第54話 戦術連携
地下施設『ハビタ・ゼロ』の『解析室・第一』。チョークが黒板を叩く乾いた音が、無機質な部屋に響いた。
「……つまり、僕とエリスさんの感覚を、カイさんに直接繋ぐんですか?」
首からヘッドフォンを下げた少年、シエロが戸惑ったように問いかける。その隣では、目元を包帯で覆った盲目の少女、エリスが白杖を握り締めながら不安げに頷いていた。
「ええ。これからの戦い……教会の処刑部隊を相手にする場合、私の言葉でのナビゲートじゃ、どうしても『指示の遅れ』が生じるわ」
白衣姿のソフィアは、片目に装着した観測鏡をカチャリと鳴らした。
「だから、『感覚の共有』を行うの。シエロの数キロ先の詠唱をも捉える聴覚。エリスの、壁の向こうのエネルギーの揺らぎを感じ取る共感覚。……本部にいる二人の遠隔情報を、言葉を介さずに直接カイの脳へ送り込む」
カイは、自分の右腕――ヴォルグの工房で調整を終えたばかりの、鋼鉄と聖銀の義手を見つめた。表面に刻まれた銀色のラインが、静かに冷たい光を放っている。
「この義手の聖銀を『アンテナ』代わりにする理屈は分かる。……だが、遠征に出たらどうする? 分厚い岩盤や教会の結界に阻まれて、遠く離れた地下本部からの通信なんて届かないんじゃないのか?」
カイのもっともな疑問に、ソフィアは不敵に微笑み、自身が首から下げている『共振盤』を指で弾いた。
「おじい様の手記にあった『デンパ』通信なら遮られるでしょうね。でも、使うのは空間のエーテルを直接共鳴させる暗号通信よ。教会に潜入中のスパイが使っているのと同じ技術。波長を知らなければ、教会の探知機にもただの自然なノイズにしか見えないわ」
「……なるほど。エーテルを媒質にした無線のデータリンクか。だが、一番の問題がある」
カイは眉をひそめ、黒板に描かれた図を指差した。
「遠距離通信をする時点で『タイムラグ』が生じるだろ。コンマ数秒の指示の遅れをなくすためのシステムなのに、本部を経由してたら本末転倒じゃないか?」
理系らしい冷徹な指摘。だが、ソフィアは待っていましたとばかりに胸を張った。
「そのラグを『マイナス』にするのが、シエロたちの能力よ」
「マイナス?」
「彼らが感知するのは、魔法が発動した『後』じゃない。敵がエーテルを集束させる『予兆』よ。その予測データが光速で現場に届けば、通信のラグなんてお釣りが出るわ」
ソフィアはカイのすぐ隣に歩み寄り、彼の右肩の義手にそっと触れた。
「そして、最前線にいる私が『中継器』になるの」
彼女は真っ直ぐにカイを見つめた。
「本部からの予兆データを現場の私が受信し、自身の観測眼と統合する。そして、相手の術式が完成する『前』の脆い急所を、隣にいる貴方の義手へ直接流し込む。……これが『戦術連携』よ」
カイは目を見開いた。つまり彼女は、安全な本部に引きこもって広域処理の指示を出す気はないということだ。これまで通り、敵の聖譜が飛び交う最前線――カイのすぐ隣に立ち、圧倒的な情報処理のハブとして機能する。
「……危険だぞ。情報処理に集中してる間、あんたは完全に無防備になる」
「だから、貴方が私を守るのよ」
ソフィアは少しも怯まずに微笑んだ。
「貴方が私の『盾』となって戦いに集中し、私は貴方の『矛』を研ぎ澄ます。……監視塔の時と同じ、『二人で一つ』よ」
その言葉に、カイの胸の奥で、硬い殻がわずかに解けるような温かさが広がった。自分一人で全てを背負うのではない。彼女が隣に立ち、本部の仲間たちの目と耳が知覚を拡張してくれる。
「……ただし、強力な聖譜が乱れ飛ぶような激戦地じゃ、エーテルの乱気流で通信が途切れるかもしれないけどね」
「便利だが、環境のノイズには弱いってわけか。……上等だ。やってやろうじゃないか」
カイの迷いのない声に、シエロとエリスも顔を見合わせ、小さく頷いた。
「よし。百聞は一見に如かずよ。接続テストを始めるわ」
ソフィアが共振盤のスイッチを入れる。シエロ、エリス、そしてソフィアの三人が意識を集中させた。彼らの魂から発せられる微細な波形が、ソフィアのデバイスを経由し、極限まで圧縮されたデータとなってカイの右腕へと放たれた。
ドクン。
カイの右腕の義手が脈を打つように震え、表面の聖銀のラインが青白く発光した。次の瞬間だった。
「……ぐ、ぁッ!?」
カイの視界が、ぐにゃりと歪んだ。頭蓋骨を内側からこじ開けられ、そこに直接、世界中の「情報」をバケツで流し込まれたような暴力的な感覚。
耳元で爆音が鳴り響く。シエロが捉えている音だ。地下水路を流れる汚水のせせらぎ、遠くの工房で回る歯車の摩擦音。普段なら脳が無意識に切り捨てるはずの環境音が、すべて同じ音量で鼓膜を叩く。
同時に、視界に「色」が氾濫した。エリスの共感覚だ。目の前にいる三人の体温、心拍。壁の向こう側を流れるエーテルの脈動。それらが、赤や青の幾何学的な「波形」となって、現実の視界に強引に重ね合わせられる。
「が、はっ……! 処理、しきれねえ……!」
カイは頭を抱え、その場に膝をつきそうになった。三台のテレビを同時に大音量で流しながら、すべてを理解しようとしているようなものだ。
「カイ! 全部を受け取ろうとしないで!」
すぐ隣から、ソフィアの鋭い声が響いた。物理的な声と、共有された感覚の両方から。彼女はカイの背中に手を当て、自身の「波長」をカイの魂に寄り添わせる。
「私がフィルターになるわ! 貴方は自分の魂の硬さで、不要な情報を『弾き返し』なさい!」
(……弾き返す。そうだ、俺は混ざり合えない異物だ)
カイは歯を食いしばり、ソフィアの波長をガイドにしながら、自分の内側にある「硬い殻」を強く意識した。流水の中に立つ、滑らかな岩をイメージする。戦闘に不要な足音や無駄な色彩を、一つ一つ意識的に「拒絶」していく。
スゥッ……。
情報の濁流が、嘘のように引いていった。残ったのは、驚くほどクリアで、静謐な感覚の世界だった。目は開いているのに、脳内に「立体的な戦場の模型」が組み上がっている。背後でシエロが息を呑むわずかな予兆。エリスの体から発せられる柔らかな波形。そして、隣に立つソフィアの冷徹な思考の焦点。それらが、自分の知覚の延長線上として手に取るように分かる。
「……安定したわね。凄い順応速度よ」
ソフィアが背中から手を離し、安堵の息を吐いた。
「これならいけるわ。……模擬戦を始めるわよ。ヴァレリー、聞こえる?」
ソフィアが壁の伝声管に向かって声をかけると、隣の実験防護室からヴァレリーの余裕を含んだ声が返ってきた。分厚い防護ガラスの向こう側で、彼女が大型の魔導ライフルを構えている。
「カイ。貴方は私の隣から一歩も動かないで。私たち三人の感覚を使って、彼女の術式が完成する『前』に、結び目を弾きなさい」
「……了解だ」
カイは右腕の義手を、防護ガラスの向こうのヴァレリーへ向けた。
『いくわよ、新入り! 丸焦げにならないようにね!』
ヴァレリーがライフルの引き金に指をかけ、短い詠唱を紡ぎ始めた瞬間だった。
(……来る! コンマ八秒後!)
シエロの「耳」が、ヴァレリーの唇から漏れた空気の震えと、銃身にエーテルが集束する微細な予兆を、本部のシステムを通じていち早くソフィアへ送信する。
(……方向は正面、防護ガラスの右下!)
エリスの「感知」が、ヴァレリーの体内で高まった電気的な性質がどの方向へ向かおうとしているかを、黄色いスパークのイメージとして送信する。
(……結節点は三つ!)
隣に立つソフィアが、その二つの予兆データを瞬時に統合する。彼女の「観測眼」が捉えた最も脆い構造上の欠陥が、三つの光の点としてカイの視界に直接フィードバックされた。
言葉は交わさない。すべてが、コンマ数秒の間に「直感的なイメージ」としてカイの脳内で統合される。カイは、迷いなく義手の指先を動かした。見えているのだ。どこを、どう押せば崩れるのかが。
だが、四人の感覚が交差する膨大な情報量に、カイの脳の処理が悲鳴を上げる。焦りから、指先のイメージがわずかにブレた。精密な鍵穴に、無理やり太い鍵をねじ込もうとするように。
「……事象解体」
カイは義手の指先で、空間に浮かび上がった三つの点を弾いた。
パチ、バチバチッ!
不規則な火花が散る。直後、防護ガラスの向こう側でヴァレリーが放とうとした電撃が、銃口から飛び出す前にシュン……と霧散した。だが、完全に消え去ったわけではなく、行き場を失ったわずかな静電気がガラスの表面をバチッと叩いた。
「……」
実験室が、静寂に包まれる。
『……ちょっと! 今、少しだけ火花がこっちに跳ねたわよ!』
伝声管から、ヴァレリーの抗議する声が響き渡った。
「リンク、解除」
ソフィアが共振盤のスイッチを切る。その瞬間、カイの脳内で統合されていた感覚がプツリと途絶え、元の「自分一人の感覚」へと戻った。
「……はぁっ、はぁっ……」
カイは、ドッと押し寄せてきた疲労感に耐えきれず、その場に膝をついた。ほんの数秒のリンクだったが、脳のカロリーを限界まで消費したような凄まじい疲労だ。義手の排気口からは、オーバーヒート寸前の白煙が噴き出している。
「……成功、と言っていいのかしらね。システムとしては作動したわ」
ソフィアが、デバイスのデータを見つめながら難しい顔をした。
「でも、人間側の連携はまだまだね。カイ、貴方が三つの座標を弾くタイミングが、私の統合データからコンマ一秒遅れたわ。それに、力の絞り込み……イメージの『解像度』も荒い」
「……ああ。分かってる」
カイは、白煙を上げる義手を見つめた。三人の感覚を共有することはできた。だが、それを受け取る自分の脳の処理が追いついていない。情報に振り回され、余分な空間まで巻き込んでしまった。
「カイさん……大丈夫ですか?」 「私の波形が、強すぎたのでしょうか……」
シエロとエリスが心配そうに駆け寄ってくる。カイは息を整えながら、首を横に振った。
「あんたたちのせいじゃない。俺の問題だ」
カイは立ち上がり、鋼鉄の拳を強く握りしめた。どんなに教会の処刑部隊が洗練されていようと、彼らの放つ術式が物理法則という基盤の上に成り立っている以上、この「戦術連携」は間違いなく強力な武器になる。だが、それは俺がこの武器を完璧に使いこなせればの話だ。
「……もっと精度を上げなきゃダメだ。俺自身のイメージの解像度も、ソフィアとのタイミングも。こんなコンマ数秒のズレじゃ、実戦じゃ命取りになる」
スラムで戦っていた時は、いつも独りだった。自分の五感だけを頼りに、暗闇の中で手探りで爆弾の配線を切るような綱渡り。だが今は違う。すぐ隣で危険を共有し、道を切り開いてくれる相棒がいる。拡張された知覚を活かしきるための、新たな訓練が必要だ。
「……付き合ってくれ、ソフィア。俺があんたの完璧な『撃鉄』になるまで、何度でも」
カイの言葉に、ソフィアはふっと口元を緩め、力強く頷いた。
「ええ、もちろんよ。最高の『矛』に仕上がるまで、しごいてあげるわ」
地下の解析室に、義手の排気音が微かに響く。迫り来る教会の処刑部隊との決戦に向け、彼らは連携という名の新たな課題へと、確かな一歩を踏み出していた。




