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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
外典の継承

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第53話 出力の調整

 鉄と油が焦げる匂いが、鼻腔を強く刺激する。地下施設『ハビタ・ゼロ』のさらに下層。中立地帯にある鉄血職人ギルド『プロメテウス』の本拠地は、いつ訪れても凄まじい熱気と騒音に包まれていた。天井まで届く巨大な溶鉱炉が赤々と燃え盛り、ふいごの音が蒸気機関車のようにシュッシュッとリズムを刻む。火花が散る中、煤だらけの職人たちが怒号を交わしながら、金属を打ち据えていた。


「だから言っただろうが! フルパワーでぶっ放すなってな!」


 工房の奥。作業台の上に置かれたカイの右腕――鋼鉄と聖銀で構成された義手を見るなり、ギルドマスターのヴォルグが雷を落とした。岩のような巨躯を持つ親方は、頭の多機能ゴーグルをずり上げ、恨めしそうに義手の排熱口を睨みつけている。


「俺が組み上げた冷却機構は完璧だ。だがな、お前が余計な空間まで巻き込んで強引に力を流し込めば、想定以上の摩擦熱が発生する。あと数回あのデタラメな出力で使ってたら、排熱ダクトが焼き切れて、腕ごと吹き飛んでたぞ」


「悪かったよ。でも、わざとじゃないんだ」


 作業椅子に座ったカイは、肩から外された義手を見つめながら苦笑した。


「分かってはいるんだ。結果に至るまでのプロセス……その一番脆い『継ぎ目』だけをほどけばいいってことは。でも、いざやろうとすると、指先に力が入りすぎる。……無意識に、周囲の空間ごと拒絶の波動で塗りつぶしちまうんだ」


 カイの魂は、この世界のエネルギーを一切通さない「絶縁体」だ。だからこそ、相手の術式に直接干渉できる。だが、その硬すぎる魂は、繊細な作業には不向きだった。


「仕方ないわ。カイはこれまで、生きるか死ぬかの極限状態で、飛んでくる攻撃を真正面から『力ずくで相殺する』戦い方しかしてこなかったんだもの」


 隣に立つソフィアが、手元の石板型デバイスに表示されたデータをヴォルグに見せながらフォローを入れた。


「スラムでの、あの全力の『全破壊』の癖が抜けきっていないのよ。義手側の伝導率を少し下げて、強制的に『抵抗』を作ることはできない? そうすれば、カイが力んでも、出力が制限されるはずよ」


「……馬鹿言え。それじゃあ本末転倒だ」


 ヴォルグは鼻を鳴らし、スパナを手にして義手の関節部分を調整し始めた。


「この義手の最大の売りは、こいつの『解体』の波長をロスなく対象に届けることだ。抵抗を作っちまえば、いざ『エクリプス』みたいな化け物とやり合う時に、最大出力が出せなくなる。……命取りだぞ」


「じゃあ、どうするの?」


 ソフィアの問いに、ヴォルグは手を止め、カイを真っ直ぐに見据えた。


「機械側にリミッターをかけるんじゃねえ。……お前自身の『バルブ』の締め方を覚えるんだよ、カイ」


「バルブ……?」


「ああ。水が勢いよく出すぎるからって、水道管を細く取り替える奴はいねえ。蛇口のひねり方で調整するんだ。お前の魂も同じだ。力を込めるんじゃねえ。力を『絞る』感覚を身につけろ」


 ヴォルグは背中の機械腕を器用に動かし、義手の細かなねじを締め直していく。カチ、カチ、と小気味よい音が響く。


「お嬢ちゃんから聞いたぜ。ビビって、周りの空間ごと握りつぶしたらしいな。お前のその『絶縁体』の魂は、元々が硬すぎるんだ。だから少しでも力を込めると、無意識に全方位へ『拒絶』の波動が漏れちまう」


「……耳が痛いな。分かってはいるんだが、加減が難しいんだ」


「だから、この義手があるんだろうが。いいか、お前は自分の手だけで全部やろうとしてる。そうじゃねえ。義手の表面を走る『聖銀』の回路を、お前の波動の『ガイド』として使うんだよ」


「ガイド……?」


「そうだ。力を空間全体に放つんじゃなく、義手の指先にある聖銀のライン『だけ』に、自分の魂を水滴のように垂らす感覚だ。そうすれば、波動は拡散せずに一点だけを貫く」


「……聖銀のラインだけに、流し込む」


 カイは、義手の表面に施された幾何学的な銀色の線を指でなぞった。自分の魂を広げるのではなく、この細い金属の道筋にだけ、極限まで絞り込んで通す。それなら、余計な空間まで巻き込むことはない。


「よし、調整完了だ。装着しろ」


 ヴォルグが義手を持ち上げ、カイの右肩にあてがう。ガシャン、と重い金属音がして、ソケットが噛み合った。冷たい金属の感触の奥で、自分の魂が義手とリンクする独特の重みが走る。


「さて、口で言うのは簡単だが、体で覚えねえと意味がねえ。……ちょっとしたテストをするぞ」


 ヴォルグは作業台の下から、古びた真鍮製の筒のようなものを引っ張り出してきた。筒の表面には無数の細かいスリットが開いている。


「こいつは、鉱山の換気に使われていた『蒼天(そうてん)の魔導具』のジャンク品だ。スイッチを入れると、中のエーテルが空気を圧縮して、強い風を吹き出す仕掛けになっている」


 ヴォルグは筒を台の上に固定し、振り返った。


「こいつは、三つの連動する構成式で動いている。『空気の吸入』、『圧縮』、そして『放出』だ。……カイ、お前はこいつが動き出したら、真ん中の『圧縮』のプロセスだけを止めてみろ」


「……吸入と放出は生かしたまま、圧縮だけを止めるのか?」


「そうだ。もしお前が力んで、周りの式ごと全破壊すれば、こいつは行き場を失ったエーテルで暴発する。……俺の可愛い工房を吹き飛ばしたくなかったら、慎重にやることだな」


 ヴォルグはニヤリと悪戯っぽく笑い、筒のスイッチを入れた。


ブォォォォン……!


 魔導具が低い唸りを上げ、周囲の空気を吸い込み始める。筒の先端からは、目に見えない強烈な風が吹き出し、作業台の上の図面がバサバサと煽られた。


「エネルギーの集束を確認! ……カイ、私が構成式の結び目を……」


 ソフィアが観測鏡を覗き込み、ナビゲートしようとした瞬間。


「待て、お嬢ちゃん」


 ヴォルグが手でそれを制した。


「今回は、お前のナビはなしだ。カイ一人の感覚でやらせる」


「なっ……無茶よ! カイはまだ、エーテルの流れを自分の目では正確に捉えきれていないわ!」


「実戦じゃ、お前の指示が遅れることだってある。こいつ自身が、自分の指先で『正解』を探り当てる感覚を掴まねえと、本当の技術にはならねえ」


 ヴォルグの言葉に、カイは小さく頷いた。そうだ。いつまでもナビゲーションに頼りきりでは、咄嗟の事態に対応できない。俺自身が、世界のエラーを直接手探りで見つけ出さなければ。


「……やってみるよ」


 カイは、風を吹き出し続ける魔導具の前に立ち、右手の義手をかざした。目を閉じる。視覚からの情報を遮断し、義手の指先から伝わってくる「抵抗」に全神経を集中させる。


ブォォォォン……。


 風の音。だが、それだけではない。空気を吸い込むための、緩やかなエーテルの流れ。それを押しつぶすための、ギリギリと張り詰めた高密度の渦。そして、それを外へ押し出すための、勢いのある奔流。


 見えないはずの三つのプロセスが、指先の微かな重みの違いとして、カイの脳内に立体的なイメージを結んでいく。


(……吸入。……放出。……真ん中にある、一番硬い結び目が、『圧縮』だ)


 カイは、その硬い渦の中心へと、義手の先端をそっと差し込んだ。ビリッ、と微かな抵抗が走る。先ほどの実験室では、ここで「これで本当に止まるのか」という不安から、無意識のうちに周囲の無害なエネルギーごと鷲掴みにしてしまった。


(……力を抜くんだ。蛇口を閉めるように。極細の糸を通すように)


 カイは、魂の絶縁体としての「拒絶」の波動を、極限まで細く、鋭く絞り込んだ。破壊ではなく、ただの「干渉」。


「……事象解体(デコンストラクション)


 静かな呟きと共に、カイは義手の指先で、圧縮のプロセスを司る見えない結び目を、軽く「弾いた」。


カチッ。


 小さな、しかし確かな手応え。次の瞬間、魔導具から吹き出していた暴風が、唐突に勢いを失った。だが、魔導具は沈黙したわけではない。ブォォォ……という低い音を立てながら、空気の吸入と放出の機能だけは動き続けている。ただ「圧縮」の工程が抜け落ちたため、そよ風のような無害な空気の流れに変わったのだ。


プシュッ……。


 カイの義手の排気口から、かすかに白い蒸気が漏れた。暴発寸前の白煙ではない。静かで、安定した排熱の証だった。


「……成功、よ」


 息を詰めて見守っていたソフィアが、感嘆の声を漏らした。


「圧縮の構成式だけが綺麗に消去されているわ。他のプロセスには一切のダメージがない。……完璧な出力調整だわ」


 カイは目を開け、ゆっくりと義手を下ろした。疲労感はない。魂の摩耗も、驚くほど少なかった。


「……これが、絞るってことか」


 カイは、鋼鉄の指先を見つめて呟いた。力任せに壁を殴りつけるのではなく、鍵穴に鍵を差し込んで回すような感覚。これなら、エクリプスのような強敵を相手に何度能力を使っても、自滅することはない。


「へっ、やればできるじゃねえか。これで義手のハード側の問題はクリアだ」


 ヴォルグが満足そうに腕を組み、大きく頷いた。


「だが、喜ぶのはまだ早いぜ。今は止まっている的を相手に、時間をかけて探り当てただけだ。実戦で動き回る敵を相手に、一瞬でその『結び目』を見抜けるか?」


「……確かに、そこが課題だな」


 カイは表情を引き締めた。今回は時間をかけて探ったから見つけられたが、実戦のコンマ数秒の攻防の中で、今の精密さを発揮できる自信はまだない。


「そうね。だからこそ、次のステップが必要になるわ」


 ソフィアが、研究者としての顔つきで歩み寄ってきた。


「私の観測鏡のナビゲートも、言葉で伝える以上、どうしてもタイムラグが生じるわ。これからの戦いでは、そのラグすら命取りになる。だから、『感覚の共有』を行うの」


「感覚の共有?」


「ええ。理論上は可能よ。貴方のその義手……『変異した銀』を使っているのが鍵になるわ」


 ソフィアは、カイの義手の表面に走る聖銀のラインを指差した。


「聖銀は、この世界のエネルギーに対して超伝導に近い性質を持ち、生体電流や魂の光を吸い上げる特性がある。これまでは、貴方の魂の熱を『外へ逃がす』ための排熱ダクトとして使っていたけれど、逆もできるはずよ」


「逆……?」


「私たちが発する微弱な魂の波形信号を、義手の聖銀をアンテナにして『受信』し、貴方の魂へ直接フィードバックするの」


 ソフィアは、自身の首元に下げたデバイスを軽く叩いた。


「シエロの『聴覚』、エリスの『共感覚』、そして私の『観測』。これらをネットワークで繋ぎ、言葉を介さず、敵の術式の発動を『音や波形』として直接貴方の脳に届けるシステム。……名付けて『戦術連携タクティカル・リンク』よ」


 カイは目を見開いた。


「つまり、この義手が無線機になるってことか?」


「ええ。ただし、処理するのは機械じゃなくて貴方の脳よ。三人の感覚が同時に流れ込んでくるから、かなりの情報負荷がかかるけれど」


「上等だ」


 カイは、迷いなく頷いた。自分一人で全てを処理するのではなく、仲間の感覚を自分の知覚の延長として使う。


「俺は一人で戦ってるわけじゃない。みんなの目と耳を貸してくれるなら、これほど心強いことはない」


 カイの力強い返答に、ソフィアはふわりと微笑んだ。


「決まりね。それじゃあ、解析室に戻ってシエロたちを呼びましょう。新しい機構の構築テストの始まりよ」


 カイは義手を握りしめ、工房の熱気を背に歩き出した。迫り来る教会の処刑部隊『エクリプス』との死闘を見据え、論理の聖域での訓練は、さらなる高みへと進もうとしていた。

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