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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
漂流の産声

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第3話 審判の鉄槌

 その音は、慈悲を切り裂く鉄の宣告だった。


 脳幹を直接殴りつけるような不快な鐘の音が止んだ直後、あばら屋の粗末な扉が、内側から爆発したかのような衝撃と共に吹き飛んだ。蝶番が悲鳴を上げて千切れ、石造りの壁の一部が粉砕されて室内に飛び散る。土埃と、この世界の毒である紫色の霧が雪崩れ込んできた入り口に、威圧的な光を放つ金属の質感と、他者を踏みにじることに慣れきった傲慢な足音が響き渡った。


「……、……。……、……!!」


 低く、地を這うような冷徹な声。当然、その意味は分からない。だが、そこに込められた暴力的なまでの優越感と、獲物を追い詰めた猛獣のような愉悦は、解の肌を粟立たせるのに十分だった。


 埃が舞う入り口に立っていたのは、深紅の裏地を翻す重厚な銀の鎧を纏った男だった。彼の背後には、同じ意匠の鎧に身を固めた数名の部下らしき者たちが、無機質な彫像のように控えている。


 解の目には、その光景がこの世のものとは思えないほど異様に映った。彼らの鎧の表面には、まるで生き物のように蠢く複雑な幾何学紋様が絶えず青白く明滅し、わずかな放電現象のような音を周囲に撒き散らしている。


 本来なら、ファンタジー映画に出てくる騎士のように荘厳だと感じるべき場面かもしれない。だが、解の理系的な感性は、瞬時にその光景に対して生理的な嫌悪を告げていた。


(うるさい。眩しい。なんだ、あの光は?)


 解は、脂汗を流しながら目を細めた。彼らの鎧は、ただ立っているだけで周囲の大気を震わせ、不必要な熱と光を垂れ流している。威圧するため? 権威を示すため? そのためだけに、これだけのエネルギーをドブに捨てているのか。


(効率が悪すぎる。まるで、穴の空いたバケツで水を運んでいるようだ。アイドリングだけで燃料タンクを空にする気か?)


 解の硬化した魂が、騎士たちが放つ雑なエネルギーの波動に過敏に反応し、脳裏でバチバチと火花を散らす。この地の権力者が誇示する威厳は、解の感覚においては、整備不良のエンジン音を聞かされているような、ただのストレスでしかなかった。


「……ッ、……!!」


 老人が床に這いつくばり、額を土埃に擦り付けながら、掠れた声で必死に何かを請うている。言葉の意味は分からずとも、それが命乞いであり、無慈悲な搾取に対する絶望的な嘆願であることは、その震える背中を見れば明白だった。


 老人は震える手で、大切に隠し持っていたはずの小さな皮袋を差し出した。中には彼らが命を削り、紫の霧に肺を焼かれながら拾い集めた、あの発光する石の欠片が入っている。解が先ほど毒として拒絶した、あの不気味な不純物の塊だ。


 だが、銀鎧の男はその袋を無造作に蹴り飛ばした。散らばる淡い光の石を、男は一瞥だにせず、部屋の隅で身を竦ませる少女へと冷酷な視線を向けた。


「……、……。……、……!!」


 男が顎で冷淡に指示を出すと、部下の一人が少女の細い腕を乱暴に掴んだ。少女は、煤で汚れた細い指を震わせ、必死に床を掻いた。彼女の細い爪が石の床を立てる不快な音が、解の脳を逆なでする。彼女が解の方へ向かって、助けを求めるように震える手を伸ばした。


 つい先ほど。自分がこの世界を拒絶し、のたうち回っているときに、毒でしかない水を、それでも自分を案じて差し出してくれた少女。言葉も通じない、この世界の理屈ルールからも外れた自分を見捨てなかった唯一の存在が、今、目の前で「燃料」か何かのように引きずられていく。


 解の視界が、怒りと共に赤く染まった。同時に、彼を支配していた倦怠感が、極限まで圧縮された魂の「硬さ」によって、鋭利な刃のような集中力へと変貌していく。


(……ふざけるな。何が納税だ。何が規律だ)


 ただの強盗じゃないか。弱い者から搾取し、石ころ一つ、命一つまで根こそぎ奪っていく。理不尽にも程がある。この世界のシステムは、根本的な部分で設計が狂っている。


 解は、震える脚に力を込め、壁に寄りかかりながらも無理やり立ち上がった。その異様な風体――汚れた日本の高校の制服を纏い、エネルギーを全く感じさせない「虚無」のような、だが密度だけが異常に高い気配を放つ解に、銀鎧の男が初めて怪訝な視線を向けた。


「……? ……、……」


 男の言葉に含まれた侮蔑は、解の耳には届かない。だが、その男が解を指差し、歪んだ嘲笑を浮かべた瞬間。男の指先が、解の胸元に向けられた。


「……イグ・ニス……!!」


 男が紡ぐ、短く、しかし厳格な響きを持つ言葉。その瞬間、解の視界には、男の周りで生じている現象が、極めて脆い積み木のように分解されていく様子がスローモーションのように映し出された。


 男の指先に、赤い光が集束していく。周囲の空気が渦を巻き、強制的に振動させられ、熱が発生する。


(……長い)


 解の思考が加速する。


(長いんだよ、そのプロセスが。火を生むために……空気を揺らし、光を散らし、仰々しい言葉で世界にお願いをする? 違う。そんなのは火の正体じゃない)


 解の目には、男の指先に集積し、真っ赤に膨らみ始めた火球が、不安定な不純物の結合体に見えていた。それは燃焼という理科の教科書に載っているような当たり前の現象を維持するために、周囲から無理やり酸素を吸い込み、魂のエネルギーを不器用な薪として注ぎ込もうとしている。


(それはただ、世界にそういう現象を起こせと下手に出て頼み込んでいるだけだ。火を起こしたいなら、もっと単純な条件があるはずだ。余計な飾りが多すぎるんだよ)


 男の指先にある火球が、今にも弾けようとしている。直撃すれば、解の体など消し炭になるだろう。だが、今の解に見えているのは死の恐怖ではなかった。計算式の誤りだった。


(水から不純物を『ろ過』する、あの時のイメージ。それを今、こいつの『命令』に割り込ませる)


 解は、学校の授業で学んだ、最も単純で、最も強力な「消火」の理屈を思い浮かべた。燃焼の三要素。可燃物。熱源。そして、酸素。その一つを、この世界の法則から強引に引き剥がせば、現象は形を保てなくなる。


 解は、この地の詠唱など知らなかった。知る必要もなかった。ただ、自分の内側にある硬い魂を、目に見えない手のように伸ばした。日本の放課後の教室、あの静かな凪の中で、自分という形を保つためだけに凝り固まった、極限まで硬い魂の殻。それを、男が作り出そうとしている火の塊の中心へと、杭のように打ち込む。


(繊細な作業じゃない。錆びついたボルトを、ペンチで無理やりねじ切るような感触――そこだ……切り離せ。その酸素と熱の結合を、力ずくでバラバラにしろ!)


ガリガリッ!!


 解の脳内で、世界の(ルール)を無理やりへし折るような、耳障りで粗暴な音がした。解の魂という絶縁体が、男が繋ぎ合わせようとした酸素とエネルギーのパイプラインの間に割り込み、文字通り物理的に遮断したのだ。

 

瞬間。


シュン……。


 スピーカーの電源を突然落としたときのような、あるいは、張り詰めた糸をハサミで切ったときのような、あまりに虚しい音が響いた。


 男の指先で真っ赤に燃え上がり、今にも解を焼き尽くそうとしていた火球は、爆発することも、火花を散らすこともなく、まるでもともと存在しなかったかのように、音もなく霧散した。燃焼の定義を失ったエネルギーが、行き場を失って空気に溶けていく。


 後に残ったのは、熱量さえ失われた、冷たい沈黙だけだった。


「……ッ、……!? ……!!」


 男が、自分の指先を何度も見つめ、信じられないという表情で凍りついた。この世界において、動き出したはずの「奇跡」が、途中で「消音」することはあり得ない。それは絶対的な法則が、目の前で「なかったこと」にされたに等しい。男たちの鎧の光が激しく明滅し、彼らの狼狽を物語っている。


 解は、鼻からツーッと一筋の重い血を流しながらも、膝を突くことなく男を睨み返した。鼻血だけじゃない。視界の端が砂嵐のようにチカチカと点滅し、指先の感覚が完全に消失している。あの一瞬の干渉だけで、解の魂という貯金は半分以上使い果たしたような感覚があった。脳を直接焼かれるような激痛が全身を襲い、意識を削っていく。


(……成功だ。この世界の魔法はあまりに脆い。不自然な()()で固めているだけだ)


 解の瞳には、もはや怯える高校生の影はなかった。不自然な現象を止め、歪んだ法則を力ずくで正常に戻す、冷徹な修復者の光が宿っていた。


「……、……? ……!!」


 男たちの喉の奥で、怒号が凍りついた。剣の柄に手をかけようとした兵士の指が、痙攣したように止まる。未知への恐怖。理解不能な現象への畏怖。それが、彼らの足を床に縫い付けていた。


 解は、自分の震える指先に意識を集中させた。先ほどの干渉で、彼は確信したのだ。


 俺の魂は、この世界に何かを「作る」ことはできない。祈って何かを願うなんて、俺の性分じゃない。だが、この歪んだ世界の「理」を、根底から「バラバラにする」ことならできる。


 解は、息を呑んで後ずさり始めた騎士たちを、静かに見据えた。あばら屋の中に、日本の放課後の、あの冷たくて静かな「真空」が、わずかに染み出していた。その静寂は、男たちの鎧が発していた不快な音さえも、冷たく、無慈悲に飲み込んでいった。


 それが、この世界に対する反逆の狼煙のろしであり、死に至る「凪」であることを、目の前の男たちはまだ知らない。


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