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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
狂信の牢獄

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第67話 痛みの肯定

 広場の中央で、カイが極限まで出力を絞り込んだ魂の「針」を構えた瞬間。処刑部隊の隊長である銀髪の女は、両手を胸の前でふわりと交差させた。


「さあ、受け取りなさい。これが私たちが生きている証よ。……熾熱(イグニス)


 女が恍惚とした表情で教会の聖譜を口にした瞬間、その周囲の空間が赤黒く発光し始めた。摩擦や燃焼といった物理的な予備動作は一切ない。


(……来る! シエロ、エリス!)


 カイが脳内で呼びかける。『戦術連携(タクティカル・リンク)』の回線を通じて、地下本部にいる仲間たちの知覚が光速で流れ込んでくる。


(前方、凄まじい摩擦音です……! 敵の周囲の空気が、無理やり引き裂かれています!)


 本部にいるシエロの『聴覚』が、異常な大気の震えを捉える。


(熱の波形が、内側から外へ向かって……爆発するように膨張しています! 赤黒い、とても痛そうな色です……!)


 エリスの『共感覚』が、エネルギーの異常な高まりを視覚的なイメージとしてカイの脳裏に描き出す。


『……見えたわ、カイ! 敵の術式、空間の熱を集めているんじゃない! 自分の肉体を内側から焼いて、その『過負荷(オーバーロード)』で周囲のエーテルを強制的に暴走させているのよ!』


 隣に立つソフィアの『観測鏡(スペクトル・スコープ)』が、その狂った現象の正体を暴き出す。


 通常、教会の人間は祈りによって空間のエーテルを集め、それを炎へと変換する。だが、この狂信者は違う。白磁のような肌に刻まれたひび割れが激しく明滅し、自らの肉体を内側から焼き焦がしている。その「自分を焼く激痛」を燃料にして、限界を超えた出力を無理やり叩き出しているのだ。


(自分自身を燃やして出力しているのか……! だから構造が破綻したまま動いているんだ)


 カイは戦慄しつつも、相手の現象を冷徹に分析した。敵の体から放出された莫大な熱量が、広場の空気を巻き込み、巨大な炎の渦となってカイへと殺到する。それはもはや火球というより、空間そのものを焼き尽くす高熱の津波だった。


「カイ、退がって! あんた一人じゃ受けきれないわ!」


 背後から、ヴァレリーが魔導ライフルを構えて躍り出た。


「そのふざけた熱ごと、あたしの雷で貫いてやる!」


 銃身に青白いスパークが走り、極太の雷撃が放たれようとした、その瞬間。


「イザリア隊長の愛を邪魔するな。不浄なる者どもめ」


 女の背後に控えていたギデオンが、喉の奥で濁った音を立てて前に出た。彼の肉体が、文字通り「崩れ」始める。岩のように硬そうだった筋肉の輪郭がドロリと溶け、全身がどす黒い泥へと変質していく。


「オラァッ! 気色の悪い真似しやがって!」


 カイの隣から、大盾を構えたジャンが猛然と飛び出した。彼に向けられた運動エネルギーを反転させる『衝撃反射(リフレクション)』の波紋が、巨大な盾の表面に浮かび上がる。ジャンは、波打つ泥となって這い寄ってくる巨漢に向かって、容赦なく盾を叩きつけた。


ドォォォンッ!


 すさまじい激突音。だが、ジャンはすぐに舌打ちをして後ろへ飛び退いた。


「……チッ、手応えがねえ! 底なしの泥沼に拳を突っ込んでるみたいだぜ!」


 ジャンの盾が直撃したにもかかわらず、巨漢は吹き飛ぶどころか、盾の形に合わせて自身の泥の体をぐにゃりと凹ませ、衝撃を完全に吸収してしまったのだ。さらに、へばりついた泥の一部が、生き物のようにジャンの盾を侵食しようと這い上がってくる。


(……『豊穣の譜(テラ)』による土の操作? いや、違う)


 カイは目を細めた。地面の土を巻き上げて鎧にしているのではない。あいつ自身の筋肉が、輪郭が、内側からドロドロに崩れて泥に変わっている。


(……どうなってる? 外から物質を操ってるんじゃない。あいつ自身の体を『変質』させているのか?)


 だが、カイが巨漢の特異な能力を分析する間もなく、正面からの脅威が臨界点に達しようとしていた。イザリアの放った炎の津波が、いよいよカイたちを飲み込まんと迫る。


 カイの眼は、その圧倒的な暴力の中に「致命的な非効率さ」を見出していた。イザリアが引き出しているエネルギー量は桁違いだ。もしそれを純粋な熱線として放たれれば、防ぐ手立てはなかったかもしれない。だが彼女は、その莫大なエネルギーを、わざわざ教会の『聖譜』という型に無理やり流し込んでいる。純粋なエネルギーを、周囲の酸素と結合させて「燃焼」という現象に変換しているのだ。だからこそ炎は無差別に燃え広がり、周囲の酸素を食いつくし、術者自身の肉体まで巻き込んで自壊しかけている。


(……わざわざ酸素を必要とする形にしてくれたんなら、やりようはある)


 結果を力任せにねじ伏せるのではない。燃焼の「結合点」をピンポイントで引き抜けば、どんな巨大な炎も安全に霧散させられる。


(ソフィア、酸素の供給点はどこだ!)


(炎の渦の中心、三つの座標よ! そこにある空気の結合を断てば、燃焼は維持できないわ!)


 ソフィアの言葉と共に、カイの視界に三つの光の点が投影される。炎の津波を物理的に支えている「足場」。


「そこだッ!!」


 カイは、迫り来る灼熱の壁に向かって、一歩も引かずに踏み込んだ。右手の義手を突き出し、極限まで細く絞り込んだ魂の「針」を、その三つの座標へと正確に滑り込ませる。


事象解体(デコンストラクション)!!」


バチィィッ!!


 青白いスパークが、炎の渦の真ん中で弾けた。カイの放った「拒絶」の波動が、炎が燃え広がるために必要な酸素の結びつきを、物理的に強制遮断したのだ。


シュォォォ……ッ!


 音が消えた。さきほどまで猛威を振るっていた炎の津波が、まるで巨大な掃除機に吸い込まれるように、一瞬にして萎み、空中に霧散していく。炎を失った高熱の空気だけが、突風となってカイの髪を激しく揺らした。


「……よし!」


 カイは残心し、右腕の義手の排気口から短い蒸気を吐き出させた。完璧な解体だ。エネルギーの行き場を失った魔法は、必ず術者へと逆流する。これだけの熱量の聖譜が不発に終われば、その反動は術者自身の肉体を容赦なく焼き尽くすはずだ。かつてスラムで戦った徴税騎士の鎧が内部から自壊したように。


 炎が消え去った向こう側。イザリアは、その場に立ち尽くしていた。漆黒の修道服は逆流した熱によって所々が焦げ、露出した白い肌に刻まれた赤黒いひび割れが、行き場を失った過剰なエネルギーを抱え込み、悲鳴を上げるように激しく明滅している。


(……終わったな)


 カイは、油断なく義手を構えたまま息を吐いた。普通の人間の神経なら、あの暴発の熱量を受けた時点でショック死している。生きていたとしても、もう動くことすらできないはずだ。


 だが。沈黙する広場に、不気味な音が響いた。


「……あ、あぁ……」


 それは、苦痛の呻きではなかった。


「ああ……素晴らしい痛みだわ。貴方の拒絶は、私の愛を燃え上がらせる!」


 イザリアが、ゆっくりと顔を上げた。熱を帯びて上気した白い頬。その肌を侵食するように、赤黒く発光する幾何学的な『聖痕』のひび割れが美しくも恐ろしく浮かび上がっている。だが、その顔に浮かんでいたのは、痛みに耐える苦悶の表情ではなく――甘くとろけるような、至上の恍惚だった。


「……な、に……?」


 カイの背筋を、氷のような悪寒が駆け上がった。


「熱い……! 痛い……! ああ、私の体が、こんなにも激しく軋んでいる……!」


 彼女は、異常な熱を抱え込んで明滅する自らの腕を愛おしそうに抱きしめ、うっとりと身をよじった。


「これが、貴方の愛なのね。……私を焼き尽くそうとする、その冷たい拒絶。それが私の内側に逆流して、こんなにも素晴らしい痛みを与えてくれるなんて……!」


 理解不能。カイの思考が、完全に停止した。敵の聖譜の供給源を断ち、自滅させる。それがカイの編み出した必勝の「理屈」だった。聖譜の暴発によるダメージは、どんな術者にとっても致命的な「罰」になるはずだ。だが、この女は違う。過負荷で肉体が軋む激痛すらも、「神からの愛の証」として、嬉々として受け入れているのだ。


『……信じられない。カイ、ダメージがそのまま出力の急上昇に変換されているわ!』


 ソフィアの震える声が、脳内に響き渡る。


『逆流した熱のダメージで、構成式は崩壊するはずなのに……彼女、その『痛み』を新たな燃料にして、さらに莫大なエネルギーを引きずり出そうとしているわ!』


「……なんだよ、それ。痛ければ痛いほど、出力が上がるって言うのかよ……!」


 カイの口から、乾いた声が漏れた。それは、カイの「理屈」が全く通じないことを意味していた。解体してダメージを与えれば与えるほど、彼女はそれを喜びに変え、さらに凶悪な熱量を生み出す。物理法則の限界を、狂信という歪みが完全に凌駕している。


「嬉しいわ、可哀想な迷子さん」


 イザリアが、赤黒い光の紋様を肌に浮かび上がらせたまま、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「もっと、私に愛を頂戴。……貴方の冷たい拒絶、私が全部溶かしてあげる」


 カイの絶対の自信が、理不尽な狂気という名の炎の前に、音を立てて崩れ去ろうとしていた。

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