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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
審判の鉄槌

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第27話:境界の杭

 その宣告は、戦闘の開始というよりは、事務的な処理の始まりを告げるシステム音のようだった。


「ターゲット、捕捉」


 スラムの入り口を埋め尽くす黄金の軍勢。その先頭に立つ指揮官が、兜の奥で青い光を明滅させながらそう告げた瞬間、上空の空気が変わった。


 カイは反射的に空を見上げた。先ほど視認した、空に浮かぶ無数の黒い点。カイはそれを教会の使い魔、監視カメラのようなものだと推測していた。だが、それは甘かった。指揮官の言葉に呼応するように、黒い点が一斉に高度を下げ、スラムの上空で複雑な幾何学模様を描き始めたのだ。


ブォン、ブォン、ブォン……。


 黒い点の一つ一つから、見えない波長が放たれている。カイの絶縁体としての肌が、ピリピリとした不快な電波障害のような感覚を捉える。


(監視だけじゃない。あれは『照準機』だ!)


 カイが叫ぼうとしたのと同時だった。軍団の中から、数名の工兵とおぼしき重装歩兵が前に進み出た。彼らが抱えているのは、身の丈ほどもある巨大な黒い金属柱。


ドォォォォン!!


 彼らは迷いなく、スラムを取り囲む四方の地面に、巨大な黒い金属柱を打ち込んだ。地面が悲鳴を上げるような震動。打ち込まれた柱が共鳴し、不気味な紫色の光の壁が立ち昇る。


「……ガレオス。あいつら、何を打ち込んだ?」

 

 カイが尋ねると、ガレオスは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


「境界の杭だ」


「境界?」


「浄化の準備だ。あれで囲まれた土地は、外界から隔離される」




「境界、固定」

 

 指揮官の声が、拡声器を使ったかのようにスラム全域に響き渡った。


「これより、浄化プロセスへ移行する。慈悲はない。抵抗は無意味である。ただ静粛に、灰へと還れ」


 逃げ場が消えた。物理的な壁ではない。空間そのものを断絶させるエネルギーの檻だ。スラムの住人たちがパニックを起こして逃げ惑う。「結界だ!」「閉じ込められた!」という絶望的な叫びがこだまする。光の壁に触れた瓦礫が、ジュッという音を立てて瞬時に消滅するのを見て、彼らは押し黙り、中心部へと後ずさった。


「……徹底してるな」


 カイは舌打ちし、プローブを握り直した。ヴァルガスの時のような「夜明けまでの猶予」などない。彼らにとって、ここはすでに「掃除すべきゴミ箱」であり、今はその蓋を閉じた段階なのだ。あとは中身を燃やすだけ。


「カイ。どうしよう……?」


 背後で、エルマが震える声で問いかけてくる。ガレオスも青ざめた顔で、光の壁を見つめている。カイは深呼吸をした。恐怖はある。足も震えている。だが、状況が詰みに近づくにつれて、逆に思考は冷え冷えと冴え渡っていく。


(焦るな。分析しろ。あいつらは『手順』通りに動いている)


 杭を打ち、囲い込み、宣言する。その一挙手一投足があまりに整然としすぎている。それは彼らが個人の判断ではなく、マニュアルに従って動くシステムの一部であることを証明していた。システムであるならば、必ず入力と出力の間にタイムラグがある。そして、想定外の入力には弱いはずだ。


「ガレオス。住人たちを広場の真ん中じゃなく、建物の影に誘導しろ。空からの『視線』を切るんだ」


 カイは上空の黒い点を指差した。


「あいつらは、あの黒い点で狙いをつけている。見えなければ、広範囲の魔法は撃てないはずだ」


「分かった」


 ガレオスが頷き、住人たちへ指示を出しに走る。カイは、あばら屋の屋根に飛び乗り、パニックに陥る住人たちに向かって声を張り上げた。今の彼らに必要なのは流暢な説得ではなく、明確な「指示」だ。


「壁に触るな! 死ぬぞ!」 「家に隠れろ! 空を見るな!」


 住人たちが足を止め、カイを見上げる。異端者への恐怖。だが、それ以上に「生き残るための道」を示してくれる存在への渇望。


「……戦うんだよ」


 カイは、自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「正面からぶつかるんじゃない。この地形を利用する。あいつらの『完璧な行軍』ができない泥沼に引きずり込む」


 その時、軍団の一部が動いた。結界の一部がゲートのように開き、そこから数名の騎士が侵入してきたのだ。主力部隊ではない。軽装の、偵察と先導を兼ねた「掃除屋」たちだ。彼らは手に、火炎放射器のような形状の杖を持っている。


「浄化開始」


 先頭の騎士が杖を振るう。ボォォォッ!! 杖の先から放たれた炎が、手近な小屋を一瞬で火だるまにした。中に人がいたかどうかなど、確認さえしない。ただ事務的に、地図上の障害物を消去していく作業。


「うわぁぁぁッ!?」


 逃げ遅れた男が、炎に巻かれて転がり出てくる。騎士は眉一つ動かさず、追撃の炎を放とうとした。


「させるかよッ!」


 カイは屋根から飛び降りた。走る。思考する。計算する。距離、二十メートル。炎の規模、中程度。酸素濃度、通常。


(酸化反応の遮断。対象、燃焼の供給源!)


 カイは、炎に焼かれる男の元へ滑り込むと同時に、左手をかざした。魔法を消すのではない。炎が燃え広がるための「道」を塞ぐ。


ヴァクア(真空)


 カイがイメージしたのは、男の周囲の空気を一瞬だけ弾き飛ばす「空白」。シュッ! 音が消え、炎が酸欠を起こしてかき消える。


「ゲホッ、ガハッ……!」


 男は咳き込みながらも、軽い火傷だけで済んだようだ。カイは男の襟首を掴んで引きずり、瓦礫の陰へと放り投げた。


「下がれ。丸焼きになりたいのか」


 吐き捨てる。男は涙目で何度も頷き、這うようにして逃げていった。


 カイは立ち上がり、侵入してきた騎士たちと対峙した。偵察部隊は三人。全員が同じ無機質な仮面のような兜をつけている。彼らの視線が、一斉にカイに向けられる。


「ターゲット、確認」

 

 中央の騎士が、機械的に呟いた。


「エラー個体、排除対象」


 エラー個体。それが、彼らにとってのカイの認識番号らしい。騎士たちが、一糸乱れぬ動作で剣を抜いた。カシャン。その音さえも、完全に同期している。


(……気味が悪いな)


 カイは右手のプローブを構えた。ヴァルガスの時のような、個人の怒りや慢心は一切感じられない。彼らからは「感情」というノイズが完全に排除されている。ただ任務を遂行するためだけに最適化された、生きた自動人形。


「排除する」


 合図もなく、三人が同時に動き出した。速い。身体強化の魔法が、常時最適化されている。右の騎士が退路を塞ぎ、左の騎士が牽制し、中央の騎士が止めを刺しに来る。完璧な連携。


(見えてるぞ!)


 カイの感覚が鋭敏化する。死線が、脳内で白い軌道として描かれる。まともに受ければ死ぬ。だが、彼らの動きはあまりに正確すぎる。教科書通りの行軍。だからこそ、足元の前提条件が変われば、脆い。


 カイは、踏み込んできた中央の騎士の足元を見た。そこにあるのは、まだ乾いていない泥。


「ガレオス!」


 カイが叫ぶと同時に、物陰から老人の声が響いた。以前なら長々と神への祈りを捧げていたはずの詠唱は、カイとの特訓により、必要な「定義」だけを残して極限まで圧縮されていた。


テラ(大地)……ムタ(変化)!」


 ガレオスの魔法は「土壌軟化」。本来は畑を耕すための微弱な生活魔法だ。だが、カイの科学知識で無駄を削ぎ落とされたそれは、即座に物理現象を引き起こす凶悪なトラップへと変貌していた。地面の水分量を局所的に操作し、摩擦係数をゼロに近づける「液状化」。


ツルッ。


 騎士の軸足が、不自然に滑った。踏ん張りが効かなくなり、振り下ろされた剣の軌道がわずかにズレる。


ドォォン!!


 剣はカイの肩の横を通り過ぎ、地面を砕いた。その硬直。


デタッチ(切断)ッ!!」

 

 カイは踏み込み、騎士の無防備になった脇腹――鎧の継ぎ目へ、プローブを突き刺した。バチィィッ!! 絶縁体の魂が、鎧の魔力回路をショートさせる。


「……!?」


 騎士が初めて声を漏らし、膝をついた。機能停止。


 だが、残りの二人は動揺しなかった。仲間が倒れたことなど、最初から計算に入っていたかのように、倒れた仲間の背中を踏み台にして、次の一撃を放ってきたのだ。


「……なッ!?」


 カイは目を見開いた。個の命よりも、任務の遂行を優先する。仲間を単なる「障害物」あるいは「足場」として処理する冷徹さ。


(こいつら、本当に人間か?)


 カイは、泥にまみれながら転がって回避した。起き上がると、残った二人の騎士が、倒れた仲間を放置して、無機質に距離を詰めてくる。倒れた騎士も、うめき声一つ上げず、壊れた機械のように沈黙している。


 これが、聖騎士団。個を捨て、全体が一つのシステムとして機能する軍隊。


 カイは、プローブを構え直した。汗が目に入る。勝てるのか? こんな連中が、外にはあと数百人も控えている。しかも、上空からは使い魔が常に狙っている。


「……やるしかないだろ」


 カイは、恐怖で震える足を叱咤した。ここで俺が引けば、後ろにいるエルマたちが死ぬ。それに、あいつらの完璧な行軍にも、きっと穴はあるはずだ。どんなに精巧な機構にも、必ず構造的な『欠陥』があるように。


「さあ、『証明』の時間だ」


 カイは、迫りくる白銀の処刑人たちを見据え、不敵に笑った。スラムという名の死地で、生存をかけた「抵抗」が幕を開ける。

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