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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
狂信の牢獄

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第68話 破綻する理屈

 圧倒的な熱量が、スラムの淀んだ大気を物理的に押し潰していく。イザリアの透き通るような肌に刻まれた赤黒い『聖痕』が限界を超えて発光し、空間の温度が生存不可能な領域へと跳ね上がった。


 呼吸をするだけで、肺の水分が瞬時に蒸発し、気管が内側から焼けるような致死量の熱波。スラムの地面を覆っていた石畳が、熱に耐えきれずにドロドロと溶け出し、赤熱したガラス状に変質していく。カイは、鋼鉄と聖銀で構成された右腕の義手を構え、吹き付ける熱風に耐えながら歯を食いしばった。額から流れる汗が、顎から落ちる前にジュッと音を立てて蒸発していく。


(……落ち着け。どんなに巨大な熱量だろうと、原因のない結果はない)


 カイは自分に言い聞かせるように、脳内で論理の糸を手繰り寄せた。『戦術連携(タクティカル・リンク)』を通じて、地下本部にいる仲間たちの知覚が、ソフィアの『共振盤(レゾナンス・プレート)』を経由して流れ込んでくる。先ほどは、炎を燃え広がらせるための酸素の供給点を断つことで、彼女の術式を一時的に霧散させた。今回も同じだ。現象を支えている「結び目」を物理的に断ち切れば、どんな強大な聖譜も安全に止まるはずだ。燃焼という化学反応である以上、熱源と可燃物、そして酸素の結合が不可欠なのだから。


(ソフィア、熱の発生源はどこだ? 次の酸素の供給ルートを断つ!)


『……待って、カイ! おかしいわ!』


 脳内に響くソフィアの声が、かつてないほどの焦燥に震えていた。


『彼女の周囲に、酸素の集束が見られない! 通常の燃焼プロセスを完全に無視しているわ!』


「なんだと……!?」


 カイが目を見開いた直後、イザリアの周囲の空間そのものが、理不尽に赤熱し始めた。それは「炎」という現象ですらなかった。空間に満ちたエーテルが、酸素との結合という中間プロセスを一切経ずに、直接「熱」へと強制変換されているのだ。理科の教科書に載っているような燃焼の条件を無視した、暴力的なまでの力技。


「さあ、受け取りなさい。これが私たちが生きている証よ。……熾熱(イグニス)


 イザリアの口から紡がれたのは、極めて単純な教会の聖譜だった。だが、その出力は常軌を逸している。酸素を使わないということは、物理的な消火の術がないということだ。彼女の足元から同心円状に広がる熱の波が、瓦礫を、空気を、そしてカイたちを飲み込もうと迫る。


「カイ、退がって! まともに受けたら蒸発するわよ!」


 熱波の壁の向こうから、ヴァレリーが飛び出し、大型の魔導ライフルを構えた。彼女の赤い髪が、熱風に煽られて激しく揺れている。


「あたしの雷で、そのふざけた熱ごと貫いてやる! 導電路(コンダクト・パス)ッ!!」


 引き金が引かれた瞬間、空気の絶縁性が無効化され、青白い極太の稲妻がイザリアへと殺到する。それは物理的な熱の壁をすり抜け、標的へと最速で到達する光の一撃。だが、イザリアは避ける素振りすら見せなかった。


バチィィィンッ!!


 雷撃がイザリアの華奢な体を直撃した。普通の人間なら即死するほどの電圧。彼女の漆黒の修道服が焦げ、露出した白い肌を紫電が駆け抜ける。物理的な衝撃で彼女の体がわずかに仰け反り、その動きが止まったように見えた。


「……やったか!?」


 ヴァレリーがライフルを下ろさずに叫んだ。だが、その直後。広場に響き渡ったのは、苦悶の悲鳴ではなく、甘くとろけるような歓喜の吐息だった。


「ああ……。ビリビリと痺れる、この痛み……。なんて素晴らしいの……!」


 イザリアが、雷撃の余波で明滅する自身の腕を愛おしそうに抱きしめ、恍惚と身をよじった。彼女の肌に刻まれた聖痕が、雷のダメージを吸収するように、さらに恐ろしく、そして美しく輝きを増していく。まるで、ステンドグラスの内側から強烈な光を当てられたかのように、彼女の存在そのものが神々しいほどの狂気を放ち始める。


「これが、貴方たちの拒絶。私を傷つけ、私に『生きている』と実感させてくれる、神からの愛の形……!」


 カイの背筋を、氷のような悪寒が駆け上がった。先ほどの解体による暴発ダメージだけでなく、ヴァレリーの雷撃による外的な激痛すらも、彼女は「愛」として嬉々として受け入れている。彼女から放たれる熱量は、弱まるどころか、攻撃を受ける前よりもさらに巨大に膨れ上がっていたのだ。彼女の周囲の空間が、限界を超えたエーテルの励起によって、白く発光し始めている。


『……異常な増幅ループよ! カイ、彼女の術式、外部からのショックすら飲み込んで限界を突破し続けているわ!』


 ソフィアの戦慄する声が、戦術連携を通じて脳内に響く。


 カイの口から、乾いた息が漏れた。痛みを燃料にしていることは分かっていた。だが、ここまで理不尽だとは。通常、術者がダメージを受ければ、集中が途切れ、術式は崩壊する。それが物理法則であり、理屈だ。カイの『事象解体(デコンストラクション)』も、敵の術式を暴発させて自滅させるという理論の上に成り立っている。


 だが、このイザリアという狂信者にはその前提が通じない。カイが解体してダメージを与えれば与えるほど、あるいはヴァレリーが攻撃すればするほど、彼女はそれを新たな薪として燃やし、さらに凶悪な熱量を生み出す。マイナスを掛ければ掛けるほど、火力が青天井で跳ね上がっていく、最悪の悪循環。


「嬉しいわ、可哀想な迷子さんたち」


 イザリアが、聖痕を赤黒く輝かせながら、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。彼女の瞳には、敵への憎しみなど微塵もない。ただ、自分を満たしてくれる痛みを渇望する、純粋な狂気だけがあった。


「貴方たちの冷たい拒絶、私が全部、愛で溶かしてあげる」


ズォォォォォォッ!!


 イザリアの体から、真っ赤な熱波の津波が全方位へ向けて放たれた。それは防御も効率も一切無視した、空間そのものを熱量で押し潰すための「自己破壊的・飽和攻撃」だった。燃焼というプロセスすら省かれた純粋な熱が、広場のすべてを灰にすべく押し寄せる。


「くそッ、この泥野郎! さっきからへばりつきやがって!」


 少し離れた場所では、ジャンが苦戦を強いられていた。先ほどの激突時から彼の巨大な盾に絡みついていた泥の巨漢・ギデオンが、ジャンの腕から半身へと侵食を広げ、その動きを完全に封じ込めようとしていたのだ。ジャンの『衝撃反射(リフレクション)』は物理的な打撃には無類の強さを誇るが、液状化して絡みつく泥には効果が薄い。振り払おうと剛腕を振るうが、泥は生き物のようにジャンの体にへばりつき、拘束を強めていく。


「私ごと愛の炎で焼き尽くしてください! イザリア隊長の薪となることこそが、私の至上の喜び!」


 ギデオンは、ジャンを泥の肉体で拘束したまま、迫り来る致死量の熱波に向かって歓喜の絶叫を上げた。味方ごと焼かれることを至上の目的とする、狂信の特攻。


「ジャン! 振り払え!」


 カイが叫ぶが、ジャンの巨体は泥の重みと粘着力に絡みつかれ、一歩も動けない。イザリアは、ジャンを道連れにしようとする部下のギデオンを見て、悲しむどころか、うっとりとした表情で頬を染めた。


「ええ、ギデオン。貴方にもたっぷりと、私の愛を分けてあげるわ」


 彼女の足元から、さらに強大な熱量が渦を巻き始める。味方ごと焼き殺すことに、微塵の躊躇もない。


「……ふざけるなッ!!」


 カイは、圧倒的な熱波が迫る中、義手を構えて前に出た。


(熱源がどこだろうと関係ない! 空間に満ちている熱の『結合点』を、端から全部握り潰してやる!)


 カイの脳内に、ソフィアからの観測データが断続的に流れ込んでくる。


『カイ! 右から熱の波! 左から……ダメ、熱量が大きすぎて、結び目が特定しきれない! 彼女の聖譜には、無駄がないんじゃなくて、無駄が多すぎるのよ!』


 ソフィアの悲鳴に近い声が響く。イザリアの放つ熱波には、効率よく術式を構築するための「理屈」が存在しなかった。彼女はただ、自身の痛みを燃料にして、デタラメな出力で空間の許容量をオーバーさせているだけだ。物理的な結び目を探そうにも、熱という暴力的なノイズが多すぎて、ソフィアの眼をもってしてもピントが合わないのだ。


「……事象解体(デコンストラクション)ッ!!」


 カイは当てずっぽうに義手を振り回し、迫り来る熱波の一部を強引に引き裂いた。


パチィッ!!


 青白い火花が散り、熱波の一部が霧散する。だが、カイが一つの熱を消して生じた「解体による摩擦熱」すらも、イザリアは新たな燃料として歓喜と共に飲み込み、さらに巨大な二つの熱波を生み出してくる。


(……キリがない! 俺が消せば消すほど、あいつの出力が上がっていく!)


 カイの息が上がり、心臓が早鐘を打つ。右腕の義手から、処理しきれない熱を知らせる白い蒸気が激しく噴き出し始めていた。「理屈さえ分かれば、どんな聖譜でも解体できる」――その絶対の自信が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。


 どんなに綺麗な数式を組んでも。相手が「自分の受けるダメージすらもプラスの燃料である」と本気で信じ込み、その矛盾を強引に成立させてしまうなら、数式は破綻する。理屈が通じない。物理法則の限界を、狂信という歪みが完全に凌駕している。


 イザリアの周囲の空間が、極限まで圧縮された熱量によって真っ白に発光し始めた。カイの脳内で行われていた処理が、桁違いの熱量を前に、徐々に致命的な遅れを生み出し始める。


 絶対の「理屈」が、理不尽な「狂気」の前に、完全に押し潰されようとしていた。

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