第48話 歪みの周波数
地下水路での「掃除」を終えたカイたちが『ハビタ・ゼロ』の重厚な隔壁をくぐると、そこにはいつもの油と錆の匂いではなく、どこかピリついた空気が漂っていた。
「おかえり。随分と派手に暴れてきたようだな」
出迎えたのは、レジスタンスの指揮官ゲルハルトだった。彼は銀縁眼鏡の奥の瞳を細め、カイの右腕――まだわずかに熱を帯びて蒸気を上げている鋼鉄の義手を一瞥した。
「テストの結果は良好のようだが、予定時間をオーバーしている。……何かあったか?」
「ああ。ちょっとした害虫駆除だよ。数が予想より……」
カイが答えようとした、その時だ。
「ご心配なく、ボス! 新入り君の『解体』は期待以上よ」
ヴァレリーがカイの言葉を遮るように割り込み、背負っていた魔導ライフルの安全装置をカチャリと戻した。彼女は上機嫌にカイの背中をバシンと叩く。
「あたしらのサポートなしでも、あんな化け物を握りつぶせるなんてね。……正直、鳥肌が立ったわ」
「出力係数、冷却効率ともに想定の範囲内よ。ただ、カイの『握り込み』のタイミングにはまだ修正の余地があるわね」
ソフィアが手元のデータをゲルハルトに見せながら、淡々と報告する。その横顔には、科学者としての満足感と、隠しきれない疲労の色が混じっていた。
「……そうか。ならばいい」
ゲルハルトは短く頷き、踵を返した。
「ヴォルグ、義手のメンテナンスを頼む。カイ、君は医務室へ。エリスに魂の波形をチェックしてもらえ。……微細なノイズが残っているかもしれん」
「おいおい、休む間なしかよ」
カイは苦笑しつつも、右肩の違和感を自覚していた。痛みはない。だが、義手と生身の接合部が、熱を持ったように重い。やはり、実戦での「解体」は魂への負担が大きいのだ。
「へっ、贅沢言うなよ坊主。その腕は俺の最高傑作だぞ。ネジ一本緩ませるもんか」
奥から現れたヴォルグが、工具でカイの義手をコンコンと叩いた。
「ほら、さっさと来い。油を差してやる」
カイはヴォルグに連れられ、工房の方へと歩き出した。ソフィアたちもそれぞれの持ち場へ戻っていく。いつもの日常。地下の隠れ家での、つかの間の休息。だが、カイの背筋には、地下水路で感じたあの冷たい「視線」の感覚が、棘のように残り続けていた。
異変が起きたのは、カイがヴォルグによる義手の調整を終え、食堂で遅めの昼食を摂ろうとしていた時だった。
キィィィィィィィン……!!
突如、拠点内のスピーカーから、ハウリングのような甲高いノイズが響き渡った。ただの音ではない。ガラスを爪で引っ掻く音を数千倍に増幅したような、脳髄を直接揺さぶる不快な周波数。
「うぐっ……!?」
カイは反射的に耳を塞ぎ、その場にうずくまった。食堂にいた他のメンバーたちも同様に、顔をしかめて耳を押さえている。
「な、何だ今の音は!?」 「空襲警報か!?」
ざわめきが広がる中、通路の奥から悲鳴のような声が聞こえた。
「……やめて! ……切って! 音を、切ってぇぇぇッ!!」
それは、通信室の方角からだった。
「シエロ!?」
カイは弾かれたように立ち上がり、音のする方へと走った。ジャンとヴァレリーも続く。通信室の扉を開けると、そこには床に転がり、愛用のヘッドフォンをかなぐり捨てて頭を抱える少年の姿があった。
「シエロ! どうした!」
カイが駆け寄り、シエロの肩を抱く。少年はガタガタと震え、目は虚空を見つめたまま焦点が合っていない。
「……聞こえる……。……探してる……。……僕たちを、探してる……!」
「誰が? 何が聞こえるんだ?」
「……音が……『波』が……!」
シエロはうわごとのように繰り返す。普段は内気で穏やかな彼が、これほど取り乱す姿をカイは初めて見た。彼の耳は、数キロ先の詠唱さえ聞き取るほどの「聴覚過敏」だ。それが今は、彼自身を傷つける凶器となっている。
「どいて! 解析するわ!」
ソフィアが部屋に飛び込んできて、シエロが放り出したコンソールに飛びついた。彼女は素早い手つきで計器を操作し、モニター代わりの石板に波形を表示させる。
「……これは……」
ソフィアの手が止まった。石板に映し出されていたのは、規則正しく、しかし執拗に繰り返される、鋸の歯のようなギザギザした波形だった。
「……ただのノイズじゃないわ。これは『指向性を持った音波』よ」
「音波? 敵の攻撃か?」
ジャンが身構える。
「いいえ、もっと質が悪いわ」
ソフィアは眼鏡の位置を直し、凍りつくような声で言った。
「これは『ソナー』よ。……広範囲に特定の周波数の魔力を放射して、その反響で対象の位置を特定するための、大規模な探索術式だわ」
「ソナー……」
カイはその言葉を反芻した。潜水艦が敵を探す時に使う、あれか。
「でも、ここは地下深くだぞ? 地上の音が届くわけがない」
「普通の音ならね。でも、この波形を見て」
ソフィアが指差した波形は、通常の空気振動とは異なり、不気味なほど整然としたパターンを描いていた。
「これは物理的な音波に、高密度の『エーテル』を乗せているの。物質を透過し、特定の『魂の波長』にだけ反応して跳ね返るように調整されているわ」
「特定の波長って……」
「私たちよ。……教会の『聖典』に従わない、異端の魂を持つ者たち」
部屋の空気が、一気に氷点下まで下がった気がした。カイは、自分の胸元を握りしめた。地下水路で感じたあの視線。あれは気のせいじゃなかった。敵は、すでに網を投げていたのだ。
「……来るよ」
シエロが、震える指で天井を指差した。
「……また、来る……。……すごいやつが……!」
直後。
ズゥゥゥン……。
重低音が、岩盤を通して響いてきた。爆発音ではない。巨大な何かが、ゆっくりと、しかし確実に頭上の地面を通過していくような、腹の底に響く振動。そして、それと同時に、カイの「絶縁体」としての魂が、強烈な拒絶反応を示した。
バチバチッ!
カイの体表で、青白い火花が散る。
「くっ……!」
肌が粟立つ。まるで、冷たく湿った舌で全身を舐め回されているような、生理的な嫌悪感。見られている。壁越しに、土越しに、何者かの巨大な「眼」が、この地下空間を透視しようとしている。
「……広域探査術式……!」
駆けつけたゲルハルトが、苦渋の表情で呟いた。
「やはり、彼らか。『エクリプス』……」
「……エクリプス。ついに、来たのか」
カイが呻くように言うと、ゲルハルトは重々しく頷いた。
「ああ。この執拗さと陰湿さ……間違いなく彼らのやり方だ。通常の騎士団のように、派手な魔法で焼き払うような真似はしない。狩人のように獲物を追い詰め、巣穴ごと確実に仕留める気だ」
「……地下水路の掃除に行った時、妙な視線を感じたんだ。あれは、こいつらの先触れだったのか」
カイは歯噛みした。あの時、気づいていれば。いや、気づいたところでどうしようもなかったかもしれない。相手は見えない場所から、網を絞り込んできているのだ。
「……解析完了。震源地は、地上座標B-7エリア。……スラムのすぐ近くだわ」
ソフィアが顔を上げる。その表情は蒼白だった。
「包囲網の縮小速度が速すぎる。このペースだと、あと数日でこの『ハビタ・ゼロ』の正確な深度まで特定されるわ」
「数日!? 馬鹿な、ここの遮蔽結界は鉄壁のはずだろ!」
ジャンが叫ぶ。この拠点は、3000年前の古代遺跡を利用した天然の要塞だ。教会の探知魔法を弾くための特殊な鉱脈に守られているはずだった。
「ええ。普通の魔法なら弾けるわ。でも、奴らは『周波数』を変えてきている。……まるで、金庫のダイヤルを総当りで回すように、こちらの遮蔽周波数を解析しながら、波長を合わせてきているのよ」
ソフィアの声に焦りが滲む。
「相手にも、優秀な『解析者』がいるわね。……あるいは、私たちの技術を知り尽くした何者かが」
その言葉に、室内の空気がさらに重くなる。技術を知り尽くした者。それはつまり、裏切り者か、あるいは過去に捕まった仲間の知識が悪用されている可能性を示唆していた。
「……打って出るしかないな」
沈黙を破ったのは、カイだった。
「ここで震えて待っていても、ジリ貧だ。特定されたら、上から生き埋めにされる」
「正気か? 相手は『エクリプス』だぞ。徴税騎士のような三流とはわけが違う」
ヴァレリーが咎めるように言うが、その目もまた、戦う覚悟を決めているように見えた。
「分かってる。真正面からぶつかれば勝てないことくらい」
カイは、右手の義手を強く握りしめた。鋼鉄の指が、ギリリと音を立てる。ヴォルグが作ってくれたこの腕。まだ慣らし運転が終わったばかりだが、迷っている暇はない。
「だけど、奴らの『目』を潰せば、時間は稼げるはずだ。ソフィア。奴らの『ソナー』の発信源は特定できるか?」
「……ええ。地上の監視塔か、あるいは中継地点となっている結界の杭。そこを叩けば、探査網に穴を開けられるはずよ」
「なら、やることは一つだ」
カイはゲルハルトの方を向いた。
「指揮官。本隊に見つかる前に、その『中継地点』だけを壊す。それなら、俺たちでもやれるはずだ」
ゲルハルトは、冷徹な瞳でカイを見つめ返し、やがて短く溜息をついた。
「……君は、本当に学生だったのか? 判断が早すぎる」
「生き残るために必死なだけさ」
「……いいだろう。座して死を待つのは私の主義ではない」
ゲルハルトは眼鏡の位置を直し、部屋にいる全員に告げた。
「総員、戦闘配置。これより、敵包囲網への強行偵察、および『探査拠点』の破壊作戦を立案する」
「「了解!」」
ジャンとヴァレリーが力強く応える。シエロも、涙を拭ってヘッドフォンを拾い上げた。
「……僕も、やります。……あの音が、みんなの場所を教えるなら……僕が、ジャミングします」
「頼もしいわね、シエロ。……さあ、忙しくなるわよ」
ソフィアが白衣を翻し、黒板に向かって作戦図を描き始める。
カイは、自分の胸に手を当てた。心臓が早鐘を打っている。恐怖はある。相手は教会の処刑部隊。見つかれば終わりだ。だが、スラムで一人戦っていた時のような、寄る辺のない孤独感はなかった。ここには、背中を預けられる仲間がいる。知恵を貸してくれる頭脳がある。
(……待ってろよ、教会の騎士様たち)
カイは、頭上の天井――その遥か上にある地上を睨みつけた。
一方的な狩りの時間は終わりだ。今度はこっちが、その完璧な包囲網に「風穴」を開けてやる。
地下の学舎が、静かに、しかし熱く胎動を始めていた。




