわごとを繰り返し、頭を抱えて壁に背を預ける。南国風のタトゥーを入れた屈強な格闘家のケオニでさえ、虚空を睨みつけたまま言葉を失っていた。青いナース服のアンナは、足元で怯えるマテオの耳を塞ぐように強く抱きしめている。


『ドウシテ、私タチガ……?』


 リチャードが、カタコトの日本語でカイに問いかけた。その顔には、過酷なビジネスの現場で培われたであろう冷徹な仮面の下に、隠しきれない濃密な恐怖が張り付いていた。


『身代金、デハナイ。……アノ祭壇デ、私タチハ……何ヲサレル、ツモリダッタノデスカ』


 カイは、静かに息を吸い込んだ。ここからが、一番残酷な真実だ。


「……燃料にするためです」


「燃料……?」


 サカキが、信じられないものを見る目でカイを見た。


「この世界は、外の宇宙から完全に遮断された密室です。その密室の壁……『結界』を維持するためには、莫大なエネルギーが必要になる。でも、この世界の住人たちの魂は、こっちの環境に馴染みきっていて、結界の強大な圧力を受け止める器にはならないんです」


 カイは、自分がかつてレジスタンスの遺した知識から読み解き、そして身をもって経験した理屈を、できるだけ平易な言葉で説明した。


「俺たちの世界には、この世界を満たしているエーテルというエネルギーが存在しません。真空みたいな環境です。そこで自己を保って生きてきた俺たちの魂は、極限まで硬く圧縮されていて、密度が高い。……だから、教会の連中にとって俺たちは、結界の維持機構に組み込むための、極上のバッテリーなんです」


 永遠に死ぬことも許されず、ただ結界を維持するための部品として、この狂った世界に固定される。祭壇でマリアンヌが語っていた「永遠の安らぎ」という言葉の裏にある、本当の地獄。


 リチャードの通訳が途切れた。彼は目を見開き、額から脂汗を流している。通訳するまでもなく、彼の表情の絶望が、他のメンバーにも最悪の事態を悟らせた。


「……う、あ……ぁぁぁ……」


 サカキが、両手で頭を抱え、床にうずくまった。


「嘘だ……嘘だろ……。俺は、ただ……機械の図面と睨めっこして、鉄を削ってただけなんだぞ……。それが、なんで……」


 部屋は、完全な絶望に包まれた。誰一人として言葉を発することができない。啜り泣く声と、荒い呼吸音だけが、冷たい金属の壁に反響している。


 カイは、その光景を黙って見つめていた。無理もない。彼らはつい数日前まで、当たり前の日常を生きていたのだ。理不尽な理由で拉致され、理解不能な聖譜の暴力に晒され、自分たちが機械の部品として消費される運命にあると告げられたのだ。それでも彼らが完全に発狂せずに意識を保っていられるのは、エーテルのない世界で培われた「硬い魂」の防壁が、この異常な空間の圧力下でも辛うじて彼らの自我を保たせているからだろう。


(……俺も、そうだった)


 カイは、自らの赤黒い火傷の痕が残る左手を見つめ、静かに口を開いた。


「……俺がこの世界で最初に目覚めたのは、泥と瓦礫だらけのスラムでした」


 カイの低い、落ち着いた声が、啜り泣きに沈む部屋に響いた。その声には、不思議なほどの静謐さがあった。サカキが、そしてリチャードが、涙で濡れた顔を上げる。


「言葉はまったく通じない。空気は息をするだけで肺を焼き、水は一口飲んだだけで魂をショートさせる猛毒でした。……俺は、自分がどこにいるのかも分からないまま、言葉の通じない恐怖と、圧倒的な絶望の中で死にかけていました」


 カイは、あの日、スラムのあばら屋で味わった恐怖を思い出す。世界中が自分を拒絶しているような感覚。日本の教室にいた、退屈で平和な日常が、まるで遠い前世の夢のように思えた日々。


「怖かった。……このまま泥の中で、誰にも知られずに死んでいくんだって」


 カイの言葉を、リチャードが静かに、ゆっくりと通訳していく。漂流者たちの視線が、カイの真っ黒な瞳に集まる。その瞳の奥にある、彼らと同じ、あるいはそれ以上の絶望をくぐり抜けてきた者の色に。


「でも、俺は生きています」


 カイは、顔を上げ、彼らを真っ直ぐに見据えた。


「この世界は狂っています。教会の連中が『聖譜(スコア)』と呼んで振りかざす魔法は、理不尽で、圧倒的で、俺たちの常識じゃ計り知れない暴力です。……でも、絶対に破れない魔法なんて、どこにもなかった」


 カイは、ゆっくりと立ち上がった。失われた右肩の断面が、白い包帯の下でわずかに痛む。だが、彼はその傷跡を隠そうとはしなかった。


「彼らの奇跡は、神様が起こしてるわけじゃない。空気中の酸素を使ったり、摩擦を起こしたり、熱を奪ったり……ただの『物理現象』に、大げさな飾り付けをしているだけなんです。原因があって、結果がある。俺たちが学校で習った、当たり前の理屈の延長線上にすぎない」


「理屈……」


 サカキが、ぽつりと呟く。


「そうです」


 カイは力強く頷いた。


「俺たちは、この世界の人間みたいに祈ったり、魔法を使ったりすることはできない。でも、俺たちには、向こう側の世界で積み重ねてきた『当たり前の知識』がある。……配線がショートすれば機械は止まる。空気がなければ火は消える。……どんなに強大な魔法でも、その構造の『結び目』さえ見抜けば、俺たちの理屈で解体できるんです」


 カイの言葉が、冷え切っていた部屋の空気に、微かな、しかし確かな熱を帯びさせていく。


「あんたたちを縛っていた、あの祭壇の光の鎖。あれも、ただのエネルギーの回路でした。だから、引きちぎることができた」


カイは、サカキの方へ歩み寄った。


「サカキさん。あんた、あの祭壇の床の模様を『配線』だって言いましたよね。……それ、すごいことですよ。この世界の人間には、あれがただの神聖な模様にしか見えていない。でも、あんたは職人としての目で、あれを『エネルギーが流れる回路』として正確に捉えていたんだ」


 サカキが、ハッと息を呑む。


「俺の……工場で培ってきた勘が、か……?」


「ええ。俺たちが向こう側で生きてきた日常は、無駄じゃない。この狂った世界を生き抜くための、最大の武器になるんです」


 カイは、リチャード、アンナ、ジェイソン、ケオニ、クロエ、そしてマテオと、一人一人の顔を見回した。


「俺は、一人で戦ってきたわけじゃありません。ここには、教会のやり方が間違っていると気づき、理屈で対抗しようとしている仲間たちがいる。彼らがいなかったら、俺はとっくに死んでいました」


 カイは、右肩の喪失部分を左手で軽く叩いた。


「俺の右腕は、ずっと前にこの世界の連中との戦いで失いました。そして、代わりの義手も、あんたたちを助けに行く直前の、教会の処刑部隊との死闘でドロドロに溶け落ちました。……でも、後悔はしていません。あんたたちがあのまま部品にされるのを見過ごすくらいなら、腕の一本くらい……どうってことないですよ」


 その言葉に、部屋は完全な静寂に包まれた。自分たちを救うために、この少年がどれほどのものを犠牲にし、どれほどの地獄をくぐり抜けてきたのか。その事実が、彼らの胸に重く、熱く突き刺さる。


「……もう、誰一人、理不尽な犠牲にはさせません」


 カイの静かで、揺るぎない覚悟の言葉。それは、魔法でも奇跡でもない。ただの十七歳の高校生が発した、泥臭い意地だった。だが、その少し不器用な言葉は、どんな神聖な詠唱よりも強く、漂流者たちの心に火を灯した。


『私ハ……命ヲ、救ワレマシタ』


 リチャードが、泥だらけのネクタイを締め直し、ゆっくりと立ち上がった。彼の瞳には、状況に怯える被害者の色ではなく、一人の大人としての責任感が戻っていた。


『アナタの言ウ通リ、デス。私タチハ、タダ怯エルダケノ、子供デハナイ。……私ノ頭脳ガ、コノ世界デドウ役ニ立ツカハ分カラナイガ、受ケタ借リハ必ズ返ス。約束、シマス』


 リチャードが、自身の右手を胸に当てて深く一礼する。


「俺もだ」


 サカキが、手で目元の涙を乱暴に拭い、立ち上がった。


 「機械の構造を見抜くことなら、三十年やってきた俺の右に出る奴はいねえ。配線だろうが、魔法の回路だろうが、なんだって見てやる。……カイ君、俺たちにできることがあれば、何でも言ってくれ!」


 サカキの言葉に同調するように、ジェイソンがヘルメットを被り直し、ケオニが太い腕を胸の前で交差させた。アンナも、マテオの肩を抱きながら、力強く頷いている。クロエはまだ涙ぐんでいたが、その目はもう絶望に染まってはいなかった。


 絶望の底にいた彼らの心に、確かに火が灯ったのだ。理不尽な世界に対する、ささやかな、しかし確かな反逆の炎。


 カイは、彼らのその顔を見て、小さく息を吐き出し、口元をわずかに緩めた。


「ありがとう。頼りにさせてもらいます」


 カイは、自分がただの修復者ではなく、彼ら同郷の人間を背負い、導く存在としての重い責任を自覚していた。失われた右腕の代わりに、彼が背負うべきもの。それは、この七人の命と、彼らが帰るべき『日常』を取り戻すための、途方もない戦いだ。


 部屋の空気を満たしていた恐怖は、静かな決意へと変わり、彼らの反逆への準備が整えられていく。

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