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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
審判の鉄槌

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第29話 浄化の火種

 スラムの入り口を埋め尽くした泥沼は、沈黙していた。先ほどまでそこで繰り広げられていた一方的な解体作業の余韻が、重苦しい熱となって燻っている。泥に半身を埋め、関節部分の回路を焼き切られた十数名の先遣隊は、もはやピクリとも動かない。彼らは死んではいないが、鎧という名の駆動システムを失い、ただの重たい鉄塊と化していた。


「……はぁ、……はぁ……」


 カイは、瓦礫の山の上で膝をつき、荒い息を整えていた。右手のプローブから伝わる熱が、冷えた指先をジンジンと痺れさせている。勝った。初戦は完勝だ。こちらの損害はゼロ。相手は全滅。戦術的にはこれ以上ない成果だと言えるだろう。


 だが、カイの背筋を走る悪寒は、勝利の瞬間から少しも消えていなかった。むしろ、目の前の光景が、その悪寒をより濃密で、得体の知れない恐怖へと変えていく。


ズゥゥゥン、ズゥゥゥン……。


 地響きが近づいてくる。スラムのさらに向こう、丘の上で待機していた「黄金の波」が、ついに動き出したのだ。先遣隊の銀色の鎧とは違う。夕日を反射してギラギラと輝く黄金の重装甲。その数は百、いや二百か。個々の顔など見分けがつかない。全員が同じ無機質な仮面をつけ、同じ歩幅で、一つの巨大な生き物のように進軍してくる。


 彼らは、泥沼に沈黙する先遣隊の目前まで迫ると、ピタリと足を止めた。


「……来るぞ。構えろ」


 カイは、背後に隠れるガレオスと住人たちに声をかけた。当然、怒り狂って突撃してくると思っていた。仲間がこんな無様な目に遭わされたのだ。人間なら、激昂するか、あるいは動揺して足を止めるはずだ。


 だが、黄金の騎士たちは動かなかった。彼らは沈黙したまま、泥に埋もれた同胞たちを見下ろしている。その様子は、戦死者を悼んでいるようにも、敵への憎しみを募らせているようにも見えなかった。ただ、事務的に障害物を確認しているような、冷徹な視線。


「エラー個体、確認」


 先頭に立つ騎士の一人が、抑揚のない声で呟いた。その声が、静まり返ったスラムによく通った。


「汚染度、規定値を超過。聖譜(スコア)への再接続、不可能」


 泥の中でもがく先遣隊の一人が、仲間の姿を見て、すがるように手を伸ばした。


「……救助を……。……システム……再起動……を……」


 助けを求めている。当然だ。彼らはまだ生きている。鎧が動かないだけで、中身は生身の人間だ。だが、黄金の騎士は、助けを求めるその手を見ても、身じろぎ一つしなかった。


「浄化プロセスに支障あり。排除する」


 騎士が、黄金の指揮杖を振った。瞬間、後列の兵士たちが一斉に長槍を構え――躊躇なく、泥沼の同胞たちへと突き出した。


ドスッ、ドスッ、ドスッ!!


 肉を穿つ鈍い音が、連続して響いた。断末魔の悲鳴さえ上がらなかった。あまりにも事務的で、あまりにも正確な「処分」だったからだ。


「……な、……?」


 カイの思考が凍りついた。殺した? 仲間を? 敵である俺たちが殺したんじゃない。味方が、動けなくなった味方を、まるで壊れた部品を廃棄するように処分したのか?


「……あり得ない……。……兄弟を……?」


 ガレオスが、信じられないものを見る目で震えている。スラムの住人たちも、恐怖で悲鳴を上げてパニックになりかけていた。彼らにとって、騎士とは恐ろしい存在だが、それでも「人間」のはずだった。怒り、笑い、欲望を持つ人間だと。だが、目の前にあるのは違う。


(……こいつらは、軍隊じゃない)


 カイの脳裏に、かつてヴァルガスと戦った時の記憶が過ぎる。あの小悪党は、歪んではいたが人間臭かった。怒り、怯え、保身に走る、分かりやすい敵だった。だが、こいつらは違う。


(システムだ。バグが出たら切り捨てる。エラーが出たら削除する。ただそれだけのプログラムで動く、自動機械だ)


 処分を終えた黄金の騎士たちは、仲間の死体を泥沼ごとおもむろに踏みつけ、その背中を「足場」にして前進を再開した。泥沼トラップは、死体によって埋め立てられ、物理的に無効化されたのだ。


「進軍再開。ブロック・アルファ、浄化を開始する」


 感情のない宣言と共に、騎士たちが杖を掲げた。その先端に、赤黒い光が集束する。魔法などという神秘的なものではない。それは単なる「焼却機能」の起動だった。


ボォォォォォッ!!


 数十本の杖から、一斉に炎が放たれた。狙いはカイたちではない。スラムの入り口付近に建ち並ぶ、無人のあばら屋だ。乾燥しきった廃材の家屋は、瞬く間に紅蓮の炎に包まれた。


「家が!! 俺たちの家が!!」


 住人の男が叫び、飛び出そうとする。カイは慌ててその肩を掴んで引き止めた。


「行くな! 死ぬぞ!」


「離せ! あの中には、俺の商売道具が……!」


「命より大事な道具なんてないッ!!」


 カイは男を怒鳴りつけ、瓦礫の陰に押し戻した。目の前で、住人たちの生活の場が、思い出が、ただの「燃えるゴミ」として処理されていく。騎士たちは、中に人がいようがいまいが確認さえしない。地図上の区画を塗りつぶすように、淡々と、効率的に焼き払っていく。


 これが、「浄化」。彼らにとって、このスラムは人間が住む街ではない。システムのエラーを起こした汚染区域であり、消毒すべき「シミ」に過ぎないのだ。


(……ふざけるなよ)


 カイの胸の奥で、冷たい怒りが沸騰した。仲間を殺し、家を焼き、それを正義だの神の意志だのとほざく。そんな理屈が通ってたまるか。


「ガレオス。エルマを連れて下がってろ」


 カイは、低く告げた。


「カイ……? 何をする気だ」


「消火作業だ」


 カイは、炎が燃え広がる最前線へと走り出した。正面から戦えば数で押し潰される。だが、彼らの目的が「焼き払うこと」なら、その現象を止めることはできる。


 カイは、燃え盛る一軒の家の前に滑り込んだ。熱い。皮膚がチリチリと焼ける感覚。だが、カイの目は炎そのものではなく、その炎を維持している「構造」を見ていた。


(ただの酸化反応だ。魔法で着火しても、燃え続けるには酸素がいる!)


 カイは、左手を炎の中心にかざした。イメージするのは、真空パック。燃焼している空間から、酸素という名の供給源を物理的に遮断する。


ヴァクア(真空)ッ!!」


 カイの「解体」の波動が、炎の周囲の空気を弾き飛ばした。シュッ、という音がして、勢いよく燃え上がっていた炎が一瞬で萎み、黒い煙を上げて鎮火する。


「ターゲット、反応。アイテール反応、消失」


 近くにいた騎士が、炎を消したカイに気づき、機械的に反応した。驚きはない。「計測結果がゼロになった」という事実を淡々と処理しただけの反応だ。


「排除」


 三人の騎士が、杖を剣に持ち替え、カイに向かってくる。速い。だが、その動きはあまりに教科書通りだ。


(……見える!)


 カイは、踏み込んできた騎士の足元に、転がっていた空き缶を蹴りつけた。カラン、という音に反応し、騎士の視線が一瞬だけ下を向く。その隙に、カイは懐へ飛び込んだ。


「『聖典カノン』通りにしか動けないのが、お前らの弱点だ!」


 カイの右手のプローブが、騎士の脇腹――装甲の継ぎ目へと突き刺さる。


デタッチ(切断)ッ!!」


 バチィッ!! 青白いスパークと共に、騎士の鎧の制御が落ちる。数百キロの鉄塊となった騎士は、その場に膝から崩れ落ちた。


 一人倒した。だが、残り二人が止まらない。左右から同時に斬りかかってくる。


(……くそっ、連携かよ!)


 カイは泥にまみれながら後方へ転がった。剣先が鼻先をかすめる。起き上がろうとした瞬間、頭上から熱波が襲った。背後にいた別の部隊が、カイに向けて容赦なく火炎魔法を放ってきたのだ。味方が近くにいようがお構いなしだ。


「……ッ!?」


 カイはとっさに近くのトタン板を引き剥がし、盾にした。ゴォォォォォッ!!  炎がトタン板を舐め、熱が裏側まで伝わってくる。熱い。手が焼ける。


(……これが、戦争か)


 ヴァルガスとの喧嘩とは違う。個人の力量や駆け引きが入る余地がない。ただ圧倒的な「物量」と「火力」で、面制圧してくる。一箇所を消火しても、隣で二箇所が燃やされる。一人を倒しても、後ろから三人かかってくる。


 これじゃ、ジリ貧だ。


「カイ!!」


 悲鳴のような声が聞こえた。エルマだ。彼女が隠れていた瓦礫の山のすぐ近くにも、火の手が上がっている。


「……ちっ、あそこもか!」


 カイはトタン板を投げ捨て、エルマの方へ走ろうとした。だが、その進路を塞ぐように、黄金の騎士たちが壁を作った。


「障害物、排除」


 五人の騎士が、同時に杖を掲げる。彼らの背後、スラムの入り口には、まだ百人以上の「予備戦力」が控えている。絶望的な数の差。


 カイは足を止めた。息が切れる。右腕の感覚がない。左手も痺れている。物理法則を知っていても、それを実行するリソースが足りない。


(どうする。このままじゃ、押し切られる)


 その時。騎士たちの列が、海が割れるように左右に開いた。その奥から、一人の騎士がゆっくりと歩み出てきた。


 他の騎士たちとは違う。黄金の鎧に、さらに豪奢な装飾が施され、背中には深紅のマントを羽織っている。手には剣ではなく、長い指揮杖を持っている。


「停止」


 その男が短く呟くと、騎士たちの動きがピタリと止まった。燃え盛る炎の音だけが、場違いに響き渡る。男は、無機質な仮面越しに、カイをじっと見下ろした。


「報告にあった『エラー個体』か」


 その声は、驚くほど冷静で、理知的で、そして冷酷だった。


「お前が、こいつらの指揮官か」


 カイは油断なくプローブを構えたまま聞いた。男は頷きもしない。


「聖騎士団第七浄化中隊、指揮官クレド。我々の聖務を妨害する『異物』に対し、最終通告を行う」


 クレドと名乗った男は、指揮杖をカイに向けた。


「直ちに降伏せよ。さもなくば、このブロック全域を『焼却処分』とする」


「断る」


 カイは即答した。


「お前らの言う『浄化』が、ただの虐殺だってことはバレてるんだよ。仲間まで平気で殺す連中に、投降するバカがいるか」


 カイの言葉に、クレドは仮面の奥でわずかに目を細めたようだった。


「仲間? 違うな」


 クレドは、足元に転がっていた、先ほど処分された先遣隊の死体を、無造作に踏みつけた。


「これは『部品』だ。機能しなくなった部品を交換したに過ぎない」


「……何だと?」


「個などというものは、大いなる調和における不協和音だ。世界を維持するためには、規格外は排除されねばならない。それが『教義(カノン)』だ」


 クレドの言葉には、狂信的な熱狂はなかった。ただ、数式を読み上げるような、絶対的な確信だけがあった。彼は本気で信じているのだ。人間は部品であり、世界というシステムを維持するためなら、いくらでも交換可能だと。


(話が通じないわけだ)


 ヴァルガスは自分の欲望のために動いていた。だから付け入る隙があった。だが、こいつは違う。こいつは「正義」のために、顔色ひとつ変えずに虐殺を行える。一番厄介な種類の敵だ。


「交渉決裂だな」


 クレドが杖を掲げた。


「総員、聖譜(スコア)接続。『合唱(コーラス)』を開始する」


 その言葉と共に、周囲の騎士たちが一斉に同じポーズをとった。杖を天に掲げ、微動だにしない。そして、低い唸りのような詠唱が始まった。


「――――、――――、――――……」


 一人ではない。数十人の声が、完全に同期して重なり合う。空気が震える。スラムの上空に漂っていた黒い点が、それに呼応して激しく明滅し始めた。


 カイの肌が、ピリピリと粟立った。これは、まずい。今までの単発の魔法とは、桁が違う。


(エネルギー密度が、跳ね上がっていく……!)


 個人の魔力じゃない。数十人分の魔力を、指揮官であるクレドが中心となって束ね、一つの巨大な術式として編み上げている。それはもはや、個人の「解体」でどうにかできるレベルを超えていた。


「来るぞ!! 全員、伏せろ!!」

 

カイが叫ぶ。クレドの指揮杖が、処刑の合図のように振り下ろされようとしていた。

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