第34話 最大出力の聖譜
夜明け前の薄暗い空気が、異常な熱量によって歪み始めていた。スラムの広場を埋め尽くす黄金の騎士団。彼らは一歩も動かず、まるで石像のように静止している。だが、その沈黙こそが、これから始まる破壊の規模を雄弁に物語っていた。
「……来るぞ」
カイは、脂汗の滲む額を拭うことさえせず、眼前の光景を凝視した。数百人の騎士たちが掲げた杖の先端から、青白い光のラインが立ち昇っている。それらは空中で複雑に絡み合い、幾何学的な紋様を描きながら、広場の中央――一段高い場所に立つ指揮官、クレドへと吸い込まれていく。
キィィィィン……。
耳鳴りのような高周波音が、カイの鼓膜を震わせた。それは音ではない。大気中のエネルギー密度が臨界点を超え、空間そのものが悲鳴を上げている音だ。
「接続、完了」
クレドが、事務的な声で告げた。彼の黄金の鎧が、内側から溢れ出す光によって白熱し始めている。今の彼は、ただの指揮官ではない。数百人分の魔力を一手に引き受け、増幅し、放射するための「人間砲台」だ。
(デタラメな出力だ。ヴァルガスの時とは桁が違う)
カイの脳内で、危険信号が鳴り響く。以前戦ったヴァルガスは、自身の怒りに任せてエネルギーを暴走させていた。だからこそ、その隙間を突き、自壊させることができた。だが、クレドは違う。彼は数百人分のエネルギーを、氷のように冷徹な計算で制御している。無駄なロスがない。純粋な破壊力だけが、その杖の先に圧縮されている。
「カンレ」
クレドが指揮杖を、ゆっくりと水平に構えた。その切っ先は、正確にカイの心臓を――そしてその背後にあるスラム全体を指している。
「テラ……メロディア」
その言葉を合図に、数百の騎士が一斉に喉を震わせた。
「――――、――――、――――……!!」
それは、交響曲だった。個人の感情を排し、完全に同一の音程、同一のリズムで紡がれる、無機質な聖歌。その歌声が重なるたびに、クレドの杖先に集まった光の塊が、太陽の如き輝きと熱量を増していく。
ジリジリと、カイの肌が焼ける。直撃していないのに、輻射熱だけで皮膚が炭化しそうだ。地面の泥が一瞬で干上がり、ひび割れていく。
(……避けられない。俺の後ろに、あいつらがいる)
肌を刺す熱量が告げている。この出力は、地表を焼くだけでは飽き足らず、地下の空洞ごと溶解させるつもりだ。俺がここで退けば、地下のエルマたちは即死する。計算するまでもない。俺一人が「壁」になれば、助かるんだ。
物理的に防ぐ? 無理だ。どんな瓦礫を積んでも、この熱量の前では紙切れ同然に溶かされる。軌道を逸らす? 不可能だ。ヴァルガスの火球とは密度が違う。空気の流れを変えた程度では、この直進する光の柱は曲がらない。
なら、どうする。
(真正面から、解くしかない)
カイは、右手のプローブを握り直した。スラムのゴミ山から拾った鉄の棒に、変質した銀の針金を巻き付けただけの、無骨な道具。相手は、数百人の魔力が込められた戦略級魔法。こちらは、ガラクタで作った針金一本。
釣り合いなんて取れていない。だが、カイの瞳に宿る青白い光は、恐怖に揺らぐどころか、極限まで鋭利に研ぎ澄まされていた。
「来いよ。お前らの完璧な演奏、俺が台無しにしてやる」
カイは、足を肩幅に開き、腰を落とした。自分の魂を、極限まで「硬く」イメージする。外部からの干渉を一切受け付けない、完全なる絶縁体。それを、防御壁としてではなく、相手の魔法構造を食い破る「楔」として使う。
「プルガトリウム……エスト……ディエスイレッ!!」
クレドが杖を振り下ろした。瞬間、世界から音が消えた。
ドォォォォォォォォォォッ!!!!
轟音があとから追いかけてくる。クレドの杖から放たれたのは、火球などという生易しいものではなかった。それは、直径数メートルに及ぶ、白熱したプラズマの奔流。レーザーのように収束された熱の柱が、物理法則をねじ伏せながら、カイへと殺到する。
速い。思考する暇などない。
「デコンストラクションッ!!」
カイは咆哮と共に、右手のプローブを、迫りくる光の柱の中心へと突き出した。
ガギィィィィィン!!
衝撃が、カイの全身の骨を軋ませた。本来なら実体のないはずの熱や光が、圧倒的な密度によって物理的な質量を持って襲いかかってくる。まるで、高速で走る列車を、鉄の棒一本で受け止めたような重さ。
「ぐ、ぅぅぅぅ……ッ!!」
カイの足が、地面を削りながら後退する。靴底が摩擦熱で溶け、煙を上げる。プローブの先で、光の奔流が火花を散らしている。カイの絶縁体としての魂が、魔法のエネルギーを物理的に弾いているのだ。
だが、弾ききれない。
(重い……ッ! 構造が見えない……!)
これまでの魔法なら、どこかに結び目があった。酸素との結合点や、エネルギーの供給ライン。そこを突けば、魔法は霧散した。だが、この魔法には、隙間がない。数百人分の魔力が幾重にも編み込まれ、強固な一本のロープのように束ねられている。表面を削っても、すぐに内側から新しいエネルギーが湧き出してくる。
単純な力比べ。そして、出力差は歴然だ。
「無駄だ」
光の向こうで、クレドの冷徹な声が響いた。
「個人の力で、軍団の意志を受け止められるはずがない。その身ごと焦がれ、灰と化せ」
クレドが杖に込める力を強める。ゴォォッ! と熱線が太くなり、カイを飲み込もうとする。
「あ、つ……ッ!」
プローブを持つ右手が、熱で焼ける。巻かれた銀線が赤熱し、皮膚を焦がす。だが、離せない。離せば死ぬ。
(……クソッ、解析しろ! どこかに、必ず『定義』の穴があるはずだ!)
カイは、焼けるような痛みの中で、必死に目の前の現象を観察した。熱い。白い。眩しい。だが、これはただのエネルギーの塊じゃない。これは「情報」だ。数百人の人間が、「燃えろ」「滅べ」と念じた意志の集合体だ。
その意志を束ねているのは、誰だ? 目の前の指揮官、クレドだ。 彼が親機となり、数百の子機から吸い上げたエネルギーを統合し、一つの巨大な出力として放とうとしている。
なら、狙うべきは「炎」そのものではない。その炎の形を維持している「制御信号」だ。
(見えろ……! 燃焼の定義、熱量の分布、エネルギーのベクトル……!)
カイの知覚が、極限のストレス下で加速する。視界がモノクロに反転し、迫りくる熱線が、無数の光のラインの集合体として分解されていく。その中心。最も輝きが強く、最も密度が高い一点。そこに、クレドの意志が宿る「芯」がある。
(……あそこだ! あの『芯』を砕けば……!)
カイは、焼ける右腕に、残った全精力を注ぎ込んだ。防御ではない。攻撃だ。この光の濁流を遡り、発射源であるクレドの杖まで、俺の「拒絶」を叩き込む。
「ペネトラぇぇぇッ!!」
カイは、一歩前へ踏み込んだ。プローブの先端を、光の奔流の「芯」へとねじ込む。
キィィィィン……!
不快な金属音が響き渡る。カイのプローブが、魔法の構造に食い込んでいく手応えがあった。いける。このまま押し込めば、術式を内側から破裂させられる。
だが。
パキッ。
小さな、しかし致命的な音が、カイの耳元で響いた。
「……え?」
カイの手元。数ヶ月間、カイの魂を支え続け、数々の激戦を共にくぐり抜けてきた相棒。ガラクタの鉄棒と、変質した銀線で作ったプローブが。
あまりの熱量と負荷に耐えきれず、真ん中から砕け散った。
「……あ、……」
カイの思考が空白になる。物理的な支えを失ったカイの体勢が崩れる。目の前には、遮るものを失った白熱の奔流。
詰みだ。道具が壊れた。これ以上、干渉する手段はない。
「終わりだ、異端者」
クレドの無慈悲な宣告と共に、光の柱がカイを飲み込んだ。
熱い、と思う暇もなかった。視界が真っ白に染まり、全身の感覚が消失する。死んだ。そう思った。
だが。
(……いや。……まだだ)
意識の深淵。真っ白な虚無の中で、カイの「自我」だけが、燃え残った炭火のように燻っていた。
道具は壊れた。銀の針金も、鉄の棒もなくなった。だが、俺自身はまだここにいる。俺の魂――あちら側の世界で培った、何物とも混ざり合わない「孤独な殻」。それだけは、まだ砕けていない。
(思い出せ。ガレオスが言っていた。魔法は『歌』だと)
(歌なら。音なら。打ち消す方法があるはずだ)
カイの脳裏に、高校の物理室の記憶が蘇る。波の性質。波長。周波数。ある波に対して、正反対の形をした波――「逆位相」の波をぶつければどうなるか。
プラスとマイナス。山と谷。それらが重なった時、波は互いを打ち消し合い、ゼロになる。ノイズキャンセリングの原理。
(道具なんて、ただの安全装置だったんだ)
カイは、光の中で目を見開いた。プローブがあったから、俺は自分の魂を直接触れさせずに済んでいた。火傷しないように、手袋をして作業していたようなものだ。だが、手袋をしたままじゃ、本当に繊細な「音の調整」なんてできない。
クレドの放つ魔法は、完璧な「正位相」の波だ。なら、俺がやるべきことは、それを防ぐことじゃない。俺自身の魂を震わせて、完全に真逆の「逆位相」の波を作り出し、ぶつけることだ。
失敗すれば、魂ごと消滅する。だが、成功すれば。
「シレンティウム……」
カイの口から、掠れた声が漏れた。焼けるような熱波の中で、カイは右手を――何も持たない、ボロボロの素手を突き出した。
防御じゃない。攻撃でもない。ただ、世界を「凪」に戻すための、虚無の定義。
「無になれ」
カイの魂が、かつてない振幅で振動を始めた。それは悲鳴にも似た、しかし限りなく透明な、拒絶の波動だった。




