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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
偽りの聖譜

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第14話 招かれざる客

 決意の熱が、頭から浴びせられた冷水によって、一瞬で凍りつくような衝撃だった。


 カイが木炭で汚れた拳を握りしめ、窓の外を睨みつけたその瞬間。あばら屋の粗末な木扉が、蝶番のきしむ悲鳴と共に内側へと弾け飛んだ。


「――ッ!?」


 物理的な爆発ではない。扉を蹴破ったのは、圧縮された空気の塊――衝撃のベクトルだ。舞い上がる土埃と、砕けた木片。それらが紫色の霧と混ざり合い、視界を塞ぐ。だが、その埃の向こうから響いてくる足音だけは、カイの鼓膜にへばりつくように鮮明だった。


ザッ、ザッ、ザッ。


 重厚な金属の擦れる音。そして、我が物顔で他者の領域を踏み荒らす、傲慢なリズム。埃が晴れる。そこに立っていたのは、深紅の裏地を翻し、鈍い銀色の輝きを放つ全身鎧を纏った男だった。


「……ヒック(ここ)……か」


 男が、バイザーの奥から低い声を漏らした。言葉は分からない。だが、その声色には、ドブ川を覗き込むような侮蔑と、獲物を追い詰めた狩人の愉悦が混ざり合っていることだけは理解できた。


 見覚えがある。いや、忘れようがない。数日前、この世界に来たばかりのカイを襲った、あの徴税騎士だ。ガレオスが必死に集めた石を踏みにじり、エルマをモノのように連れ去ろうとした、あの男だ。


 彼の背後には、同じ意匠の鎧を着た兵士が四名、無機質な彫像のように控えている。彼らの鎧の表面には、青白い光の幾何学模様が脈動し、空間そのものを圧迫するような不快な重低音を放っていた。


「……、……あ……!」


 ガレオスが、引きつった声を上げた。彼はカイを背に隠すように前へ出たが、その背中は小刻みに震えている。


「……ヴァ・ル・ガ・ス(ヴァルガス)、……ド・ミ・ヌ・ス()……」


 ヴァルガス。それがこいつの名前か。カイは、その音を敵の識別タグとして脳に刻んだ。スラムの住人が恐れ、ガレオスでさえ直立不動になる権威の象徴。


 ヴァルガスはガレオスを一瞥もしない。彼は、鉄の手甲に覆われた手で、持っていた「何か」を無造作に放り投げた。


 ガシャン、と硬質な音がして、それが石の床を滑り、カイの足元で止まる。


「……あ」


 カイの呼吸が止まった。足元に転がったそれ。泥と煤で汚れてはいるが、見間違えるはずがない。艶のあるエナメル質の青い生地。銀色のファスナー。あちら側の世界で、毎日肩にかけていた、カイの通学鞄だった。


 スラムの腐敗臭の中に、微かに混じる革とナイロンの匂い。それは、部活帰りの汗の匂いや、チョークの粉の匂い、そして母親が作った弁当の匂いを想起させる、強烈な「日常の記憶」だった。


「……プ・ル・ガ・メン(ゴミ)……にしては、……ベ・ネ(良い)……」


 ヴァルガスが、カイの顔を見据え、歪んだ笑みを浮かべた。彼は足元に落ちた鞄を、汚らわしいものでも扱うように爪先で蹴り開けた。中から、数冊のノートと、厚みのある書籍がこぼれ落ちる。


 『物理』 表紙に書かれた、無機質な明朝体の日本語。この紫色の霧に満ちた世界にあって、その白い紙の束だけが、あまりに異質で、清潔で、そして残酷なまでに「場違い」だった。


「……エッ・チェ(見ろ)


 ヴァルガスは、こぼれ落ちた物理の教科書を指差した。ページが開かれ、運動方程式や放物線のグラフが露わになる。


「……、……。……ノン・カノン(聖典にない)……」


 ヴァルガスの言葉は断片的だ。だが、解の脳内で、いくつかの単語が既知の響きとしてフックした。


(ノン・カノン……?)


 ノンは否定。そしてカノン。音楽の授業で習った「カノン」か、それともゲームに出てくる「正典」という意味か。どちらにせよ、ヴァルガスは教科書の直線や数式を指差し、不快感を露わにしている。こいつは、この教科書を「この世界のルール(カノン)にないもの」として糾弾しているのだ。


 ヴァルガスの声が、熱を帯びる。彼は続けて、鞄の奥ポケットに入っていた黒い板――画面の割れたスマートフォンを取り出し、掲げてみせた。


「……、……。……、……」


 前半の単語は聞き取れない。だが、続く言葉は、解にとってあまりに馴染み深い響きだった。


「……ディア・ボ・ロ(悪魔)……レ・リ・ク・ア(遺物)……」


(……ディアボロ?)


 以前やり込んだゲームに出てきた、悪魔の名称。そして、レリクア。英語の『レリック』に近い響き。


「悪魔の、遺物……?」


 カイの口から、乾いた音が漏れた。意味が繋がった。こいつは、俺のスマホを「悪魔の遺物」と呼んでいる。


 それは魔導書でも、悪魔の道具でもない。ただの教科書だ。ただの通信機器だ。俺が、日本の高校生として生きてきた、退屈で、平和で、何よりも尊い日常の証明だ。それを、薄汚い手で触るな。異端などという、お前たちの勝手な定義で測るな。


「……レッ・デ(返せ)


 カイの口から、低い唸りが漏れた。ガレオスが使っていた「物を乞う時の言葉」を見様見真似で発音する。合っているかは分からない。だが、そこには明確な殺意がこもっていた。


 カイは一歩、前へ踏み出した。右腕の激痛など気にならない。今すぐあの男の鎧に触れ、そのエネルギーの結合部を物理的に引き剥がしてやる。あいつの魔法が「祈り」に基づいているなら、俺の「解体」で、その根底にあるエネルギー供給を断てばいい。


 だが、


「……カイ! ノ・リ(ダメだ)!」


 ガレオスの悲痛な叫び。それと同時だった。風を切る音と共に、鈍い銀色の閃光が走った。


「……え?」


 カイが息を飲んだ瞬間、視界の端で、小さな体が宙に浮いた。騎士の一人が、部屋の隅で震えていたエルマの襟首を掴み、乱暴に引きずり出したのだ。


「キャッ……!?」


 エルマが短い悲鳴を上げる。騎士は彼女をヴァルガスの足元へと放り投げ、即座に腰の剣を抜いた。冷たい金属の切っ先が、エルマの細い首筋に突きつけられる。


「……、……」


 エルマの喉が引きつり、声が出なくなる。剣先が皮膚を僅かに押し込み、一筋の赤い血が流れるのが見えた。


「……シ・ステ(止まれ)……。ヘ・レ・ティ・クス(異端者)……」


 ヴァルガスが、氷のような冷笑を浮かべ、カイを見た。システ。システム、あるいはステイ。制止の言葉か。そして、ヘレティクス。英語の「ヘレティック」――異端者。中世ファンタジーのゲームで、教会勢力が敵対者を呼ぶ時によく使われる言葉だ。


(なるほど。俺は認定済みってわけか)


 ヴァルガスは、氷のような冷笑を浮かべ、カイを見た。そして、自分の剣の柄を叩き、次にエルマの首を指差した。


「……グラ・ディ・ウス()……。……ノン・マ・ギ・ア(魔法ではない)

 グラディウス。これもゲームで知っている。「剣」だ。ノン・マギア。マギアはマジック。「魔法じゃない」。


 魔法ではない。その意味を悟った瞬間、カイの足が、床に縫い付けられたように止まった。


 魔法なら、「解体」できる。あのエネルギーで構成された現象なら、どんなに強大でも、その結び目を物理的に握りつぶせば消滅させられる。火も、風も、重力さえも、エネルギーの法則に従う限り、俺の手で干渉できる。


 だが、今突きつけられているのは、ただの剣だ。 鉄鉱石を精錬し、研ぎ澄ませただけの、鋭利な物質だ。


(くそ、計算しろ。距離、約3メートル。俺が踏み込むのに0.5秒。騎士が剣を引くのに0.1秒……)


 無理だ。俺の能力は、質量そのものを消すことはできない。剣のエネルギーとの結合を解くにしても、直接触れなければならない。遠距離から念じるだけで鉄が消えるような、都合のいい能力じゃないんだ。


 それに、相手は人間だ。魔法のように一定の法則で動く現象ではなく、悪意と殺意を持った、予測不可能な「個体」。俺が一歩でも動けば、あいつは迷わずエルマの喉を裂く。その確信が、カイの体を金縛りにした。


(……卑怯だろ、それは)


 カイは歯を食いしばり、拳を震わせた。ヴァルガスは、カイの無力さを楽しむように鼻を鳴らし、エルマの頭を鉄の靴底で踏みつけた。


「……う、ぐ……」


 ヴァルガスは、カイを見下ろしたまま、あばら屋の外、スラムの広場を指差した。 そこには、部下たちが杭を打ち、天幕のようなものを張り始めている。


「……カ・ス・トラ(陣地)……」


 聞き慣れない単語だ。だが、カストラという響きは、英語の「キャッスル」に近い気もする。彼らの行動を見れば意味は明白だ。あそこに陣を敷き、駐屯するつもりなのだ。


 続いて、ヴァルガスは空を指差した。東の空。太陽が昇る方角。


「……アウ・ロ・ラ(夜明け)……」


(……アウロラ?)


 それは知っている。神話に出てくる暁の女神、あるいは極地で見られる発光現象オーロラ。つまり、「夜明け」だ。


 そして、ヴァルガスは自分の首を親指で切る仕草をした。万国共通の、処刑のサイン。


「……エ・クセ・キ()ュー・ティ・オ()……」


 エクセキューティオ。 その響きは、英語の『エクスキューション』に似ている。


 夜明け。ジャッジ。そして、首を切る仕草。


(なるほど。翻訳するまでもない)


 意味は、痛いほど伝わった。『夜明けまでに来い。さもなくば、処刑する』。


 ヴァルガスは、足元のエルマを蹴り飛ばした。彼女は床を転がり、ガレオスの腕の中へと逃げ込む。ガレオスは孫娘を抱きしめ、必死に騎士たちを睨み返すが、その体は恐怖で震えていた。


 ヴァルガスは、カイの足元にある通学鞄を指差した。部下の騎士が、床に散らばった教科書とスマホを拾い上げ、嘲るようにカイに見せつけながら鞄に戻し、それを持ち去っていく。


 四人の騎士たちが、整然とした動きでその後ろに続く。彼らが去った後には、踏み荒らされた床と、再び訪れた絶望的な静寂だけが残されていた。


「……クソッ……!!」


 カイは、崩れ落ちるように床を殴った。拳から血が滲む。だが、痛みよりも、自分の無力さへの怒りが勝っていた。


 何も変わっていない。ただ、状況が悪化しただけだ。日常を取り戻すどころか、過去の象徴も、現在の守るべきものも、両方とも人質に取られたのだ。


 魔法を消せる力が何だ。世界を解体できる理屈が何だ。たかだかナイフ一本突きつけられただけで、指一本動かせないじゃないか。


「……カイ……」


 ガレオスが、エルマを抱きしめながら、苦しげな声で呼んだ。エルマの首筋からは、赤い血が滲んでいる。その鮮血の色が、カイの理性を焼き切るように視界に焼き付いた。


 窓の外では、ヴァルガスたちが広場に陣取り、住人たちを脅して食料を運ばせ始めている。スラムは完全に制圧された。夜明けまで、あと数時間。


 カイは、泥にまみれた自分の手を見つめた。黒く汚れた、何も持たない手。教科書も、スマホも、武器さえもない。


 だが、手ぶらだからこそ、掴めるものがあるはずだ。


(考えろ。感情で動くな。考えつづけろ)


 カイは深く、熱い息を吐き出した。怒りを冷やせ。殺意を研げ。あいつらは魔法に頼りきっている。だからこそ、その魔法を否定された途端、「最も原始的な暴力」「知性のない鉄塊」に逃げ込んだのだ。


 魔法ではない、ただの鉄の塊。皮肉なことだ。高尚な奇跡よりも、知性の欠片もないその質量の方が、今の俺にはどんな大魔法よりも重い「詰み」だなんて。


 だが、物理法則は剣よりも重い。


 あいつらの鎧。光り輝く紋様。そして、俺たちを見下していた傲慢な視線。その全てを観察し、構造を分解しろ。数時間あれば十分だ。あいつらの暴力を上回るための理屈を、俺が組み立ててやる。


 あばら屋の中に、重苦しい夜が降りてくる。それは反撃の狼煙ではなく、ただ一方的な断罪までのカウントダウンだった。しかし、その暗闇の中で、カイの瞳だけが、冷たく、青白く、静かに燃え始めていた。

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