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虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~  作者: 来里 綴
盲信の学舎

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第110話 浄化の聖儀

 夕暮れの古い書庫で、ルカから残酷な真実を知らされてから数日後。ルキウム聖神学術院のキャンパスは、普段の厳粛な空気から一転して、どこか浮き足立った祝祭の熱気に包まれていた。


 白大理石の回廊には金と青の豪奢な垂れ幕が飾られ、中庭の噴水はいつもより高く澄んだ水を噴き上げている。すれ違う学生たちの顔も一様に明るく、その話題はもっぱら明後日に控えた一つの巨大な行事に持ちきりだった。


「いやあ、いよいよ明後日だな! 『浄化の聖儀(プルガ・リチュアル)』!」


 昼休み。中庭の円卓で、テオが購買で買ったパンを頬張りながら興奮気味に身を乗り出した。


「カイ、お前も地方から来たんなら絶対に見たほうがいいぜ! ルキウムで一番でかい、神様の恩寵を肌で感じられるすげえお祭りだからな!」


 カイは手元のカップを置き、遺物によって偽装された茶色い前髪を軽く揺らした。


「……浄化の聖儀? 何かの祭典なのか?」


 ごく普通の編入生を装い、首を傾げてみせる。


「お祭りみたいなものだけれど、もっと神聖な意味があるのよ」


 向かいに座るセリアが、優雅に微笑みながら口を開いた。彼女もまた、間近に迫った卒業を前にして、どこか誇らしげな表情を浮かべていた。


「この街の地下や郊外には、定期的に『澱』の怪物が湧き出すことがあるの。普段は聖騎士団の方々が密かに討伐してくださっているのだけれど……年に一度だけ、その怪物をあえて中央広場に設けた強固な結界の中へ引き込んで、市民の目の前で浄化して見せるのよ」


「……わざと、広場に怪物を?」


 カイは思わず聞き返した。隣で紅茶を飲んでいたソフィアも、ピタリと動きを止めている。


「そうなんだぜ!」


 テオが自慢げに胸を張る。


「広場には数万人の市民が集まるんだ。そこで、僕ら学術院のトップである『聖選生』が、聖騎士団の人たちと一緒に完璧な祈りを捧げて、怪物を光に還すんだ。それを見ると、誰もが神様の守りがあるって実感できる。それに今年は……」


「今年は、ユリウス様がその大役を務められるの」


 セリアが、うっとりとした声でテオの言葉を引き取った。


「私たちの代の首席であり、卒業後に『聖譜監獄(アーカイブ)』の深淵へ進むことが約束されている方。彼が神の力を体現し、市民の不安を取り除いてから、名誉ある地下の聖務へと旅立つのよ」


 無邪気に笑い合うテオとセリア。彼らは本心から、それが素晴らしい奇跡であり、名誉なことだと信じて疑っていない。だが、カイの胸の奥には、氷のような冷たい怒りと、吐き気を催すほどの嫌悪感が広がっていた。


(……わざわざ何万人も集まる広場に、怪物を引き込むだと?)


  危険物を処理するなら、発生源である地下や郊外で、誰もいないうちに密かに潰すのが当たり前だ。それをわざわざ人が密集する都市の中心部へ持ってくるなど、物理的なリスクが高すぎる。万が一、囲い込んでいる結界が破れれば大惨事だ。それなのに、教会はあえて「見世物」にする。理由は一つしかない。彼らにとって、数万人の大衆にその光景を「見せること」自体が、物理的なリスクを補って余りある最大の目的なのだ。


 放課後。学生の姿がまばらになった旧校舎の裏庭で、カイとソフィアは二人きりで密談を交わしていた。


「ルカの報告にあった『浄化の聖儀』……。実際に中央広場の舞台装置を観察してみると、本当に吐き気がする茶番ね」


 ソフィアが、制服のポケットに手を突っ込んだまま、忌々しげに吐き捨てた。


「教会の非効率な『聖譜(スコア)』が澱を生み出し、怪物を育てている。そしてそれを自分たちの権威を示すための道具としてマッチポンプに利用していることは、ロゴスでも推測していたわ。でも、実際に数万人の市民を巻き込むあの巨大な仕掛けの構造を見ると、悪辣すぎて反吐が出るわ」


「ああ。恐怖と救済の完全な見世物だ」


 カイは、背を預けた石壁の冷たさを背中で感じながら、低く応じた。


「あえて巨大な恐怖を大衆に見せつけ、それを奇跡で打ち払う。そうすれば、数万人の市民は一斉に安堵し、教会に対して盲目的なまでの感謝と信仰心を抱く」


「ええ。そしてその時に発生する数万人分の強烈な『祈り』を、極上のエネルギーとして広場の結界石から吸い上げ、地下の動力源にしている。……本当によくできた搾取の仕組みだわ」


 市民の感情を激しく揺さぶり、自発的にエネルギーを吐き出させるための巨大な集束装置。それが『浄化の聖儀』の正体だ。そしてもう一つ、カイには教会のさらにどす黒い意図が見えていた。


「市民からエネルギーを搾り取るだけじゃない。あの儀式は、ユリウスたち聖選生を英雄に仕立て上げるための洗脳でもある」


 カイは、革手袋で覆われた鋼鉄の右手を静かに握り込んだ。


「大歓声の中で怪物を倒し、市民から称賛を浴びる。そうやって選ばれし者としての誇りを限界まで膨らませておいてから、地下の深淵へと送り込むんだ。……自分が『生きた聖遺物』として自我を削ぎ落とされ、使い捨ての電池にされるなんて少しも疑わせないように」


 セリアやテオが憧れの目で語っていた名誉ある旅立ち。その行き先が、感情を奪われた生ける屍の工場であることを、彼らは知らない。


「……で、どうするの? カイ」


 ソフィアが、真剣な瞳でカイを真っ直ぐに見据えた。


「あんな悪趣味な茶番、ただ指をくわえて見ているつもりはないんでしょう?」


「当たり前だ。むしろ、これ以上ない絶好のチャンスだ」


 カイの唇に、不敵な、しかし冷ややかな笑みが浮かぶ。


「この一ヶ月観察して分かったことだが、ユリウスは普段、教官や取り巻きに囲まれていて、一人になる隙が全くない。俺たちを地下に案内させるための交渉の糸口を掴めずにいた。……でも、あの儀式の最中だけは違う」


 広場の中央、結界の要となる場所に立つのはユリウス一人だ。彼は数万人の視線を一身に集め、その中心で完璧な術式を構築しなければならない。


「あの大舞台で、教会のインチキを暴いてやる。あいつが神の奇跡だと信じているものが、教会の仕組んだ薄汚い茶番だと分かれば、あいつの完璧な信仰は必ず揺らぐ」


 ソフィアがハッとして息を呑んだ。数万人分の祈りが集まるその場所は、エーテルの密度が異常な状態になる。その中で教会の仕掛けを暴くということは、巨大なエネルギーの濁流のど真ん中に飛び込むということだ。


「……正気? 数万人の祈りが集中する広場は、嵐の海のようなものよ。その分厚いエネルギーの濁流の中から、怪物を操っている教会の『仕掛け』を見つけ出すなんて至難の業よ。少しでも干渉に失敗すれば、貴方の魂が摩擦熱で焼き切れるわ」


「心配いらないさ」


 カイは、義手の駆動音をチリリと静かに鳴らした。


「俺の出力は、針の先みたいに極限まで細く絞り込める。あんたの眼が捉えた仕掛けの綻びを、俺が寸分の狂いもなく撃ち抜く。……この世界の狂ったシステムに、俺たちの理論がどれだけ重いか、思い知らせてやろう」


 儀式の前日の夕刻。ルキウムの中央広場には、すでに巨大な石造りの結界の土台が組み上がり、それを囲むように無数の見物席が設けられていた。夕闇に沈む広場を見下ろす回廊の陰から、カイはその光景を静かに見つめていた。


 善良な若者たちの命をすり減らし、使い捨てるだけの狂った連鎖。それを止めるための布石はすでに打ってある。


 カイの黒い瞳は、来たるべき喧騒の瞬間に向けて、冷たく静かな光を宿していた。

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