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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
静寂と胎動

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第50話 扉を開く時

 スラムの地下深くに張り巡らされた旧下水道。その暗闇を、四つの影が音もなく疾走していた。先頭を行くのは、巨大な盾を背負ったジャン。その後ろに、白衣の上から防護ケープを羽織ったソフィアが続き、彼女を守るようにカイが並走する。最後尾は、魔導ライフルを警戒態勢で構えたヴァレリーだ。


「……目標ポイントまで、あと距離200」


 ソフィアが、片目に装着した『観測鏡スペクトル・スコープ』の縁に指を当て、低く告げた。彼女の視界には、分厚い岩盤の向こう側にある地上のエーテル反応が、サーモグラフィーのように映し出されているはずだ。


「敵の配置はどうなってる?」


 カイが走りながら問う。右腕の義手が、走る振動に合わせてわずかな駆動音を立てていた。重い。だが、その重さが今は心地よい安定感となって体を支えている。


「地上の監視塔周辺に、固定反応が4。巡回しているのが2。……それと、塔の内部に高密度の反応が一つ。間違いなく、あれが『ソナー』の動力源となっているエーテル結晶よ」


「数は少ないな。本当にここが『目』なのか?」


「ええ。奴らは広域探査にリソースを割いているから、拠点防衛は最小限の自動人形オートマタに任せているみたいね。……油断は禁物よ」


 ソフィアの声には、緊張と同時に、これから始まる実証実験への冷徹な好奇心が混じっていた。


「到達。……ここよ」


 一行は、行き止まりに見える壁の前で足を止めた。壁面には錆びついた梯子が埋め込まれており、遥か頭上のマンホールへと続いている。この上が、目標である「廃棄された教会の監視塔」の基部だ。


「シエロ、聞こえるか?」


 カイが耳元の通信機に触れた。


『……はい、良好です。……ジャミング、展開中。……今のところ、敵の警報網に引っかかった形跡はありません』


 拠点にいるシエロの頼りなげな、しかし芯の通った声が返ってくる。


「よし。……行くぞ」


 ジャンが先頭を切って梯子を登り、マンホールの蓋を慎重に押し上げた。わずかな光と、乾燥した夜気が流れ込んでくる。






 地上に出た瞬間、肌を刺すような魔力の圧力を感じた。そこは、崩れかけた石造りの塔の裏手だった。月明かりに照らされた廃墟。だが、その静けさは偽りだ。塔の頂上付近からは、断続的に不可視の波紋――『ソナー』の音波が放たれ、スラム全体を舐め回している。


「……不快な音だ」


 カイは眉をひそめた。耳には聞こえないが、魂が直接撫で回されているような生理的な嫌悪感がある。絶縁体であるカイでさえこうなのだ。聴覚過敏のシエロにとっては、拷問に近い騒音だろう。


「さっさと壊して、静かにさせてやりましょう」


 ヴァレリーがライフルの安全装置を外し、不敵に笑う。


「作戦通りに行くわよ。ジャンが敵を引きつけ、ヴァレリーが牽制。その隙にカイと私が塔の内部へ侵入して、核を破壊する」


 ソフィアの指示に、全員が頷く。その時だった。


ジャリッ。


 塔の影から、無機質な足音が響いた。現れたのは、人間ではなかった。全身を錆びついた甲冑で覆い、兜の隙間から赤黒い光を漏らす、身長二メートルほどの巨人。手には身の丈ほどもある大剣を引きずっている。


「……出たな。『守護騎士ガーディアン』」


 ジャンが盾を構え、前に出る。それは教会が使役する自律型の鎧人形だ。中身はなく、ただ「侵入者を排除せよ」という命令だけが書き込まれた魂の残滓が詰め込まれている。


「排除……排除……」


 壊れたラジオのような声を漏らしながら、鎧人形が剣を振り上げる。一体ではない。瓦礫の陰から、次々と同型の騎士が現れる。計六体。予想より多い。


「ハッ、歓迎してくれるじゃねえか!」


 ジャンが吼え、自ら鎧人形の群れへと突っ込んでいった。先頭の騎士が大剣を振り下ろす。ジャンはそれを避けない。巨大な盾で正面から受け止める。


ドォォォォン!!


 激突音。だが、ジャンの足は一歩も下がらない。それどころか、剣を受け止めた盾の表面が白く発光した。


「『衝撃反射(リフレクション)』ッ!」


 ジャンが盾を押し返す。盾が受けた物理的エネルギーが、そのまま衝撃を反転させて騎士へと跳ね返る。ガギンッ! 自らの攻撃の反動を受けた騎士が、弾かれたように後方へと吹き飛んだ。


「オラオラ! 俺の盾は『鏡』よりタチが悪いぜ! そのまま受け取りな!」


「相変わらず意地の悪い盾ね。……じゃあ、あたしも!」


 ヴァレリーがライフルの引き金を引く。バチィッ!! 放たれたのは弾丸ではなく、青白い稲妻だ。『導電路(コンダクト・パス)』。彼女が作り出した空気中の電気抵抗ゼロの道を通り、稲妻が金属の鎧を直撃する。


「ガ、ガガ……ッ!?」


 鎧人形たちが痙攣し、動きを止める。


「今よ、カイ!」


 ソフィアが叫ぶ。  道が開いた。カイは地面を蹴り、塔の入り口へと疾走した。


(……すごい)


 走りながら、カイは仲間の戦いぶりに舌を巻いていた。スラムで一人戦っていた時は、敵の攻撃をすべて自分で捌き、隙を見て反撃しなければならなかった。常に死と隣り合わせの綱渡り。だが今は違う。ジャンが壁となり、ヴァレリーが道を切り開く。自分はただ、その先にある「標的」だけを見据えていればいい。


(これが、チームか)


 カイは右手の義手を握りしめた。塔の入り口には、鉄格子がはまっている。さらにその奥には、紫色の光の膜――防御結界が張られているのが見えた。


「カイ、結界の『継ぎ目』は鉄格子の右下よ!」


 ソフィアの的確なナビゲートが飛ぶ。カイの目には何も見えないが、彼女の言葉を信じてその一点を凝視すると、確かに空気の揺らぎが見えた。結界を構成する術式の、結び目。


「了解だ、ナビゲーター!」


 カイは右腕を振りかぶった。義手の排気口から、プシューッという音と共に蒸気が噴き出す。魂の出力が上がる。


「『事象解体(デコンストラクション)』ッ!!」


 鋼鉄の指先が、何もない空間を掴み、引き裂く。パリーンッ!! ガラスが割れるような音がして、光の膜が霧散した。続いて、鉄格子を物理的な力でねじ切る。


「開いたぞ!」


 カイとソフィアは塔の内部へと滑り込んだ。塔の中は、螺旋階段になっていた。中央の吹き抜けには、巨大な振り子のような結晶体が吊り下げられ、ゆっくりと回転しながら不気味な低周波を放っている。


「あれが『ソナー』の心臓部ね。……カイ、あの結晶を止めて!」


 ソフィアが階段を駆け上がりながら叫ぶ。カイも続く。だが、その時だった。


ヒュンッ。


 頭上から、鋭い風切り音がした。カイは反射的に足を止め、上を見上げる。


「……!」


 螺旋階段の上から、黒い影が降ってきた。それは、外にいた鎧人形とは違う。より細身で、流線型の装甲を纏った、高速戦闘特化型のオートマタだ。両手には鎌のような刃が装着されている。


「侵入者、検知。……排除スル」


 機械的な音声と共に、影がカイに襲いかかる。速い。ジャンのようなタンクタイプとは相性が最悪だ。


「カイ、気をつけて! そいつは『疾風(カマイタチ)』の聖譜を常時展開しているわ!」


 ソフィアが警告する。敵の刃が迫る。カイは右腕の義手を盾にして受け止めた。


ガギィンッ!!


 激しい火花が散る。義手の表面を覆う『聖銀』のコーティングが、敵の風の刃を受け流す。重い。だが、押し負けるほどではない。ヴォルグの作ったこの腕は、伊達ではない。


(……動きが見える)


 カイは冷静だった。以前ならパニックになっていただろう。だが今は、ソフィアから叩き込まれた「知識」がある。風の聖譜とは、気圧差を利用した空気の移動だ。刃が速いのは、進行方向の空気を薄くして抵抗を減らしているからだ。


(なら、そこを塞げばいい!)


 カイは、敵が次の攻撃に移る瞬間を見極め、左手で敵の進行方向の空間を指差した。


「……定義。気圧差の解消」


 聖譜ではない。イメージによる物理法則への干渉。カイの魂が、周囲の空気を「平坦」に固定する。


 ガクッ。


 敵の動きが一瞬、不自然に鈍った。風の加護を失い、空気抵抗が復活したことで、バランスを崩したのだ。


「そこだ!」


 カイは踏み込んだ。右手の義手を、敵の胴体――動力炉のある中心部へと突き出す。


「『事象解体(デコンストラクション)』……ッ!!」


ドゴォォォン!!


 義手の掌底が、敵の胸部装甲を粉砕した。同時に、流し込まれた「拒絶」の波動が、内部の魔力回路をズタズタに焼き切る。オートマタは火花を散らしながら吹き飛び、壁に激突して動かなくなった。


「……はぁ、はぁ……」


 カイは残心し、右腕の排熱を確認する。蒸気が上がっているが、オーバーヒートには程遠い。


「すごい……! カイ、今の動き……」


 ソフィアが目を丸くしている。


「風の流れを読んで、先回りして無効化したのね? まるで、敵の『構成式』を読んでるみたいだったわ」


「……ただの物理だよ。抵抗が増えれば、速度は落ちる」


 カイは短く答えたが、内心では冷や汗をかいていた。今のは賭けだった。タイミングがコンマ一秒でも遅れていれば、首を飛ばされていたのは俺の方だ。「イメージ」と「実行」の間にあるラグ。それを埋めるには、もっと訓練が必要だ。


「急ぎましょう。増援が来る前に」


 二人は再び階段を駆け上がり、最上階の制御室へと到達した。そこには、直径一メートルほどの巨大な紫色の結晶が鎮座していた。表面には複雑な紋様が刻まれ、ドクン、ドクンと心臓のように脈動している。


「これが、ソナーの核……」


 カイが近づくと、キィィンという耳鳴りが強くなった。強烈な不快感。魂を覗かれているような嫌悪感。


「カイ、手を出して。……私が回路の『急所』を特定する」


 ソフィアがカイの背中に手を当て、もう片方の手で観測鏡を操作する。


「……構造解析、開始。……複雑な多重暗号ね。物理的な破壊耐性も高いわ。普通に叩いても衝撃が分散される」


「どうすればいい?」


「共振周波数を探すわ。……見つけた。この結晶、660ヘルツの振動で構成が維持されている。逆位相の波を、正確に一点に叩き込めば……」


 ソフィアが、結晶の表面にある一点を指差した。


「あそこよ! 誤差は許されないわ。全力で、でも針の穴を通すように精密に!」


「……注文が多いな、ナビゲーター」


 カイは苦笑しつつ、右腕を構えた。義手の排気口が全開になり、蒸気が勢いよく噴き出す。内蔵された歯車が高速回転し、カイの魂の力を物理的な振動エネルギーへと変換していく。


(……イメージしろ。破壊じゃない。停止だ)


 この巨大なシステムの電源を、静かに、しかし二度と入らないように切る。


「……『事象解体(デコンストラクション)』!!」


 カイの右拳が、指定された一点を撃ち抜いた。


カィィィィン……!!


 高く、澄んだ音が響き渡った。物理的な打撃音ではない。結晶の分子結合が一斉に解かれ、構造そのものが崩壊する音。


ピシッ、ピシピシッ……。


 結晶の表面に亀裂が走り、次の瞬間、サラサラとした光の砂となって崩れ落ちた。同時に、塔全体を包んでいた不快な重低音が、プツリと途絶える。


「……ソナー、停止確認」


 シエロからの通信が入る。


『確認しました! 探査波の反応、消失! ……敵の警戒網に穴が開きました!』


「やったわね、カイ!」


 ソフィアが歓声を上げ、カイの左手にハイタッチを求めてきた。カイは照れくさそうに応じる。


「……ああ。なんとか、な」


 だが、カイの顔色は優れなかった。右腕が熱い。ヴォルグの義手のおかげで肉体へのダメージはないが、魂がひどく疲弊している。たった一回の精密射撃。それだけで、これほど消耗するのか。


(……まだだ。イメージの解像度が足りない)


 ソフィアの指示がなければ、俺はどこを殴ればいいか分からなかった。そして、指示されても、それを実行するのに全精力を使い果たしてしまう。これでは、あの「エクリプス」という本隊と戦うには程遠い。


「脱出するぞ! 敵が集まってくる!」


 下からジャンの声が響く。カイたちは塔を駆け下り、外で待っていた仲間と合流した。鎧人形たちはジャンとヴァレリーによってスクラップにされていた。


「へっ、いい音してたぜ。大仕事は終わったみたいだな」


 ジャンがニカっと笑う。


「長居は無用よ。さっさとズラかるわよ!」


 ヴァレリーが合図し、一行は闇に紛れて撤退を開始した。背後で、監視塔が崩壊していく音が聞こえる。それは、カイたちが世界に対して開けた、最初の「風穴」の音だった。






 ハビタ・ゼロへの帰還後。作戦室では、ゲルハルトが満足げに頷いていた。


「上出来だ。敵の探査網は大きく後退した。これで、我々の拠点が特定されるまでの時間を、数週間は稼げただろう」


「数週間……か。短いな」


 カイが呟くと、ゲルハルトは眼鏡の位置を直した。


「十分な時間だ。……君が、本当の意味で『戦力』になるためのな」


 ゲルハルトの視線が、カイの右腕――まだ熱を帯びている義手に向けられる。


「今回の戦闘データを見た。出力は申し分ない。だが、制御が甘い。ソフィアのナビゲートなしでは、君はただの暴走する鉄砲玉だ」


 痛いところを突かれた。カイは反論できなかった。


「……分かってる。今のままじゃ、エクリプスには勝てない」


 風のオートマタ一体に苦戦し、動かない結晶を壊すのに全力を使い果たす。これでは、対人戦のプロフェッショナル集団相手には通用しない。


「なら、学ぶことだ」


 ソフィアが、カイの鞄を指差した。


「カイ、『外典』を出して。……第2章を読んでもらうわ」


「第2章?」


 カイは鞄から、一ノ瀬賢治の遺したボロボロのノートを取り出した。


「ええ。そこには、単なる物理法則の応用ではない……魂と世界律をリンクさせるための『演算式』が記されているはずよ」


 ソフィアの瞳は真剣だった。


「カイ。貴方は『解体』だけじゃなく、『再構築』の理屈も知らなきゃいけない。壊すだけじゃ、世界は直せないから」


 カイは、手元のノートを見つめた。ずしりと重い。それは、過去の先人が遺した知識の重みであり、これからカイが背負う責任の重みでもあった。


「……分かった。やってみるよ」


 カイはノートを開いた。そこには、まだ見ぬ数式と、世界を解き明かすための言葉が待っている。


 扉は開かれた。だが、その先に続く道は、まだ霧の中だ。カイは、鋼鉄の右腕を握りしめ、新たな知識の海へと足を踏み入れる覚悟を決めた。


 静寂の時間は終わり、次なる胎動が始まろうとしていた。

幕間1:静寂と胎動 「完結」


お読みいただきありがとうございます。

新たに短編『私の親友が尊すぎるので、世界も全力で忖度するらしい』を投稿しました。

今作のどこかとこっそりリンクしている……かもしれません。ぜひ探してみてください。


『私の親友が尊すぎるので、世界も全力で忖度するらしい』

https://ncode.syosetu.com/n1145lw/

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