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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
静寂と胎動

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第45話 幻燈の報告

 地上にある教会の支配領域、その中枢に位置する巨大な建造物――『聖譜監獄(アーカイブ)』。そこは、この世界で最も神聖であり、同時に最も冒涜的な場所だった。


 高くそびえ立つ尖塔の内部は、無限に続くかと思われる螺旋状の書架になっている。棚に並んでいるのは本ではない。青白く発光するクリスタルの板――『記憶板(メモリア)』だ。ここには、3000年間の歴史、聖譜の術式、そして「異端」として処理された者たちの記録が、すべて保存されている。


 その膨大な光の回廊を、一人の青年が歩いていた。灰色の法衣を纏い、片目には分厚いレンズの眼鏡をかけている。手には羽ペンと羊皮紙の束。どこからどう見ても、真面目で退屈な下級書記官だ。


「……やれやれ。今日の『聖譜(スコア)』の整理も終わらないな」


 青年――ルカは、誰に聞かせるでもなく溜息をついた。周囲を行き交う神官たちは、彼に目もくれない。ルカの存在感が薄いからではない。彼が自身の能力、『光学的偏光(オプティカル・シフト)』を使って、自分の周囲の光の屈折率を微妙にずらし、「風景に溶け込んで」いるからだ。完全に透明になるわけではない。ただ、「そこにいても気にならない背景」として認識させる。潜入工作において、これほど便利な能力はない。


(さて……。退屈な事務仕事はここまでだ)


 ルカは書架の陰に入ると、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。レンズの奥の瞳から、昼行灯のような眠たげな色が消え、鋭い知性の光が宿る。彼はレジスタンス組織『アカデミア・ロゴス』の潜入スパイ。コードネームは『幻燈(プリズム)』。


 教会の動きが慌ただしい。辺境のスラムで起きた「騎士団の敗北」。その情報は、すでにここ中枢にまで届いている。数百人の騎士が、たった一人の少年に無力化されたという異常事態。その対策会議が、今まさに最上階の『至聖所(サンクタム)』で行われようとしていた。


「……急ごうか。僕の知的好奇心のためにもね」


 ルカは法衣の裾を翻し、一般の神官が立ち入れない区画へと足を踏み入れた。


        




『至聖所』の扉は、何重もの魔法障壁と、物理的な重厚な扉で閉ざされていた。だが、ルカにとっては障壁などないも同然だ。障壁とは光や魔力の波で作られた壁だ。波の性質さえ理解していれば、その隙間を水のようにすり抜けることができる。


 ルカは音もなく会議室の隅、高い天井の梁の上に滑り込んだ。そこからは、円卓を囲む高位聖職者たちの姿が見下ろせる。部屋の中央には、立体映像のような光の地図が浮かび上がっていた。映し出されているのは、あのスラムの地形だ。


「……報告は以上です。第七浄化中隊、指揮官クレド以下、全滅。生存者は精神に異常をきたし、再起不能」


 報告を行っているのは、生き残った伝令の騎士だろう。鎧は焼け焦げ、恐怖で震えている。円卓についた赤い法衣の老人たちが、ざわめいた。


「馬鹿な……。合唱(コーラス)を用いた最大出力の焼却だぞ? なぜ防がれた」 「物理的な障壁ではありません。術式そのものが……『霧散』させられたとの報告です」 「聖譜を消すなど、あり得ん! それこそ神の御業ではないか」


 混乱する老人たちを一喝する声が響いた。


「静粛に」


 部屋の空気が凍りついた。円卓の上座。そこには誰も座っていない。代わりに、巨大な黄金のスピーカーのような装置が鎮座している。そこから、機械的で、しかし絶対的な威厳を持つ声が発せられた。


「……聖帝猊下……!」


 老人たちが一斉に平伏する。聖帝アイオン・テスタメント。この世界を統べる絶対の管理者。その姿を見た者はいないが、その声は教会のすべてを決定する。


「現象の解析は終了している」


 聖帝の声は、感情を含まない冷徹な響きだった。


「当該個体は、聖譜を使っているのではない。世界律に対する『拒絶』を行っている」


「拒絶……でございますか?」


「肯定の逆。創造の逆。すなわち、虚空(ヴォイド)。奴の魂は、この世界のアイテールといかなる反応も示さぬ、完全なる『不導(ふどう)』の性質を持っている。ゆえに、我々の聖譜は奴の座標においてのみ、物理的に成立しない」


 隠れて聞いていたルカは、背筋が寒くなるのを感じた。聖帝は、現場を見ていないはずだ。それなのに、カイの能力の本質――ソフィアたちが「解体」と呼ぶ現象の正体を、遠隔地から完璧に見抜いている。


「……なんという、不協和音。……浄化すべき『穢れ』ですな」


 一人の司祭が忌々しげに吐き捨てた。だが、聖帝の次の言葉は、その場の全員を驚愕させた。


「否、確保せよ」


「は……? 確保、ですか?」


「殺してはならん。あの個体は『特異点(シンギュラリティ)』だ。奴の持つ『硬い魂』……その構造を解析すれば、3000年前に失われた『対・事象干渉術式』を再現できる可能性がある」


 聖帝の声に、わずかに熱がこもったように聞こえた。


「我々が維持してきた結界は、限界に近い。楔となる魂が不足している。だが、あの異物の魂ならば。あるいは、永遠に摩耗しない『最強の楔』となり得るかもしれん」


 ルカは息を呑んだ。彼らはカイを危険視しているのではない。「新しい部品」として欲しがっているのだ。結界という名の牢獄を、永遠に閉ざし続けるための、交換不可能な部品として。


「直ちに『エクリプス』を投入せよ」


 聖帝の命令が下った瞬間、老人たちが息を呑む気配が伝わってきた。


「エクリプス……! 聖騎士団の最精鋭部隊を!?」 「スラムのゴミ掃除に、そこまでの戦力を……!」


「確実性が必要だ。……行け。奴を生きたまま捕獲し、我が元へ連れてくるのだ」


 通信が切れた。黄金の装置から光が消える。部屋には、重苦しい沈黙と、決定された未来への畏怖だけが残された。


(……まずいな)


 ルカは、額に滲んだ冷や汗を拭った。『エクリプス』。噂には聞いている。個人の武力において最強を誇り、教会の闇の仕事を一手に引き受ける特殊部隊。ヴァルガスのような三流や、クレドのような指揮官タイプとはわけが違う。対人戦闘に特化した、殺戮マシーンたちだ。


 そんな連中が投入されれば、今のカイたちに勝ち目はない。ましてやカイは、先の戦いで片腕を失い、満身創痍のはずだ。


(知らせないと。……いや、それだけじゃない)


 ルカは、懐から小さなメモ帳を取り出した。そこには、彼がこの数ヶ月で集めた、カイに関する断片的な情報が記されている。『物理』、『ねじ』、『元素周期表』。カイがもたらしたという、異世界の知識。


「……あんな面白い知識を持った『生きた稀書(レア・テキスト)』を、みすみす教会の標本にさせるわけにはいかないよ」


 ルカは音もなく梁の上を移動し、通気口へと滑り込んだ。急がなければならない。エクリプスが出撃準備を整える前に、この情報を『ハビタ・ゼロ』へ届けなければ。






 『聖譜監獄』の外れ、廃棄された資材置き場。教会の厳重な結界の隙間、魔力的な監視の死角となるこの場所だけが、ルカが外部と通信できる唯一のポイントだった。


 ルカは懐から、一見するとただのガラス玉に見える通信機を取り出した。ソフィアが作った、特定の光の波長でのみ情報を伝達する魔導具だ。


「……こちらプリズム。応答せよ、シエロ」


 ガラス玉に微弱な魔力を流す。数秒のノイズの後、少年の頼りなげな声が返ってきた。


『……はい、こちらシエロです。……感度良好。プリズムさん、無事ですか?』


「ああ、今のところはね。……だが、悠長に挨拶している時間はない。緊急事態だ」


 ルカは早口でまくしたてた。聖帝の決定。カイの捕獲命令。そして、最精鋭部隊『エクリプス』の投入。


『エ、エクリプス……!?』


 通信の向こうで、シエロが息を呑む音が聞こえた。彼もその名の恐ろしさを知っているのだ。


『わ、分かりました。すぐにゲルハルトさんとソフィアさんに伝えます。……プリズム、貴方も気をつけて』


「僕の心配はいい。……それより、あの『新入り』に伝えてくれ」


 ルカは、ふと口元を緩めた。


「『君の持っている教科書の続き、僕も読ませてほしいから、死ぬなよ』ってね」


『……はい。必ず』


 通信が切れる。ガラス玉の光が消えた。ルカは空を見上げた。紫色の空には、不気味な亀裂が走っている。


「さて……」


 彼は再び法衣の襟を正し、眼鏡の位置を直した。書記官の仮面を被り直す。これより先は、敵の本拠地で、精鋭部隊の動向を探るという、綱渡りのような諜報戦が始まる。


「僕も仕事をしようか。……彼が世界を『解体』するための、最適な『光源(ライティング)』を用意するために」


 ルカの姿が、光の屈折の中に溶けて消える。嵐の前の静けさは終わりを告げた。地下のレジスタンスたちに、束の間の安息の終わりを告げる警鐘が、今まさに鳴らされようとしていた。

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