第61話 強制相転移
シュゴォォォォォォォォォッ!!!!
地下倉庫の広大な空間が、鼓膜を物理的に破らんばかりの轟音に包まれた。青白く輝いていた分厚い氷の壁が、床が、積み上げられていた木箱を覆う氷の層が、一瞬にして爆発したように白く染まる。砕け散ったのではない。行き場を失って逆流した莫大な熱量によって、文字通り「蒸発」したのだ。
絶対零度だった空間は、視界ゼロの超高温の水蒸気で満たされた、灼熱の蒸し風呂へと激変した。
「うわぁぁぁぁッ!?」 「陣形を崩すな! 冷気を……ッ!」
白煙の中で、白銀の騎士たちがパニックに陥って絶叫する。彼らが纏っていたのは、閉所を凍結させるために最適化された「寒冷地仕様」の魔導鎧だった。その高い断熱性と気密性が、今は最悪の形で彼らに牙を剥いている。鎧の表面に結露した高温の蒸気が、装甲の隙間から内部へと入り込み、彼らの体力を急速に、そして無慈悲に奪っていく。
環境そのものを支配し、敵を氷漬けにするはずの完璧な戦術が、根底からひっくり返されたのだ。
「合図だ! 行けェッ!!」
視界が白く塗り潰される中、カイが叫んだ。その声に応えるように、高温の白煙の中から、巨大な金属の塊が猛スピードで飛び出してきた。
「オラァァァッ! 熱い風呂は嫌いじゃねえが、少し温度が高すぎだぜェ!!」
高熱の蒸気によって氷の拘束から完全に解放された、ジャンだ。彼は、凍りついていた右腕を勢いよく振り回し、巨大な金属盾を構えた。視界の効かない蒸気の中を、先ほど記憶していた敵の陣形めがけて、一直線に猛突進する。
ドゴォォォォン!!
「ぐ、がぁッ!?」
盾に激突された騎士が、悲鳴を上げて宙を舞う。ジャンの『衝撃反射』を纏った突進は、ただでさえ蒸気の熱で体勢と集中力を崩していた騎士たちを、ボウリングのピンのように次々と薙ぎ倒していった。
「ジャンばっかりズルいわよ! あたしにも暴れさせなさい!」
ジャンの背後、白煙を切り裂くようにして、ヴァレリーが躍り出た。彼女の顔には、これまでの鬱憤を晴らすような獰猛な笑みが張り付いている。
「さっきは純氷が相手で分が悪かったけど、この状況なら話は別よ! 湿気ムンムンの空気なんて、最高の『道』じゃない!」
彼女は大型の魔導ライフルを構え、銃身にバチバチと青白いスパークを限界まで纏わせた。
「導電路、拡散ッ!!」
引き金が引かれる。銃口から放たれた極太の雷撃が、水蒸気で飽和した空間に放たれた。水分を極限まで含んだ空気は、電気の伝導率を爆発的に高める。一本の直線だったはずの雷撃は、空間全体に広がる網の目のようなスパークとなって、倉庫内を乱反射した。
バチィィィィィンッ!!
高湿度の空気と、結露で濡れた白銀の鎧。電気を通すには、これ以上ないほど最悪の条件が重なっていた。回避する間もなく広範囲の感電を引き起こした騎士たちは、痙攣しながら次々とその場に崩れ落ちていく。聖譜の相性を逆手に取り、物理現象を暴走させた、完璧な制圧劇だった。
「……ば、馬鹿な。我々の、神の氷が……こんな、ただの熱湯に……」
円陣の中央で、ただ一人残っていた小隊長が、膝をつきながら呻いた。彼の白銀の鎧も、蒸気と雷撃によって黒く焦げている。その小隊長の目の前に、蒸気を割ってカイが歩み寄った。
「神の氷だろうがなんだろうが、ただの『H₂O』だ。熱力学の法則からは逃げられない」
カイは、鋼鉄の右腕で小隊長の胸ぐらを掴み上げると、その首筋に冷たい鉄の指先を突きつけた。
「おやすみ、騎士様。風邪引くなよ」
カイが義手から微弱な『拒絶』の波動を流し込むと、小隊長の鎧の回路が完全にショートし、彼は白目を剥いて気絶した。ズシン、と重い音を立てて小隊長が倒れ伏す。倉庫内に残っていた最後の敵が沈黙したことで、戦いは終わった。
「……ふぅ」
カイは小さく息を吐き、自分の右腕を見つめた。排熱口からは、わずかな蒸気がフワリと立ち昇っているだけだ。魂が削られるような激痛も、オーバーヒートの兆候もない。これまでのカイなら、氷の壁そのものを力任せに破壊しようとして、自分の魂をすり減らしていただろう。だが今は違う。ソフィアの「レンズ」と、カイの「撃鉄」。そして、最小限の力で最大の結果を引き起こす「解像度」。そのすべてが完璧に機能した証明だった。
(……やれる。これなら、俺の力はただの暴走じゃない。制御可能な『技術』だ)
カイの中に、確かな手応えと自信が芽生えていた。
「……ったく。派手にやりやがって、茹で上がるかと思ったぜ」
蒸気が少しずつ晴れ始めた倉庫の奥。瓦礫の山の陰から、ガタガタと震える声が聞こえてきた。
「おい、誰か手を貸してくれ。さっきの冷気で足が凍傷になっちまって、感覚がねえんだ」
黒いロングコートに身を包んだ、細身の男だった。顔色は青白く、唇は震えているが、その瞳には抜け目ない裏社会の住人特有の光が宿っている。プロメテウスからの物資運搬を請け負う男、シュバルツだ。
「無事だったか、シュバルツ」
ジャンが近寄り、男の脇を支えて立たせた。
「無事に見えるかよ。あの氷野郎ども、問答無用で空間ごと凍らせきやがったんだ。俺の逃げ足でも、間一髪だったぜ」
シュバルツは悪態をつきながらも、どこかホッとしたように息をついた。
「怪我がないなら上出来よ。……で、肝心の『荷物』はどうしたの? もしかして、騎士団に奪われたり、さっきの高熱で燃えちゃったりしてないでしょうね?」
ヴァレリーがライフルの銃口を下げながら、油断なく問い詰める。
「俺を誰だと思ってんだ? 金をもらった仕事でしくじるわけがねえ」
彼はニヤリと笑い、自分の足元に伸びる濃い「影」を指差した。
「物資も、お坊ちゃんの義手の冷却液も、全部俺の『亜空間収納』の中だ。俺の影の中にいる限り、絶対零度だろうが高温サウナだろうが、傷一つ付かねえよ」
「……さすがだな。頼りになる」
カイが言うと、シュバルツは肩をすくめた。
「その代わり、追加料金はしっかりもらうぜ。命の危険手当ってやつだ」
「金ならゲルハルトに請求してくれ。俺たちは金欠なんでね」
ジャンが豪快に笑い飛ばす。カイは、隣に立つソフィアと共に、彼女の首元にある共振盤に向かって呼びかけた。
「シエロ、エリス。……聞こえるか。制圧完了だ。シュバルツも物資も無事だぞ」
『……はい、こちらでも確認しました!』
通信の向こうで、シエロの声が弾んでいるのが分かった。エリスの安堵する気配も伝わってくる。
「見事な作戦だったわね、カイ。貴方のイメージの解像度、そして本部とのリンクの精度……どれも完璧だったわ」
隣で観測鏡を下ろしたソフィアが、誇らしげに微笑む。
「さあ、急いで帰還して。エクリプスの本隊が動く前に、体制を整え直すわよ」
「ああ、分かってる」
カイは静まり返った中継倉庫を見渡した。倒れ伏す白銀の騎士たち。水浸しになった床。兵糧攻めという教会の姑息な手は、完全に粉砕した。これで、ハビタ・ゼロの息の根が止まることはない。
だが、これはあくまで「前哨戦」に過ぎない。聖帝直属の処刑部隊『エクリプス』。彼らが本気で動き出せば、こんな小細工は通用しないかもしれない。
カイは、鋼鉄の右腕を軽く握り直した。




