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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
偽りの福音

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第79話 星見の祭壇へ

 地下施設『ハビタ・ゼロ』から地上へと続く隠し通路を抜けた瞬間、カイの身体は強烈な力で前方へと引っ張られた。


「舌を噛むなよ」


 先頭を走る灰色のフードの男、ヴィクトルの低く平坦な声が風に掻き消される。ヴィクトルの腰のハーネスから伸びた強靭なワイヤー。それに繋がれたカイ、ソフィア、ジャン、ヴァレリーの四人は、まるで暴走する列車に引きずられるかのような暴力的な速度で、荒野を駆け抜けていた。


 ヴィクトルの能力『慣性制御(イナーシャ)』。自身と、それに繋がる物体の運動エネルギーの減衰を強制的にゼロにする力。一度踏み込んだ速度は落ちることなく、むしろ足を踏み出すたびに加速していく。険しい岩肌も、深くえぐれた谷底も、彼にとっては平坦な舗装路と何ら変わらない。


「うおおおおッ! 相変わらず酔いそうな移動だぜェ!」


 巨漢のジャンが、背中の大盾をガタガタと揺らしながら咆哮を上げる。


「ちょっと! もっと優しく引っ張りなさいよ! 傷が開くじゃないの!」


 ヴァレリーも文句を叫びながら、必死にワイヤーにしがみついていた。ルタムでの激戦からまだ数日。二人とも、泥の巨漢ギデオンや処刑部隊のイザリアから受けた傷が完全に塞がっているわけではない。それでも彼らは、痛みをアドレナリンでねじ伏せ、この常識外れの強行軍に食らいついていた。


「……っ」


 カイは無言で歯を食いしばり、左手の『耐熱グローブ』でワイヤーをきつく握りしめていた。右腕がないことによる身体のアンバランスさが、想像以上に走りの姿勢を崩そうとする。右肩の喪失部分を風がすり抜けていく奇妙な感覚。だが、重心の偏りは頭で計算して無理やり補正した。今は一秒でも早く、あの『星見の祭壇』へ辿り着かなければならないのだ。


『――前方三キロ、教会の広域探査網が展開されています!』


 ソフィアの首元に下げられた『共振盤(レゾナンス・プレート)』から、地下本部に残るシエロの緊迫した声が響いた。


『網の目は細かいですが、僕が撹乱します! ヴィクトルさん、そのままの速度で突っ切ってください!』


「……了解した」


 教会の監視網は、本来ならネズミ一匹通さないほど厳重に首都周辺を覆っている。だが、シエロが本部からエーテルの波長を操り、特定の周波数の『雑音』を空間に流し込むことで、探知網のセンサーに一瞬の「空白」を作り出していた。ヴィクトルはその空白を、針の穴に糸を通すような正確さで駆け抜けていく。

『……っ、あ、ぁ……』


 順調に進む強行軍の中、共振盤の通信越しに、苦しげな吐息が漏れ聞こえてきた。エリスだ。


「エリス! どうした、大丈夫か!?」


 走りながらカイが叫ぶと、通信の向こう側で、エリスが荒い呼吸を繰り返しているのが伝わってきた。


『……だ、大丈夫、です……。ただ、少し……波の形が、大きすぎて……』


 本部の通信室で、目元を包帯で覆ったエリスは、両手で自身の肩を抱くようにして震えていた。彼女の能力『共感覚(バイオ・ソナー)』は、遠く離れた場所のエーテルの揺らぎや、人々の感情を波形として捉える力だ。首都が近づくにつれ、彼女の脳内に流れ込んでくる「音」は、これまでに経験したことのないほど巨大で、おぞましいものへと変貌していた。


『東の空から……とても重くて、暗い、祈りの声が聞こえます。……何百人、いえ、何千人もの人間が、一つの旋律を歌っているような……』


 エリスの声が、恐怖で小刻みに震える。


「……大規模召喚の『聖儀(リチュアル)』ね」


 カイの隣を走るソフィアが、片目に装着した観測鏡を押さえながら険しい声を出した。


「教会が総力を挙げて、世界と世界の『境界』に穴を開けようとしているのよ。空間そのものを歪ませるほどの巨大な詠唱が、エリスの感覚を直接殴りつけているんだわ」


『……痛い、です……。世界が、悲鳴を上げているような……。それに、あの祭壇の向こう側から……言葉の通じない、たくさんの魂が……無理やり引き剥がされて、軋んでいる音が……っ!』


 エリスの共感覚は、これからまさに生贄として引きずり出されようとしている、向こう側の世界にいる人々の魂が、空間の強制的な歪みに対して上げている「本能的な拒絶と悲鳴」までも、境界の薄らぎを通して感じ取っていたのだ。情報量が多すぎる。彼女の繊細な魂が、その重圧に押し潰されそうになっている。


「エリス、もういい! 無理するな!」


 カイは通信機に向かって叫んだ。


「あんたのサポートがなくても、ソフィアの眼がある! これ以上繋いでいたら、あんたの心が壊れちまう!」


 前回の戦いで、カイ自身の魂の暴走を鎮めるために力を使い果たしたばかりなのだ。これ以上の無理はさせられない。


 だが、通信の向こう側の少女は、強く首を横に振った。


『……いいえ。……切らないでください、カイさん』


 震えていたエリスの声に、かすかな、しかし揺るぎない芯が通った。


『私は、この暗い波形から……目を背けません。……カイさんの魂の音が、今、こんなにも静かに……怒ってらっしゃるのに。私が逃げるわけには、いかないんです』


「エリス……」


『大丈夫です。必ず、あなたたちを祭壇の真ん中までお連れします。……だから、どうか、その人たちを……!』


 彼女の祈るような声を聞き、カイは左手のグローブをギリッと強く握り込んだ。そうだ。今まさに、何も知らない人間たちが、この狂った世界の都合で使い捨ての燃料にされようとしている。


 仕事の疲れにため息をついたり、休日の他愛ない約束を楽しみにしていたかもしれない、普通の人間たち。彼らが、昨日までの俺がいたのと同じ「当たり前の日常」から、突然この灰色の地獄へ引きずり出されようとしている。


(……ふざけるな。絶対に、させてたまるか)


 カイの黒い瞳に、暗く鋭い怒りの炎が燃え上がった。右腕を失った。魂はボロボロだ。万全には程遠い。だが、心の中にある「理不尽を許さない」という意地だけは、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。


「……シエロ、エリス。頼む。俺たちを導いてくれ」


『はいッ!』


 二人の力強い返事が響き、ヴィクトルの跳躍がさらに速度を増した。


 どれほどの時間が経っただろうか。赤茶けた険しい岩山をいくつも越え、息も絶え絶えになりながら斜面を駆け上がった時。ヴィクトルの動きが、唐突にピタリと止まった。


「……到着だ」


 ヴィクトルがハーネスのロックを解除し、カイたちは荒い息を吐きながら岩陰に身を滑り込ませた。カイは痛む足をなだめながら、岩の隙間から眼下の光景を見下ろした。そして、その異様さに息を呑んだ。


「……あれが、『星見の祭壇』か」


 すり鉢状になった巨大な谷の底。そこには、古代の円形闘技場を思わせる、広大な石造りの祭壇が存在していた。だが、単なる遺跡ではない。祭壇の表面には、眩いほどに発光する紫と黄金の幾何学模様が、幾重にも複雑に折り重なって描かれている。その光のラインはまるで生き物の血管のように脈動し、空間そのものをすり鉢の底へと向かって吸い込むような、強烈な「引力」を発生させていた。


「なんて規模の術式なの……」


 ソフィアが観測鏡越しに祭壇を見つめ、戦慄の声を漏らした。


「七つの属性すべてが、複雑に編み込まれている。大気中のエーテルだけじゃない。地下の地脈のエネルギーまで根こそぎ吸い上げて、空間の境界線を無理やり焼き切ろうとしているわ」


 祭壇の中心部には、底知れない巨大な『空間の穴』がポッカリと開いていた。大気中のエーテルだけでなく、地下深くを流れる地脈のエネルギーを根こそぎ一点に集束させ、次元の底を無理やり焼き切っているのだ。


「……あの穴の向こう側が、俺の世界と繋がってるんだな」


 カイは、眩い光の底を睨みつけた。あの穴から今まさに、同郷の人間たちが引きずり出されようとしている。


「……おいおい。歓迎の準備は万端みたいだぜ」


 ジャンが、忌々しげに舌打ちをして顎をしゃくった。カイが視線を落とすと、祭壇の外縁部――すり鉢の縁に沿って、無数の影が整然と並んでいるのが見えた。


 白銀の装甲に身を包んだ、重装の聖騎士たち。その数は、ざっと見ても五十を下らない。だが、スラムを焼き払ったクレドの部隊のような「合唱」による面制圧を目的とした陣形ではない。全員が身の丈ほどもある分厚い大盾と、長い槍を構え、祭壇への侵入者を物理的に阻む「鉄壁の防衛線」を構築していた。


「儀式に集中するため、護衛は物理的な防御に特化した部隊を配置したってわけね」


 ヴァレリーが、岩陰から魔導ライフルの銃身を覗かせて冷たく笑った。


「突破口を開かないと、祭壇の真ん中までは届かないわよ、カイ」


 ヴァレリーの言葉に、カイは小さく頷いた。敵の数は多い。そして、あの重装備の盾の壁を、左手一本の『解体』だけで一つ一つ崩していくには、あまりにも時間がかかりすぎる。儀式はすでに最終段階に入ろうとしているのだ。悠長に構えている暇はない。


「……ジャン。ヴァレリー。やれるか」


 カイが背後を振り返ると、そこにはすでに闘志を剥き出しにした二人の姿があった。


「愚問だな。この新しい盾の感触を、早く試してみたくてウズウズしてたところだ」


 ジャンが、ヴォルグの工房で新調されたばかりの分厚い大盾を腕に装着し、ガシンッと重い音を立てた。ルタムでの戦いでギデオンの泥に抉られた左腕と脇腹には、まだ痛々しい包帯が巻かれている。だが、その顔に浮かぶ獰猛な笑みは、傷の痛みなど微塵も感じさせなかった。


「雷の出力は落ちてるけど、道を作るくらいならまだやれるわ。……あの狂った教会の連中の鼻っ柱を、へし折ってやりなさい」


 ヴァレリーもまた、神経を焼いた代償である顔の火傷の痕を歪めて笑い、ライフルの安全装置を外した。


 満身創痍の仲間たちが、痛みを堪えてカイの前に立ち塞がる。カイを守るためではない。カイが持つ「解体の刃」を、儀式の中心にいる敵の親玉へ、確実かつ無傷で届けるための「矛」と「盾」になるために。


「行くぞ、カイ! 俺の背中から離れるなよ!」


「道はあたしがこじ開ける! アンタは真っ直ぐ走りなさい!」


 ジャンとヴァレリーが、隠れていた岩陰から猛然と飛び出した。


「……ああ。任せた」


 カイは、左手にはめた耐熱グローブの感触を確かめ、低く重心を落とした。仲間たちが血を流してこじ開けてくれる道を、ただ真っ直ぐに突き進むだけだ。俺の役目は、あの祭壇の中心で偉そうに儀式を取り仕切っている奴の理屈を、根底からへし折ること。


 鋼鉄の大盾と紫電の銃弾が、重装騎士たちの壁に激突する。その鼓膜を破るような轟音を合図に、カイは光の柱が立つ祭壇の最深部へ向かって、弾かれたように地を蹴った。

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