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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
盲信の学舎

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第111話 搾取の供給線

 抜けるような青空の下、聖学都市ルキウムの中央広場は、数万人の熱気に包まれていた。


 白大理石で造られたすり鉢状の巨大な観客席は、身動きが取れないほどに市民や学生たちで埋め尽くされている。広場の中央には、青白い光を放つ巨大な石柱――結界石がいくつも円形に打ち込まれ、不可視の分厚い壁が闘技場のような空間を外側から完全に隔離していた。


 年に一度の大行事、『浄化の聖儀(プルガ・リチュアル)』。神の奇跡を目の当たりにできるこの日を、誰もが熱狂と興奮をもって待ち望んでいた。


「いやあ、すごい人だな……! ルキウム最大の祭典ってだけはあるぜ」


 一般観客席の中段で、テオが身を乗り出しながら感嘆の声を上げた。彼の目は、これから始まる儀式への期待でキラキラと輝いている。隣に座るセリアも、両手で祈るように指を組み、広場の中央をうっとりと見つめていた。


「ええ。これだけ多くの方々が、同じ場所に集まって一つの祈りを捧げるのよ。神様の恩寵が、きっとこの街の隅々まで行き渡るわ」


 純粋な信仰心に満ちた二人の会話。その背後で、カイは静かに息を吐き、革手袋で覆われた右手の義手を軽く握り込んだ。隣に座るソフィアも、穏やかな優等生の微笑みを顔に貼り付けながら、その黒い瞳の奥には冷徹な光を宿している。


ズゥゥゥン……。


 不意に、広場の地下深くから重い地鳴りが響いた。数万人のざわめきが、一瞬にして水を打ったように静まり返る。足元から伝わる振動が、観衆の心に本能的な恐怖を植え付ける。


「……来るぞ」


 テオが息を呑んだ。広場の中央、結界石に囲まれた石畳の一部が、まるで腐り落ちたように黒く変色し始めた。ドロドロとした粘り気のある紫色の汚泥が、石の隙間から間欠泉のように噴き出す。


 それは、カイが辺境の街で何度も目にしてきたものと同じだった。人々の非効率な祈りが生み出したエネルギーの燃えカス――『澱』だ。吹き出した紫色の泥は、瞬く間に巨大な塊となり、周囲の瓦礫や鉄屑を巻き込みながら、おぞましい異形へと姿を変えていく。


「オォォォォォォォォ……ッ!!」


 形を成した怪物が、耳をつんざくような咆哮を上げた。全高五メートルはあろうかという、醜悪な泥と瓦礫の巨人。その胸の奥では、赤黒い熱量の塊が不気味に脈打っている。結界の中に閉じ込められているとはいえ、その圧倒的な質量と暴力的な気配は、観客席にいるカイたちの肌をビリビリと粟立たせた。


「出たぞ、澱の化け物だ……!」 「ああ……神よ、我らをお守りください……!」


 観客たちから、どよめきと悲鳴が沸き上がった。だが、それは本物の絶望ではない。分厚い結界という「安全圏」から圧倒的な恐怖を覗き込み、次に訪れる救済の奇跡を待ち望む、どこか熱狂を孕んだ祈りの声だ。数万人の観衆が、恐れおののきながらも恍惚とした表情で、震える手を強く握り合わせ、教会の聖句を口にする。


「……ソフィア。見えるか」


 カイは、周囲の熱狂に紛れて小声で尋ねた。


「ええ」


 ソフィアは、制服の胸元に隠した『共振盤(レゾナンス・プレート)』にそっと触れ、静かに視点のピントを合わせていた。


「……悪趣味ね。虫唾が走るわ」


 彼女の声には、純粋な嫌悪感が混じっていた。


「あの怪物、自然に湧き出したものじゃないわ。……『養殖』された舞台装置よ。スラムで見た怪物のようなデタラメな欠陥の塊とは違って、泥と瓦礫を繋ぎ止めているエネルギーの結び目が、不自然なくらいに規則正しく編み込まれている。出現するタイミングも、出力も、すべて事前に制御されているわ」


「それだけじゃない」


 カイは、広場を囲む巨大な結界石へと冷徹な視線を向けた。


「あの結界石も、ただ怪物を閉じ込めるためのものじゃない。……観客席から発生している強烈な『祈り』を、猛烈な勢いで吸い上げている」


 事前の推測が、最悪の形で目の前で実証されていた。


 意図的に非効率な聖譜を市民に強要して溜め込んだ『澱』を、都合の良い『怪物』として広場に放つ。圧倒的な恐怖を前に数万人の市民が絞り出す強烈な祈りは、極上のエネルギーとなって結界石へと吸い上げられていく。


「……実際に稼働しているのを見ると、胸糞悪いな」


 カイの口から、氷のように冷たい声が漏れた。


「ええ。人々に恐怖を与え、すがるような祈りを搾り取って、教会の巨大な機構を動かす燃料にする。しかも、その祈りから出た排気ガスが、また次の化け物を生み出すのよ。……本当に、吐き気がするほど完璧に計算された搾取の連鎖だわ」


 ソフィアもまた、忌々しげに吐き捨てた。


 隣で手を合わせているセリアやテオの顔を見る。彼らは、自分たちの祈りが怪物を育てていることにも、その恐怖が教会の結界を維持するための燃料として吸い上げられていることにも気づいていない。ただ、目の前の圧倒的な脅威に怯え、教会の奇跡にすがるしかないのだ。


「オォォォォォッ!!」


 怪物が結界の壁を激しく叩き、地響きが観客席を揺らす。市民たちの恐怖と熱狂が最高潮に達した、その時だった。


「――恐れることはない、迷える子羊たちよ!」


 透き通るような、凛とした声が広場に響き渡った。音響の魔導具によって増幅されたその声に、数万人の視線が一斉に広場の入り口へと注がれる。


 現れたのは、白銀の装甲を眩く輝かせた、数十名の聖騎士たちだった。そして、その先頭を歩くのは、純白の法衣を纏い、白銀の杖を手にした一人の青年。


「ユリウス様だ……!」 「ああ、さすがは学術院の首席だ……!」


 セリアやテオをはじめ、観客席から割れんばかりの歓声と安堵の溜息が漏れた。学術院の頂点に立つ最高位の聖選生。誰もが憧れ、尊敬する完璧な存在、ユリウス。


 彼は落ち着いた足取りで広場の中央へと進み出ると、巨大な怪物を前にしても微塵も臆することなく、静かに目を閉じて杖を構えた。


「見よ。神の御光が、不浄なる闇を打ち払う」


 彼らが怪物を討伐し、美しい奇跡を見せつければ、市民たちの恐怖は一転して熱狂的な感謝と信仰へと変わる。その巨大なプラスの感情もまた、結界石を通じて教会の地下へと吸い上げられていくのだ。


 そして、その中心で称賛を浴びるユリウス自身もまた、自分が『生きた聖遺物』として自我を奪われ、使い捨ての動力源にされる運命にあることなど知る由もない。自分が大衆を救う英雄であると信じ込んだまま、その選ばれし者としての誇りを限界まで膨らませておく。そうして一切の疑いを持たせないまま、地下の深淵へと下らせるための、華々しい洗脳の儀式。


 誰もが騙され、誰もが使い潰される、完璧な欺瞞の舞台。


(……こんなふざけた茶番、最後まで黙って見ている義理はない)


 カイは、ゆっくりと席から立ち上がった。


「カイ? どうしたの?」


 セリアが、熱狂から一瞬だけ意識を戻し、不思議そうに見上げてくる。


「少し、空気を吸いに行ってきます。人が多くて、酔いました」


 カイは、ごく普通の編入生としての穏やかな笑みを浮かべてごまかした。


「そう? 気をつけてね。もうすぐ、ユリウス様の素晴らしい祈りが見られるのに」


「ええ。楽しみにしていますよ」


 カイは短く返し、ソフィアと一瞬だけ視線を交わした。彼女はわずかに顎を引き、準備が整っていることを無言で伝える。


 カイは観客席の通路へと歩き出した。数万人の祈りが渦巻く、巨大なエネルギーの濁流。エーテルの密度が異常な状態になっている広場の中央で、あの完璧な首席の信仰に、取り返しのつかない致命的なヒビを入れる。


 カイは革手袋の下にある鋼鉄の右手を静かに駆動させながら、熱狂に包まれた広場の最前列へと向かって、足音を忍ばせて階段を下りていった。

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